EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
自動車業界は、カーボンニュートラル実現に向けてビジネスモデルの変革を迫られています。時流に合わせて柔軟な意思決定を行うためには、どのような組織体制が求められるのでしょうか。一橋大学寄附講義の最終回では、スズキ株式会社副社長の石井直己氏をお招きし、サステナビリティ経営に必要な組織作りについて伺いました。(聞き手 早瀬 慶)
石井 直己 氏
スズキ株式会社 代表取締役副社長。1989年にトヨタ自動車に入社し、インド現地法人の社長などを歴任。2020年10月にスズキに入社し、経営企画室、次世代モビリティサービス、EV事業などを担当した後、2022年より現職。経営企画室や次世代モビリティサービス本部、EV(電気自動車)事業本部など主軸分野を担当する。
早瀬 慶
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 EYパルテノン ストラテジー パートナー。スタートアップや外資系コンサルティング企業での経験を経て、EYに参画。商用車・物流業界や、複数産業をまたがるモビリティ社会の構築に注力。近年は、中央官庁の自動車領域のアドバイザーやスマートシティー等の国際会議のプレゼンター・プランナーとして社会創生にも携わる。
――早速本題ですが、石井さんが考えるサステナビリティ経営について教えてください。
石井 直己 氏(以下、石井 氏):事前に受講者の方からいただいた質問の中に、「なぜスズキは元マラソンランナー・高橋尚子さんを社外取締役に選任したのか」というものがありました。同様のお問い合わせはよくいただきますが、その理由はサステナビリティ経営とも深く関連しています。結論から申し上げますと、スポーツというのは「非常識を常識に変えていく営み」であるからです。
高橋さんが最初の取締役会で、「これまでの非常識を常識に変える一瞬のために、血がにじむほど練習する」ということをおっしゃいました。その時に全役員がハッとしたんです。果たして、私たちはそこまで覚悟を決めて本気で仕事に取り組んでいるだろうか、と。
本気で仕事をするというのは、頭で考えるだけではなく、行動するということです。社会、環境、あるいは人のために率先して行動するということではないでしょうか。もともとスズキにはそうした働き方を奨励する風土があり、それは鈴木修相談役が半世紀以上にわたって取り組んできたコンセプトでもあります。
スポーツに命をかけてきた高橋さんの一言は、あらためてスズキの原点に立ち返るきっかけを与えてくれました。非常識を常識に変えるために、本気で仕事に取り組む。それこそがサステナビリティ経営の在り方です。事業をめぐる環境が急速に変化していく時代に高橋尚子さんに社外取締役を務めていただくことは、スズキが生き残るために必要なことだと考えています。
――石井さんはトヨタ、日野自動車で勤務されました。乗用車、商用車それぞれのトップ企業での経験を踏まえて、スズキならではの考え方や文化についてお聞かせください。
石井 氏:私がスズキに入社したのは2020年です。当時、鈴木修相談役から「己を捨てなさい。自分に対して心を鬼にしなさい」と言われました。大企業で優秀な方々と働いていると、競争意識が悪い方向に作用してしまうことがあります。お客さまのために働いているつもりが、どこかで「自分のために」という意識が顔を出してしまうんですね。
個人のプライドやエゴは、時に組織の成長を阻害します。強い会社というのは、その会社が目指すところに向かって個々人の業務にまい進する人たちの集団です。スズキは役員も自分で車を運転して出社し、従業員と同じフロアで働きます。
正直なところ、初めは違和感を覚えました。役員は出迎えを受けたり、専用の部屋を持ったりすることが当たり前と考えていましたから。しかし、そうした高待遇は役員に満足感を与える一方で、能力を発揮するための努力を放棄させてしまう可能性があると気が付きました。従業員も、役員まで昇進すれば“上がり”だと思ってしまう。
社内のポジション争いに無駄なエネルギーを使わず、純粋に“やるべきことをやる”組織文化がスズキの特長です。
――サステナビリティ事業は導入に伴うコストがネックとなり、経営的な意思決定が難しいという側面があります。時代に合わせた柔軟な意思決定を行うために、どのような組織作りが必要でしょうか。
石井 氏:リーダーが主導権を握っているかどうかは重要です。スタートアップ企業であれば、一人の卓越したゼネラリストが組織全体をけん引することもできるでしょう。しかし、組織が成熟してくると、各部門のスペシャリストの意見が影響力を有するようになります。
そこで例えば社長が「事業の現状について教えてほしい」と言った時に、「現場のことは私にお任せください」と返ってくるような組織は、派閥争いで身動きが取れなくなってしまいます。そうではなく、「今度、現場の視察に同行しませんか」と提案できる組織、つまりリーダーの意思決定をサポートする組織を作っていくことが必要です。
――人的資本価値を高めていくために、スズキはどのような施策や従業員教育を行っているのでしょうか。
石井 氏:1962年に制定した「社是」が迷った時の道しるべとなっています。
一、 お客様の立場になって価値ある製品を作ろう
二、 協力一致清新な会社を建設しよう
三、 自己の向上につとめ常に意欲的に前進しよう
行動理念としては「小・少・軽・短・美」「中小企業型経営」「現場・現物・現実」と表現しており、シンプル故に揺るぎないパーパスとして社内に浸透しています。経営者が率先して実践し、“こういう意味だったのか”と納得してもらうプロセスを踏んでいることも大きいでしょう。
――具体的にはどのような実践を行ったのでしょうか。
石井 氏:例えば、小さいことに思われるかもしれませんが、名刺の厚さを変えました。従来は社長・副社長の名刺が、他の役員従業員に比べて3倍ほど厚かったんです。ところが、毎年の恒例行事である社長と従業員とのコミュニケーションの際に、若手から「スズキの名刺はペラペラで出す時に恥ずかしい」と意見が上がり、鈴木社長に火がつきました。これは余計なプライドだ、と。
役員にとってもお客さまにとっても、多く持ち運べる名刺の方が良い。厚くしているのは自分を立派に見せようというエゴであって、「小・少・軽・短・美」に反している。ですから現在は、社長も“ペラペラ”の名刺を携えて商談に出掛けます。
最後に早瀬は、「社会が変化するスピードはますます速くなっています。近い未来のことさえまったく予想がつきません。変化の激しい時代に、企業経営を支えるのは一人一人が、対峙(たいじ)するクライアントや社会の立場になって考え続ける力であり、またそれを後押しするような明確なリーダー指針や活動環境です。現在直面するビジネスモデルの変容と真摯(しんし)に向き合い、自社の枠組みを超え複数のステークホルダーと新しい価値を創造していくことが今後の企業経営には求められます」と話し、「これまでの講義を通じ、『理論と現実の往復運動』の観点から、サステナビリティ経営に対する複合的な視点から将来を見立て、求められる社会活動・経済活動を実践していただければ幸いです」と、全14回のサステナビリティ経営に関する講義を総括しました。
「非常識を常識に変えていく」。サステナビリティ経営のためには、社会・環境・人のために行動する“本気さ”が必要です。また、リーダーが主導権を握り、従業員はリーダーの意思決定をサポートする組織作りが求められます。経営者が先頭に立って体現することで、従業員にも浸透していきます。