第2回 一橋大学寄附講義 気候変動がもたらす企業経営へのインパクト①【理論】

一橋大学寄附講義

気候変動への対応が求められる時代に必要なこととは


第2回 一橋大学寄附講義
気候変動がもたらす企業経営へのインパクト①【理論】

パリ協定を皮切りに、脱炭素に向けた取り組みは経済界にとっても大きな課題となっています。気候変動問題に対する世界の潮流は、企業経営にいかなる影響を及ぼすのでしょうか。一橋大学寄附講義の第2回は、EYストラテジー・アンド・コンサルティングの尾山耕一が講師となり、気候変動にまつわる世界の動向とその経営インパクトについて解説しました。



瀧澤 徳也

尾山 耕一

EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ストラテジック インパクト パートナー。自動車・製造業を中心に、新規事業企画、技術開発構想、マーケティング戦略立案などに従事する。近年では、SDGsを起点とした中期経営計画策定、社会課題解決に向けた新規事業構想、TCFD対応など、サステナビリティ視点を組み込んだ経営戦略の立案支援に取り組む。




要点
  • 2015年のCOP21をきっかけに気候変動は経済界の重要なアジェンダになっており、2023〜24年は気候変動に関する開示のターニングポイントとなりうる。
  • ステークホルダーの気候変動に対する意識が高まっており、企業は将来の気候変動に対して、複数のシナリオを想定した経営計画が求められる。
  • 気候変動に対する消極的な姿勢は、市場に“取り組む気がない”というネガティブなメッセージを与える可能性がある。



1. 人類はいまだカーボンニュートラルのスタート地点にも立っていない

人類はいまだカーボンニュートラルのスタート地点にも立っていない




人類はいまだカーボンニュートラルのスタート地点にも立っていない

2015年のパリ協定(COP21)をきっかけとして、温室効果ガス(GHG)の排出がもたらす気候変動は、経済界の重要なアジェンダになっています。「気候変動対策の国際的なコンセンサスが醸成され、国家単位での制度整備が進んだことで、ステークホルダーからのプレッシャーが顕著になってきている」と尾山は話します。

気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)が2017年に提出した、気候変動に関連する情報開示へのTCFD提言は日本でも大きな関心事となり、2023年3月時点で日系企業の賛同数は世界トップで、2位の英国と大きな差をつけています。

TCFDを皮切りとする気候変動に関連する情報開示は今後義務化されていく流れにあり、2024年から順次始まる欧州のコーポレート・サステナビリティ・レポーティング・ダイレクティブ(CSRD)の義務化が台風の目となっています。

「近年、気候変動に関する開示についての問い合わせが増えています。開示の義務化は、2023年から2024年にかけて国際的なターニングポイントを迎えるでしょう」

企業が経営目標を策定する上で大きな基準となっているのは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による2018年の「1.5℃特別報告書」です。現在の水準で人類が経済活動を続けたと仮定すると、2100年の段階で産業革命の時代から4〜8℃の気温上昇が予想されています。この上昇幅を1.5℃以内に食い止めるために、「1.5℃特別報告書」では2050年までにカーボンニュートラルを達成する必要があると提言しています。

しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による停滞から世界経済が立ち直っていく中でCO2排出量はむしろ増えていくと推測されています。

「従って、人類はいまだカーボンニュートラルに向けた道のりのスタート地点にも立っていません。現代は、シビアな目標に向かって社会全体でのチャレンジが本格化する節目の時代にあたります」



2. ステークホルダーの期待を前に、様子見はリスクを伴う

ステークホルダーの期待を前に、様子見はリスクを伴う



カーボンニュートラルに向けた脱炭素の取り組みは、産業の変革を余儀なくします。将来的には火力発電をゼロにし、自動車や航空船舶などは製造の段階からCO2排出量を厳しく制限しなければなりません。

そうした潮流の中で、CO2排出削減にかかるコストを「CO2に価格がついている」と見なし、価格換算する動きも現れてきています。例えば、植林、再生農業などの事業は「大気中のCO2を回収し、別資源に変換して利用している」と価値創出の観点から捉え直すことが可能です。

「従来のビジネスモデルにおいて、脱炭素の取り組みはコストでした。しかし、取り組みが一般化する中で発想をポジティブに転換し、新たなビジネスチャンスを見いだす企業が増加していることは特筆すべき点です」

