ESGが各国の政策に取り込まれたことで生まれる新たな競争のルール

ESGが各国の政策に取り込まれたことで生まれる新たな競争のルール


気候変動や人権問題が様々な産業活動に深刻な影響を与えるようになったことにより、ESG(環境・社会問題・ガバナンス)は経済問題になりました。

新型コロナウイルスの感染拡大でESGシフトは一段と加速し、消費者や投資家は「環境、人権に配慮した製品やサービスを選びたい」と考えています。各国が貿易をはじめとする政策にESGを取り込んだことで、ESGが新たな競争のルールになりつつあります。
 

ESG投資の2020年における最新動向

例えば環境問題はかつて環境専門家やNGOが議論の主役でしたが、今は市場が形成され、多くの企業が「環境に優しい事業が収益につながる」と考えています。投資家もESGを投資先選別に活用し始め、経済の流れが変わりました。

日本では2017年の年金積立金管理運用独立行政法人(以下、GPIF)によるESG指標の導入がきっかけですが、グローバルでは2015年のCOP21(第21回気候変動枠組条約締約国会議)あたりから環境問題を経済問題として扱い始めており、投資家が主役に登場したことで議論が加速しました。これに呼応する形で各国がESGを経済や貿易政策にインテグレート(統合・包摂)し始めたのです。

今、世界は新型コロナウイルスの感染拡大で苦しんでいます。そのため、欧州を中心にパンデミック後の経済を環境で復興し、脱炭素社会や循環型経済を実現しようという動きがあります。コロナ禍はデジタル化を進め、働き方や生活様式を変えました。また、従業員の安全に対する意識を高め、地産地消型産業を見直し、企業のサプライチェーンの再構築を促しました。本格的な気候危機が起きる前に、コロナ禍がディスラプト(創造的破壊)した形になります。「ディスラプトされるのなら、元に戻って繰り返し同じリスクにさらされるのではなく、新しい社会を作って適応してしまおう」という機運が高まっています。


ESGが経済活動に包摂された根本的な理由とは

前述の通り気候変動は経済問題として認識されはじめました。世界では毎年のように大きな自然災害で、家や橋などのインフラが壊されています。「作っては壊され」の繰り返しとなると、そこへ投下した資本を回収することができません。

本来、こうした社会資本は国家の問題ですが、国だけでは資金が足りず、また具体的な解決策は企業によるイノベーションが期待されています。こうした背景から、民間投資の参画と企業によるSDGsなど社会課題の解決が求められるようになりました。

これまでのビジネスでは「安い方が売れる」と考えられてきた節があります。この考えは生産効率を向上させますが、環境破壊や労働搾取の横行により、必ずしも富が適正に分配されていたとは言えません。今の消費者や投資家は、サステナビリティやESGに高い意識を持っています。これらの人々は、製品やサービスそのものの機能や価格だけでなく、どういった会社がどのように作ったかにも注目し、会社全体の質を購買決定や投資判断に取り入れるようになり始めています。企業のESG情報開示は、こうした消費者や投資家に企業選びの新たな判断材料を与えるものであり、企業にとっては他社と差別化を図る要素にもなります。

自由貿易の観点から、価格は市場が決めるものであると言えますが、その価格設定は公正なものでなくてはいけません。環境や人権に関してデュー・デリジェンスや開示義務を課す、あるいは関税をかけるといった政策は、道徳的価値観を追求するものである一方で、同時にそれが非関税障壁となり、国内産業を保護する役割も担います。こうしてESGは各国の経済や貿易政策に包摂され、競争上のルールになってきたのです。
 

日本企業のESGへの対応

国際競争にさらされているグローバル企業の危機意識は高く、うまく対応しはじめていると言えるでしょう。しかし中には「人並みに形だけでも」という程度で考える企業もいます。

日本はバブル経済崩壊からこれまで「失われた30年」と言われています。明らかに情報技術や人材に十分な投資をしてきませんでした。こうした投資はバランスシートには現れませんが、投資家はバランスシートに載っていないこれらの無形資産に注目しています。

今回のコロナ禍で日本のデジタル化における大きな遅れが露呈しました。さらに、ESG領域でも対応が遅れれば、日本の競争力低下につながる可能性があります。日本の経営者が伝統的に育んで来た地域社会とのつながりや、現場力の向上、取引先も含めた長期的な関係構築や共存共栄意識など、今ここでESGをもって日本の本来の経営を取り戻し、グローバルに生かしていかなければなりません。
 

自国優先主義がESGの妨げになる可能性

ESGの気候変動や人権などは人類共通のテーマで、一国で完結するものではありません。近年は民主主義の負の側面があぶり出されていますが、人類共通の課題に対応するには、これらの超大国を包摂したグローバルな枠組みを作る必要があります。

一方で、コロナ禍で明らかになったように、民主主義の政治は時間とコストがかかるほか、結論も左右の間を取る妥協にならざるを得ず、むしろ独裁的な強権の方が社会を変えやすいと言われています。変化を生むためには政治への信頼、そして強力なリーダーシップが必要です。

他方、民主主義の成熟は、最終的に大きな流れを作る力になっているとも考えられます。例えば、欧州ではESG投資が盛んですが、その背景には市民社会の成熟があるように見受けられます。欧州では自分の年金の掛け金がどこに投資されているかが分かる仕組みになっており、国民が「環境を破壊する企業に投資をしてほしくない」など、投資先を自分で選ぶことができます。

日本でもGPIFがESG投資を始めたことにより、国民は多くの企業の株主になります。GPIFがESGに注力し、企業がSDGsに貢献することは、長期的に企業と国民の利害を一致させるものです。私たち国民がどのような社会を作りたいか、その社会創りにおいて応援したい企業はどこかを自ら考え、行動することが問われることになります。



サマリー

2015年のCOP21あたりから経済問題として扱われ始めたESGの動きは新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに加速し始めました。国際競争にさらされているグローバル企業の危機意識は高く、今の消費者や投資家は、サステナビリティやESGに高い意識を持っています。GPIFがESG投資を始め、国民が多くの企業の株主になった今、日本の経営者もESGをもって日本の本来の経営を取り戻すことが求められます。


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