ケーススタディ

人的資本経営を推進し、企業価値を向上させるシスメックスの戦略

人的資本経営に注力するシスメックス株式会社(以下、シスメックス)は、人的資本戦略と経営・事業戦略を一体として取り組むことで、企業の成長を推し進めてきました。コロナ禍による働き方の変化や、DX、ESG投資への注目度が高まるなか、EYと連携することでより一層、人的資本を企業価値の向上につなげています。シスメックスにおける取り組みやアプローチを紹介します。

The better the question

社会の変化にあわせた人材マネジメント改革とは?

人的資本経営が注目される以前から人材への投資を積極的に行ってきたシスメックス。その取り組みを事業の推進力とするため、人材マネジメント改革に乗り出しました。

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挑戦と成長に向けて人的資本を強化・活用

「ヘルスケアの進化をデザインする。」をミッションに掲げる医療機器メーカー シスメックス。1968年の創立以来、検査機器・検査薬などを主力に成長し、現在は世界190以上の国や地域で事業を展開しています。

2007年の経営戦略の中に人材戦略を組み込むなど、早くから人材の重要性に焦点を当て、戦略的な人材育成に取り組んできました。そして、2019年5月に発表した中期経営計画では、重点アクションの1つに「グローバル共通の人事制度の導入およびグローバル人材データベースの構築」を設定し、人材マネジメント改革を推進しています。

「人材マネジメント改革の目的は大きく4つあります。それは『人材配置の適正化』『高度専門人材・リーダー候補人材の確保』『従業員の多様な価値観への対応』『人的資本の可視化と改善サイクルの構築』です」と、シスメックス人事本部長の前田 真吾氏は話します。

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図1:シスメックスレポート2023

出所:「シスメックスレポート2023」
sysmex.co.jp/ir/library/annual-reports/Sysmex_Report_2023.pdf

「メディカルロボットなどの治療領域は成長が見込まれる市場で、当社にとって新たな挑戦となる領域です。こうした新規事業への投資を集中・加速させる一方、既存事業もバランスよくグローバルに拡大していくため、人材の適正配置が急務となっています。

同時に、新規事業を担う高度な技術・知見を持った専門人材や次世代リーダーの確保も必要で、リクルーティング市場での競争力を高めるとともに、内部育成やリテンション施策の強化に取り組んでいます。

また、従業員の国籍や世代、知と経験、専門性、価値観などが多様化・複雑化する中で、従来型の一律的な人材マネジメントから脱却し、一人ひとりのスペックやキャリア志向に応えていくことも重要です。特に若年層の会社に対する帰属意識や価値観は過去とは別物で、社会と同様に会社も変わっていかなければなりません」

シスメックスは、海外売上比率、外国法人等持ち株比率がともに高いこともあり、2015~16年ごろの比較的早い段階で非財務価値に着目し、積極的に情報を開示してきました。近年の人的資本経営に対する注目度の高まりを受け、生産性やエンゲージメントの向上に向けた施策の成果を定量的に把握し、よりリアリティを持ってステークホルダーに開示していくとともに、継続的に改善を図っていく仕組みを構築することも求められていました。

こうした事情も踏まえ、2019年にジョブ型人事制度を核とする人材マネジメント改革が本格的にスタートしました。またコロナ禍でハイブリッドワークが主体となったことも後押しとなりました。

前田 真吾 氏 シスメックス株式会社 人事本部長

前田 真吾 氏
シスメックス株式会社 人事本部長

労働生産人口が減少していく日本において、優れた人材をどれだけ蓄えることができるか。それが人的資本経営の一番のポイントだと考えています

人的資本の可視化サイクルを継続的に回していくことで、経営の価値最大化を図る

The better the answer

人的資本の可視化サイクルを継続的に回していくことで、経営の価値最大化を図る

ジョブ型人事制度をはじめとした一連の人材マネジメント改革によって従業員の自律的なキャリア形成を促すとともに、人的資本の可視化を通じた改善サイクルを回しています。その実行と改善のサイクルは企業価値を向上し続けています。

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多様性を尊重するシスメックスの人事制度のあり方

人材マネジメント改革の基盤となっている思想が、グループ企業理念「Sysmex Way」で掲げる各ステークホルダーへの提供価値「Shared Values」です。この中で、従業員に対する提供価値を次のように明示しています。

“多様性を受け入れ、一人ひとりの人格や個性を大切にすると共に、安心して能力が発揮できる職場環境を整えます。自主性とチャレンジ精神を尊重し、自己実現と成長の機会、成果に応じた公正な処遇を提供します。”

「人事制度改革というと、グレード付けや評価の仕組み、待遇などに気を取られがちですが、それは最優先事項ではありません。人事部にとって第一のお客さまは従業員であり、人事制度が誰のためにあるのかと言ったら従業員のため。会社と従業員は対等であることが前提で、キャリアの選択権を従業員自身が持ち、かつ、楽しんで選べるような独自性のある仕組みでなければ意味がないと考えています」

EYは、初期段階からシステム実装を見据えたグローバル・タレント・マネジメントに関する提案を行ってきました。施策の核となるジョブ型人事制度の設計では、制度を実際に機能させること、従業員の納得を得ることを重視し、既存のフレームワークに終始した形式的な対応ではなく、役員や現場へのヒアリングを繰り返し実施。グローバルHRポリシーの策定、グローバル統一の人事制度の導入、グローバルでのポジション管理やタレントマネジメントを行うための人材ポートフォリオの構築などを支援しました。