カーボンニュートラル社会に向かって、「社会や顧客を巻き込みながらリードしていくための“ポジション争い”が顕在化している」と尾山は指摘します。一方で、営利企業にはどのような未来になったとしても盤石であるようなリスク管理が求められます。気候変動に向けた取り組みを長期的に捉え、複数の未来シナリオに対応するための経営リソースをいかに確保するか、現在の状況に合わせて効果的にPDCAサイクルを回していけるかなど、中・長期経営計画において気候変動対策が占める比重は年々大きくなっています。

受講者からは、「“ポジション争い”という話があったが、気候変動については結局のところ社会の動きやニーズを鑑みて戦略を立てなければならない。業界としては横並びの意識で進んでいくことになるのではないか」といった質問があり、尾山は次のように答えました。

「経営者には『トップではないがトップ集団には位置したい』『トップ集団には入らないが遅れないようにしたい』といった心理があります。社会の変革に対して様子見をするというのは一つの意思決定であり、ケースによっては正解でもあります。しかし、ことカーボンニュートラルに関しては“それで間に合いますか”という第三者的な視点からの懸念が大きく、業界トップの企業群においてはそれが無視できないプレッシャーになっています」

NGOや環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが発信している気候変動に関する提言は、ステークホルダーのマインドにも大きな影響を及ぼしています。業界を代表する企業ほど、サステナビリティへの取り組みを開示することへの期待が重くのしかかり、安易な様子見を許さない状況になってきています。



3. 積極的なコミットメントがリスク回避につながる

積極的なコミットメントがリスク回避につながる



尾山は気候変動がもたらす企業経営のリスクについて、ケーススタディを行いました。ある企業は2×2のマトリクスを用いて、財務インパクトの分析をしています。縦軸は「未来の社会が1.5℃を達成するか、それとも4℃のラインにとどまるか」を表し、横軸は「企業の1.5℃を前提とした戦略、4℃を前提とした戦略」を表しています。

ここで着目すべきは、上段の「1.5℃が達成された社会」における企業の損益分岐です。企業にとってのワーストシナリオは右上の90億円マイナスです。これは1.5℃に向けて社会が動いていた中で、何も対策を行わなかった場合を意味します。一方、ベストシナリオは左上の110億円プラス――1.5℃を見据えて対策を十分に行った場合です。この損益分岐を念頭に、社会の動きに合わせたフレキシブルな戦略を考えます。

「この分析が優れているのは、まずワーストシナリオを明確にしていることです。1.5℃か4℃かという極端なシナリオを想定して、2点間の振れ幅を認識する。その振れ幅をもって意思決定していくというのは、硬直しがちな企業経営を柔軟に保つために、効果的な方法だと考えられます」

意思決定の際には、他社のGHG排出削減目標や、イニシアチブ(SBTi等)の要請水準等も参考になります。イニシアチブは科学的な根拠に基づく目標を設定するよう企業に求めますが、必ずしも「科学的な実現可能性」に縛られる必要はないと尾山は補足します。経営計画上の目標は、その企業の理念や思想を反映します。達成困難である目標を立てることで、実績がそこに近づいていくことも十分考えられます。

「冒頭に紹介したTCFD提言への賛同数が示すように、日本の企業には形から入る傾向が見られます。目標と実績が解離することを避け、グローバルな視点では消極的と捉えられかねない目標設定を行いがちです。

“達成できないかもしれないから言わない”姿勢は、世界に対して“取り組む気がない”というメッセージを発していることと同義です。急ぎの対策が求められる気候変動においては、積極的なコミットメントが将来のリスク管理につながります」


サマリー

「1.5℃特別報告書」で提起されたカーボンニュートラルに向かう道のりは、2023年時点でスタート地点にも立っていません。ステークホルダーの気候変動に関する取り組みへの開示要求は高まっており、企業はリスクと相談しながらフレキシブルな経営計画を運用することが求められています。



一橋大学大学院 経営管理研究科「サステナビリティ経営」に関する寄附講義

 

一橋大学大学院 経営管理研究科 経営管理専攻ならびに商学部にて、2023年度春夏学期に開講した寄附講義「サステナビリティ経営(Sustainability Management)」の講義レポートをお読みいただけます。



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