EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
インターネットやSNSの登場により、急速にグローバル化が進む中で、パーパス経営を進める企業は、社内外に存在するステークホルダーへ自社のパーパスをどのように伝えていけばいいのでしょうか。京都大学寄附講義第14回では、CEOを務める貴田守亮が、ステークホルダーへのパーパスの伝え方とEYのパーパス(存在意義)経営に向けた取り組みについて講義を行いました。
貴田 守亮
EY Japan チェアパーソン兼CEO。1996年EYニューヨーク事務所に⼊社。2007年にパートナー。米国や英国でさまざまな上場企業へ米国公認会計士として監査およびコンサルティング業務に携わり、16年に東京に赴任。21年7月より現職。「100LGBT+エグゼクティブ」第1位に選出され、ジェンダー、LGBT+、障害、国籍や文化の違いなど多様なメンバーの強力な支援者である。カリフォルニア大学音楽部卒、カリフォルニア州立大学で経営科学修士号(MSBA)修得。
要点
世界最大規模の資産運用会社のCEOであるラリー・フィンク氏は、2018年に投資先の経営者に宛てた年次書簡の中で、企業経営におけるパーパスの重要性について言及しました。これがパーパス経営の必要性について理解が広まったきっかけとなったと言われています。フィンク氏は翌年以降もサステナビリティやロングタームバリューについて言及し、パーパス経営やサステナビリティ経営が世界的に広まるきっかけとなりました。
現在、多くの企業がパーパス経営を推進する中、特に日本企業に求められているのが自社のパーパス(存在意義)をステークホルダーに正しく伝える取り組みです。それは、商品やサービスの良さだけで消費者が企業を評価していた時代から、消費者は企業が「信じていること」を重要視し、それに共感するために当該企業の商品やサービスを買う、という流れができているからです。企業が株主や消費者などの重要なステークホルダーをグリップするためには「なぜ私の企業が存在するか」を説明できないと競争力を失ってしまうリスクが高まっています。そのため、企業の存在意義、つまりパーパスの重要性が高まっています。
また、「情報」は、紙媒体やテレビなどによるものがほぼすべてで、政府、企業などのメッセージはマスメディアから株主、消費者および生活者へと上意下達で伝えられました。情報の信ぴょう性はある程度担保されていた一方、新聞や出版物として出回るまでには相応の時間がかかっていました。
その後、インターネットの登場によって、世界中の情報が瞬時に伝わるようになっただけでなく、市民間・ユーザー間での情報の交換や収集が可能になりました。その結果、マスメディアよりも先にインターネット上で世論が形成されるようになりました。SNSやスマートフォンの普及によってその傾向はいっそう顕著になり、今や社会を動かす力は政府・マスコミから一般市民へと移っています。
こうした時代の中で、企業発信の情報よりも“社員による口コミ”が早くて手軽なケースも増えており、企業には情報発信や経営判断に機敏性が求められています。内部告発や情報リーク、フェイクニュース、偏向報道、SNS上での偏った世論形成など、意図しない形で情報が広まることもあり、企業はどうすれば株主、社員、消費者などのステークホルダーにパーパスを正しく伝えることができるかを考える必要があります。
「情報は抱え込むものではなく、できるだけオープンにすべきもの。その上で、さまざまな意見を吸い上げながら経営していく時代へと変化していると認識しています」
企業がメッセージやパーパスを正しく伝える上で、インターネットの発達と同時に考えなければいけないのがグローバル化です。
日系企業各社の海外売上高比率と海外製造比率は、この20年で大きく上昇し、いずれも30%を超えました。日本市場における海外投資家の存在感も増しており、日系平均採用銘柄において寄与度の高い上位30銘柄の売買に占める海外投資家の割合は67%(2022年)となっています。
日本企業のステークホルダーは国内外に広がっており、その存在を適切に捉えることが重要です。国内外すべてのステークホルダーに対して企業のパーパスを伝えるためには、海外のステークホルダーがどう考えているか、何を問題視しているかを意識しなければなりません。日本語メディアや国内のSNS情報だけから経営判断することは危険であり、海外メディアやSNSの情報から国や文化ごとに異なる意見を得ることが大切です。日本語だけで書かれている情報に頼ることは“情報の鎖国”を引き起こすでしょう。
