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EY新日本有限責任監査法人 ライフサイエンスセクター
公認会計士 鶴田 雄介
<要約>
近年では、会計の世界が扱う財務情報と同様にサステナビリティ情報の重要性が指摘されています。サステナビリティのテーマは幅が広いですが、ここでは医薬品企業の財務・経理部門に属する読者を想定し、最低限知っておくべきサステナビリティに関するテーマの解説を行います。
近年あらゆる業界で、企業のサステナビリティへの取り組みやその情報開示に関して、投資家等ステークホルダーの注目度が高まっています。その理由はさまざまですが、企業価値評価における無形資産の重要性が高まっていることが主因の一つであると考えられます。図表1は時価総額に占める無形資産の割合について、米国市場(S&P500)と日本市場(日経225)を比較したものです。米国市場と比べて日本市場では、時価総額に占める無形資産の割合はまだ相対的に高くないものの、年々無形資産の重要性が増してきていることが読み取れます。
(注)時価総額(market cap)から純有形資産(net tangible asset value)を引いたものを純無形資産(net intangible asset value)としている。その純無形資産を時価総額で割ることでそのインデックスに占める無形資産を割り出している。
すなわち、企業の競争優位の源泉は、設備や不動産等の有形資産から、人的資本や知的財産資本の量や質、ビジネスモデル、将来の競争力に対する期待等の無形資産に変化してきているといえるでしょう。現行の会計基準では、無形資産については一部財務諸表に計上することを求めているものの(適用する会計基準により差異あり)、時価総額と有形固定資産の差額のすべてを無形資産として財務諸表に反映することは求めていません。そのため、上記のように時価総額に占める無形資産の割合が大きくなっている近年の状況においては、財務諸表の情報だけで企業価値の評価を行うことは難しくなってきていると考える投資家等が増えてきています。このような状況に鑑み、一部の投資家等の間では財務諸表に反映されている価値に加えて、サステナビリティ情報を考慮することで、企業価値評価を行おうという動きがみられています(図表2のイメージを参照)。
加えて、気候変動問題などの環境問題や人権問題などの社会問題の解決に向けた社会的な関心の高まりを受け、責任ある投資家としての役割を果たすべく、企業や産業界に対して関与を強める動きも一部の投資家においてみられています。
このように、もはやサステナビリティ開示は、一昔前のように一部署レベルが行うCSR活動の延長線上の問題ではなく、経営戦略の一環として幅広い領域において全社的に取り組むべき問題となっています。なお、サステナビリティ情報と財務情報とは結合性(コネクティビティ)が重視されており、有価証券報告書や統合報告書等について、作成者側も利用者側もその点を踏まえて作成・評価することが求められていることに鑑みると、サステナビリティ情報に関する取り組みと開示において、財務・経理部門がIRやサステナビリティ担当部門等関連部門と連携のうえ、果たすべき役割が増していることは言うまでもありません。
これら一連の動向に鑑み、日経225企業等大手企業を中心に、サステナビリティ報告書等を発行する動きや、その情報に対する信頼性を担保する観点から第三者保証を受審するケースも増えています。図3は、2020年1月及び2021年1月時点で日経225の構成銘柄となっている企業が発行したサステナビリティ報告書等について、第三者保証を受けているかについての調査の結果ですが、2021年については、日経225企業の99%がサステナビリティ報告書等を発行しサステナビリティ情報を開示しており、うち61%が第三者保証を受審しているという結果(図表3参照)であり、上記のような動きは今後も拡大することが見込まれています。
出所: 日経225企業におけるサステナビリティ報告書等の発行状況と第三者保証(検証)の受審状況、およびESG指数の選定銘柄(企業)との関連性について(2021年10月) - j-sus ページ! (jsus.org)よりEYが加工(2022年11月2日アクセス)
サステナビリティを巡る議論は今まさに発展途上にあり、サステナビリティ情報の範囲については、環境だけでなく社会に関するものにも広がってきており、さらなる拡大も想定されます。また、重視すべきサステナビリティのテーマは、事業内容や経営理念、パーパスなどを踏まえると業種や企業によって異なります。したがって、各企業がサステナビリティ関連活動や情報開示に取り組む際には、自社が重視すべきサステナビリティのテーマは何であるのか、そして、どの指標をモニタリングと開示の対象にすべきかを個々に検討する必要があります。
このように、重視すべきサステナビリティのテーマは各企業によって異なるものという性格を踏まえつつ、以下においては、読者の参考に資するべく、研究開発型の医薬品企業を想定して業種として特徴的な面を説明します。
