EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
今、世の中は短期的かつ株主重視する経営から、ステークホルダー全体を視野に入れ、長期的な目線で会社を運営するパーパス経営へと移行していく流れの中にあります。パーパス経営とは何なのか、実現のためには何が必要なのかを正しく理解しなければ、その流れを捉えることはできません。京都大学寄附講義の第1回は、同大学院で経営研究を行う若林直樹氏、そしてEY Japanでコンサルティングに長年携わる鵜澤慎一郎がパーパス経営の基礎についての講義を行いました。
若林 直樹 氏
京都大学経営管理大学院教授。ネットワーク組織論を専門に、コンテンツ産業や顧客志向的な組織のあり方などを研究。著書に『ネットワーク組織』、『新時代の組織経営と働き方』(共著)など。
鵜澤 慎一郎
EY Japanで国内280名超(2023年1月時点)の人事組織コンサルティング事業責任者および総合コンサルティング部門におけるリーダーシップチームの一員を務める。専門は人事戦略策定、グローバルHR変革、HRテクノロジー。2023年4月に京都大学経営管理大学院特命教授に就任。著書に『HRDXの教科書』(共著)など。
要点
そもそも「パーパスとは何か」ということについて、発達心理学の権威であるスタンフォード大学のウィリアム・デイモン教授は、著書『The Path to Purpose』(The Free Press, 2008)の中で、「定義としてパーパスは自己にとって意味があり、かつ自己を越えた世界にも重大なものを達成しようとする、普遍的かつ安定的な意図である」と記しています。
では、なぜ企業経営でパーパスを考える意義が高まったのでしょうか。京都大学経営管理大学院の若林直樹教授は、「SDGs以降における企業の社会的責任に対する議論の変化が要因にある」と話します。SDGs以前は、公衆衛生や環境保護など、社会的責任に関しては果たしてさえいれば良いとされていました。しかし、SDGsの議論が高まるにつれて「何を、何のために、どう実行するのか」という「実存の在り方」までが求められるようになり、経営における社会的責任の比重が高まってきました。それに伴い、多様化する企業の組織的活動を統合する組織原理「パーパス」の必要性が認識され始めています。
EY Japanでコンサルティング業務に長年携わる鵜澤は、現在パーパス経営が注目されている背景について、「短期的かつ株主重視の経営などの行き過ぎた資本主義の揺り戻しが起きている」と話します。
「株主重視の1年ごとという短期的なROEだけを見る経営は限界を迎えていると言えるでしょう。現在、企業経営に求められているのは、株主や顧客だけでなく、従業員やサプライヤー、関連地域社会など、多様なステークホルダーに価値を提供することです」
市場も企業に対して、短期的な財務価値だけではなく、中長期を見据えた持続可能な価値の創出を求めています。持続的な価値として挙げられるのが財務諸表上で表しにくい非財務の「無形価値」です。その構成要素は、ブランドなどの「顧客価値」、働く人を意味する「人材価値」、そして企業の社会的責任としての環境やESGへの取り組みを示す「社会価値」という3つです。企業価値は財務価値を含めた4つの無形価値によって構成されており、財務価値以外の3つの非財務価値もマネジメントや開示の必要性があります。
鵜澤は、「企業経営におけるパーパスは、多様なステークホルダーを意識して4つの無形価値をマネジメントする上での北極星」と位置付け、「企業としてリスクのある取り組みを行う際、超えてはならない責任範囲を示し、暴走や無謀な取り組みを食い止める判断基準としての役割もある」と指摘します。
また、鵜澤自身が解説章を担当したハーバード・ビジネス・スクールのランジェイ・グラディ教授による著書『DEEP PURPOSE 傑出する企業、その心と魂』(東洋館出版社,2023)を紐解きつつ、パーパス経営について次のように説明しました。
企業は、『企業価値と社会価値のどちらを高めれば良いのか』と判断に迷う場面もあるでしょう。従来はorでしたが、これからはandの時代。どちらも求める必要があります。経済的な価値と社会的な価値が両立しているのがパーパスであるとも言えるでしょう。