日本企業がパーパスや戦略をステークホルダーに正しく伝えきれていないことは、「PBR1倍割れ」を自社株買いで回避するという新たな問題の一因になっています。企業の付加価値の分配状況データを見ると、1991年のバブル崩壊以降、売り上げや役員報酬、社員の給与、設備投資額は増加していないにもかかわらず、株主還元は増加しています。アクティビストによる短期的な株価上昇を是正できず、株価だけを上げていかざるを得ない状況に、企業は自社株買いや赤字での配当で対応しているのが現実です。
「そもそも日本は、国としてのパーパスが不明確なのかもしれません。そのためグローバルに活動する日本企業も明確なパーパスを策定しづらい面があるのではないでしょうか。日本企業は、むしろ率先して明確なパーパスを策定・提示して活動し、国のパーパスをけん引していく必要があります」
これまでの講義で取り上げたパーパス経営、顧客価値、社会的価値、人的資本価値、財務価値における問題点をまとめると次の3つが挙げられます。
①情報の力学が大きく変化していて、情報の偏向が生じている
情報伝達が上意下達の形から、縦横無尽に伝わる形に変化したことで、フェイクニュースや不正確な情報がまん延しやすい状況になっています。企業の進めていくパーパス経営はさまざまなメディアを通じて伝えていく必要があります。
②日本は“情報の鎖国”に近づいている。海外を念頭に置いた企業経営ができていない
海外売上比率や海外株主比率が高まっているため、今後の企業のかじ取りは海外視点を取り入れる必要が高まっている中、日系企業の経営層へのキャリアパスとしては日本国内でのキャリアを重視する傾向があります。これはESGの「S」の領域における人権問題への対応の遅れという課題にもなり得ます。
③日本の資本が海外の投資家に搾取される傾向が強くなっている
「日本企業のすべてを搾取する」と言われるほど、海外投資家の中で日本企業からより多くの配当を得ようという動きが見られます。
「こうした課題にも、企業がパーパスや戦略をステークホルダーに正しく伝えることでかなり対処することができると考えています。スタンフォード大学経営大学院教授のJennifer Aaker氏は『パーパスをチームメンバー、クライアントへ伝えていく上で、ストーリーがとても重要な役割を担う』と述べています。日本は世界有数の“100年企業が多い国”で、その多くが創業時からステークホルダーを巻き込んだパーパスを打ち出していました。しかし、ストーリー性を持ってパーパスを伝えきれてこなかったことが今の状況を招いているとも考えられます」
ここからはケーススタディとして、EYのパーパスへの取り組みを実践内容とともに紹介します。
EYはラリー・フィンク氏が2018年にパーパス経営を提唱するよりも早く、2012年にグローバル全体のパーパス「Building a better working world〜より良い社会の構築を目指して」を定義し、2013年からは全社員に向けてパーパスを伝え始めました。そしてEY Japanは、あらゆるステークホルダーの意見を集約し、単なる翻訳ではない日本版パーパス「次世代につながるより豊かな社会の実現を目指して」を打ち立てました。
「策定された当初は、『われわれの事業は慈善事業じゃないのにどういう意味だろう?』と真意を測りかねた社員が多かったと思います。だからといって会社が強制的に社員に理解させようとはしませんでした。ただパーパスが誕生したことで、少しずつ社員が社会全体にどう貢献するか、クライアントに提供するサービスがより良い社会の構築につながっているかを考えるようになりました」
またEY Japanは、パーパスの実現のために目先の利益を追うのではなく、企業として持続可能な長期的価値の創出を目指すことを明確にしました。具体的には次の4つの価値を向上することを掲げています。
「ステークホルダー資本主義指標」に基づいてそれぞれにKPIを設定し、毎年統合報告書およびホームページにて進捗を公開しています。
さらに、事業部ごと部署ごとのパーパス、社員一人一人のマイパーパスを設定し、組織のパーパスとどう結びつけるかを考えてもらう取り組みを行っています。
「プライベートなパーパスにもどこかで仕事と重なる部分があると思います。大切なことは、個人が仕事に対して何にワクワクを感じるか。そこがEYのパーパスとうまくつながっていくと良いと考えています」
インターネットの登場で急速にグローバル化が進む現代においてパーパス経営を進めていくためには、パーパスを正確に、ステークホルダー全体に伝え、株主至上主義からの脱却、成長のための投資をしていくことが重要です。EYは、全体のパーパスを定めると同時に部署ごと、個人ごとのパーパスの制定を進め、パーパスの浸透を図っています。