まず、環境の観点は他の業種同様に医薬品企業においても重要です。確かに、医薬品企業の温室効果ガス排出量はエネルギー、運輸、素材・建設、農業・食料・林業製品などの業種と比較して大きくはありません。しかし、一般にサステナビリティの問題を考える際に、多くのステークホルダーが、気候変動のテーマを重視している点を考慮すると、医薬品企業も無視できるテーマではありません。事実、国内外の医薬品企業がサプライチェーン全体での温室効果ガス削減を目指して国際連携を行うという取り組みも始まっています。また、気候変動との関連性があると考えられる喘息(ぜんそく)や糖尿病など慢性疾患の発症率が上昇している点に鑑みると、このような疾患の治療薬を開発している企業においては、気候変動のテーマは真摯(しんし)に取り組むべきテーマの1つであるといえるでしょう。
では、環境以外の観点から医薬品企業が取り組むべきサステナビリティのテーマとしてはどのようなものが挙げられるでしょうか。疾病の管理と治療に貢献するという医薬品企業の事業の特性上、本業そのものが社会の観点との関連性が高いことは多くの企業で当てはまるでしょう。前述のとおり、各企業の実情に応じて判断することが基本であるものの、米国サステナビリティ会計基準審議会※1が開発した業種別指標(バイオテクノロジー・医薬品)を参考に検討している企業は多いようです。
当記事では、当該指標に加え、グローバル・レポーティング・イニシアチブ(GRI)※2などが開発した指標を参考に、医薬品企業がサステナビリティの観点から考慮すべき視点として、以下の4点を紹介することとします。
価値の種類 |
4つの視点 |
内容 |
---|---|---|
社会的価値 |
責任あるイノベーション アクセスとアフォーダビリティ 信頼性と品質 |
研究開発により、継続的なアンメット・メディカル・ニーズの疾患に対応 生命を救う医薬品が幅広く入手可能かつ合理的な値段になるように徹底することで公衆衛生を向上 医薬品の安全性と有効性の確保 |
環境的価値 |
気候変動による健康影響 |
温室効果ガス削減、水と廃棄物の管理により環境負荷を軽減 |
出所:バイオ医薬品企業がサステナビリティを重視して⻑期的成⻑を遂げる⽅法(EY)より筆者整理
これら4つの視点には、下表のとおりそれぞれ関連する詳細な指標が数多くあります。例えば、責任あるイノベーション関連指標としては、「ファストトラック指定などを受けた数」「上市したまたは後期臨床試験中の根治療法の数」「上市しているまたは後期段階のパイプラインを確保している希少疾患の数」などが考えられます。また、アクセスとアフォーダビリティに関連する指標としては、「医薬品アクセスインデックス(ATMインデックス)のスコア」などが考えられます。これらの視点を参考に、企業は自社のビジネスモデルや経営戦略に応じて優先すべき指標を選定していくことになるでしょう。
4つの視点 |
関連する詳細な指標の例 |
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責任あるイノベーション |
|
アクセスとアフォーダビリティ |
|
信頼性と品質 |
|
気候変動による健康影響 |
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医薬品企業はサステナビリティ経営の推進、投資家等ステークホルダーとのコミュニケーションに向けた情報開示の充実、関連規制への対応を実現するために、以下のような対応を進めることが考えられます。
「責任あるイノベーション」「アクセスとアフォーダビリティ」「信頼性と品質」「気候変動による健康影響」という医薬品企業が考慮すべき4つの視点を参考に、経営者のリーダーシップの下、財務・経理部門、研究開発部門、営業部門、ガバナンス部門、取締役会、IR部門、サステナビリティ部門、人事部門などの幅広い関係者が連携を行い、自社のビジネスモデルや経営戦略に合わせて指標の優先順位を決め、取り組みを進めることが重要です。
取り組むべき目標や指標に対する進捗状況を測定するために、枠組みの構築とモニタリングを行うとともに、情報開示やステークホルダーとのコミュニケーションの準備を行うことが重要です。特に医薬品企業は、本業そのものが社会的価値に直結する業種であるため、サステナビリティ戦略と経営戦略の関連性が分かるようストーリー性を持った情報開示とステークホルダーとの対話に取り組むことが重要です。例えば、「責任あるイノベーション」の観点は、新薬開発を行う医薬品企業においては特に重要なテーマですが、新薬開発に向けたイノベーションが、企業価値向上にどのように結びついていくのかを中期経営計画と整合する形で説明するといった情報開示・コミュニケーションを行っている事例が見られます。また、「アクセスとアフォーダビリティ」の観点からは、医薬品アクセスを高めるための取り組みの経営上の位置づけ(社会的責任の観点からの最低限の取り組みなのか、それだけでなく本業への影響もある戦略的な取り組みなのか)を説明するなどの情報開示・コミュニケーションを行っている事例が見られます。