とはいえ、単にパーパスを掲げれば良いわけではなく、「株主、顧客、従業員、社会などのステークホルダーが“真贋(しんがん)”に目を光らせている」と、鵜澤は話します。ディープパーパスと呼ばれる真のパーパス企業がある一方、パーパスを道具的・商業的に都合よく扱う企業があるのも事実です。企業にとって都合の悪い情報を隠蔽(いんぺい)することはできない時代になってきています。
パーパスを語る上で議論になるのがミッション・ビジョン・バリュー(MVV)との違いです。
ミッション、ビジョン、バリューという従来の経営理念のあり方はWhatが起点とされます。ある企業のミッションが『2030年までに売上1兆円』というWhatだとした時、このミッションを達成したとしても、多様なステークホルダーのすべてを喜ばせることはできません。対してパーパスはWhyが起点です。このWhyに応えることが企業の存在価値になります。そして、「真のパーパス経営に取り組む企業は、経済価値と社会価値の両立に成功している」と鵜澤は話します。
「ある企業のオンデマンド型学習支援サービスは、最新情報が届きにくい地方や経済的理由で通塾できない子どもたちに全国一律の学びを提供する、という社会価値を提供しています。経営側はこの社会的価値を実現するために事業が黒字化するまで長い時間を我慢しました。まさに経済価値と社会価値の両立に成功している事業の好例と言えます」
また、パーパスをマネジメントしていく上では、バックキャスティングアプローチが重要となります。「数十年先に社会がどうなっているかを予測し、その中でどういった事業モデルを構築して社会に貢献していくかを考えることで、“今取り組むべき事業”と“取り組むべきではない事業”を策定していくことが可能になる」と鵜澤は指摘します。
さらに、パーパスを浸透・実践していくためのアプローチとしてEYの例を挙げ、「経営層が顧客価値、人材価値、社会価値、財務価値の4つの企業価値それぞれに対して目標設定をすることが大切です。また、従業員もパーパス実現のために4つの価値、特に3つの非財務価値に数値目標を設定し、個人のベクトルを企業のベクトルに合わせるという方法が有効」と話します。
ケーススタディのテーマは、大規模なコーヒーショップチェーンを運営する企業の豆調達において、新たなサプライヤーから魅力的な条件提示を受けている。しかし、クイックレビューではこのサプライヤー企業の従業員の平均年齢が著しく若く、未成年が含まれている可能性がある。この場合の判断を4つの企業価値のフレームワークでプラス面とマイナス面を考えるというもの。
受講者からは、「以前、人権問題が指摘される地域の原材料使用に対する反発やネガティブ報道を見たことがあるので、レピュテーションリスクの大きさを考えるとこのサプライヤーとは取引しないと思う。だが、それを自分が知らなければ取引にゴーサインを出しているかもしれない」などの発言がありました。
また、ケースでは『取引しない』と判断したとしても現実的に担当する事業の業績が悪く、必ず目標達成しなければならない場合は受け入れてしまうかも、との意見もありました。取引しないとは別の方法として、再調査して詳細にリスク測定し、児童労働が事実なら改善後に契約する、という提案もありました。
「いずれにしても、経済価値と社会価値の両立は簡単ではありません。きれい事ばかりを言ってはいられない状況になった時、それでも別の手だてを考えるのがパーパス経営の本質だと思います。日本企業の多くは、稼ぐ部署と社会価値を創造する部署が縦割りで分業しています。これは本当のパーパス経営とは言えません。事業推進の中に組み込んで、全社員が経済価値と社会価値の両立を考えるのがパーパス経営の大事なところであり、難しいところです」
パーパス経営とは、商業的な価値と社会的な価値を両立させることで、多様なステークホルダーに価値を提供する経営です。企業にとってパーパスは道しるべになり、行き過ぎを止める防御壁の役割も果たします。実現には、長期的かつ逆算的な視点による計画の立案、各社員へのパーパス経営の思考の浸透が必要不可欠です。