国内外の各種開示規制等の動向に注視し、規制対応の準備をすすめることが重要です。例えば、日本においては、金融庁から内閣府令第11号「企業内容等の開示に関する内閣府令及び特定有価証券の内容等の開示に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令」が2023年1月31日に公表され、有価証券報告書等において、サステナビリティ全般に関する開示事項や人的資本、多様性に関する開示事項が新設又は拡充されています。本改正は、公布日(2023年1月31日)から施行され、2023年3月31日以降に終了する事業年度に係る有価証券報告書等から適用されており、2023年3月期の決算はサステナビリティ開示初年度として多くの日本企業で対応が行われました。今後も関連規制や開示は拡充されていくものと考えられるため、その動向を引き続き注視することが必要です。
情報開示及び規制対応に向けた具体的な準備としては、現状行っている開示内容との差異分析、関連部門との連携と対応部門の特定、開示スケジュールの検討、社内ガイダンスの作成、関係部門や国内外子会社からの正確な情報収集体制や開示プロセスの構築など内部統制の整備・運用が必要です。関連する内部監査体制の構築も必要となるでしょう。なお、日本企業においては、有価証券報告書作成の役割分担として、財務諸表パート(「経理の状況」)については財務・経理部門が責任を持ち、それ以外のパートについてはIR、人事部門、サステナビリティ部門等(財務・経理部門以外の部門)が責任を持つという役割分担がなされているケースが多いため、関係部門間の役割分担や連携が不十分な場合には、必要な開示が漏れるリスク、財務情報とサステナビリティ情報の結合性(コネクティビティ)を担保できないリスク等が生じるため留意が必要です。
上記内部統制の一つを構成するものですが、必要なサステナビリティ関連データを「特定」し、当該データを「収集」し、「活用」できるようにするといった一連のデータガバナンス体制の構築は、サステナビリティ経営の推進、ステークホルダーとのコミュニケーションとそのための情報開示、規制対応のいずれの観点からも重要です。財務データの領域ではすでに上記データガバナンスが進んだ企業が多く出てきていますが、サステナビリティ関連データについては、現状これらを十分に行えている企業はまだ少なく、特にデータの「収集」については、エクセルやE-mailを使ったマニュアル頼みの収集となってしまっている企業が多いのが実態です。しかし、財務情報と同様に、サステナビリティ情報を経営に活かすとともに、ステークホルダーコミュニケーションや規制対応のために正確かつ詳細な情報を適時に開示するためには、財務情報と同等レベルのデータガバナンス体制の構築が必要になると考えられるため、経営者のリーダーシップのもと、システム投資の必要性を含め、社内外のステークホルダーと議論を進めることが重要です。※3
サステナビリティ情報に対する第三者保証の受審も見据え、財務・経理部門はもちろん、サステナビリティ部門・IR部門・内部監査部門・会計監査人・ガバナンス責任者などとの連携を開始することが重要です。
従来サステナビリティ情報はCSR部門、サステナビリティ部門、環境衛生部門、人事部門が独自に管理していたケースが多いですが、これらの部門の組織体制はまだ充実しておらず内部統制の構築に関するノウハウも持っていないケースが多いです。この点、財務経理部門は財務情報に関して構築された内部統制を長年整備・運用してきた経験を有しています。そのため、トップマネジメントをサポートし、サステナビリティ部門と協力して、サステナビリティ経営の推進、ステークホルダーとのコミュニケーションとそのための情報開示、規制対応を進めるための一翼を担うことが期待されるでしょう。
※1 米サステナビリティ会計基準審議会(SASB)は国際統合報告評議会(IIRC)と合併してバリュー・レポーティング財団 (VRF)となった後、執筆時点(2023年12月)ではIFRS財団傘下の国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)に統合されています。上述のSASBが作成した業種別の指標は、ISSBが作成したIFRSサステナビリティ開示基準に取り込まれています。
※2 グローバル・レポーティング・イニシアチブ(GRI)は、米国の非営利団体組織であるCERES(Coalition for Environmentally Responsible Economies)と国連環境計画との合同事業として1997年に設立されました。持続可能性報告書に掲載する情報を、財務報告書並みのレベルに高めることを目的としています。
※3 経済産業省 サステナビリティ関連データの効率的な収集及び戦略的活用に関する報告書 (中間整理)(www.meti.go.jp/shingikai/economy/hizaimu_joho/data_wg/pdf/20230718_1.pdf〈2023年12月17日アクセス〉)の26頁27項を参考に筆者が整理した。
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