そして、グローバル統一のジョブ型人事制度を2020年4月に管理職・専門職へ導入し、翌年10月からは一般従業員にも適用しています。

「ジョブ型人事制度への転換によって、ジョブディスクリプションを起点に個人の属性やスキルを可視化し、ポートフォリオとして人的資本を管理できるようになりました。事業や技術戦略と人材ポートフォリオのギャップが見えるようになったことも大きな効果です。
従業員から異動の希望を募って新たなキャリアへの挑戦を支援する『キャリア申告制度』は、以前より機能するようになりました。現在、現部署の残留希望も含めて6~7割の希望を実現できています。また、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)と共同で独自に開発した、人材と職場をマッチングさせるアルゴリズムも、自律的なキャリア形成を促進する上で効果的に働いています」

図2:アプローチ「シスメックスにマッチした」ジョブ型人事制度を導入する

シスメックスの人材マネジメント改革をEYがサポート

制度や仕組みの検討と並行して行ったシステム基盤の検討では、「SAP® SuccessFactors®」および「Qualtrics EmployeeXM」の採用を決定。SAPの豊富な導入実績やグローバルのベストプラクティスを熟知するEYの知見が生かされました。システムの導入によって、人的資本の測定・分析・開示、および戦略との整合を取りながら、さまざまな切り口で改善を図っていく仕組みを構築・運用しています。

2023年10月には、人的資本に関する情報開示を定めた国際規格「ISO 30414」を取得。一連の人材マネジメント改革を一過性で終わらせず、データ収集・課題の抽出・改善という人的資本の可視化サイクルを継続的に回していくことで、人的資本の価値最大化を図っています。
なお、シスメックスは、今回のISO認証取得を人的資本以外の環境なども含めた開示媒体「サステナビリティデータサイト」で行いました。大半の企業が「Human capital report」という人的資本にフォーカスした対外的なレポートとセットで取得するところ、通常とは異なる形式のため、EYが現実的な着地点を見いだしていきました。

「EYとは納得するまで何度も議論を重ねてきました。でも、それが良かったのでしょうね。多様な視点でさまざまな人の意見を聞きながらプロジェクトを進めるのは健全です。EYの皆さんは、今回の人材マネジメント改革が“当社のためのものである”という視座を持ち続け、最後まで伴走してくれました。『パートナー』だと思っています」

人事制度改革は人事部門の人材育成という側面もあります。これまでとは違う制度、やり方を自分たちで考え、自分たちで動かす。その意味では、人事部門のリスキリングとなりました

経営・事業・人的資本戦略を三位一体で語れる企業が競争力を発揮する

The better the world works

経営・事業・人的資本戦略を三位一体で語れる企業が競争力を発揮する

人的資本経営の先進的な取り組みで注目を集めるシスメックス。人材マネジメントを担う人事部門の役割が今後変化していくことを予見しています。

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人材への投資が将来の企業価値につながる

シスメックスは2010年度から15年度にかけて、毎年過去最高益を更新。この間に売り上げは約2倍、従業員数は約1.5倍に拡大しました。翌年以降も業績を維持・拡大するため事業や開発への投資は積極的に行ったものの、人的資本に対する投資額はやや停滞。その結果、2015年度まで順調に伸びていた一人当たりの付加価値生産性はその後数年にわたって伸び悩みました。

「日本企業の多くが『人は大事』と口をそろえて言うものの、いかに人材に投資して、企業価値の向上につなげるかという文脈は、過去30年くらい忘れられてきました。しかし、非財務資本と言われるものの多くには、人が関与しています。人的資本は、会計上はオンバランスされませんが、将来の財務価値を生み出す極めて重要な要素。人に対する投資を怠ると、従業員のエンゲージメントは少しずつむしばまれ、中長期的な業績に影響します」

人材マネジメント改革がスタートした2019年以降は人的資本に対する投資額が大幅に増加。以前は業績と連動させていた賞与原資を、付加価値生産性の数値と連動させるという改革も行いました。その結果、付加価値生産性は飛躍的に向上。成果はエンゲージメントサーベイにも表れており、「貢献意欲が高く、長く勤めたいと考えている従業員が約5割という結果が出ています」と前田氏は話します。

図3:付加価値生産性・人員数の推移(シスメックスグループ)

出所:シスメックス株式会社提供資料より

「ジョブ型人事制度は特にこれから新しく入ってくる人たちにメリットがあります。若い世代に『シスメックスで働きたい』と思ってもらえる魅力的な環境をつくらないと人は集まりません。従来型の年功序列で、『石の上にも三年、それまでは我慢して努力しなさい。会社や上司の言うことは聞きなさい』というやり方で、今後どれだけの人材が残ってくれるでしょうか」

日本企業の人事制度はメンバーシップ型が主流で、企業規模が拡大し続けているうちはポジションを増やすことはできますが、規模を無限に拡大していくことは現実的ではありません。ある程度まで成長した企業が永続的に存続・成長していくためには、ジョブ型の人事制度を検討することも有効と考えられます。

「人的資本経営に関する議論はさまざまな意見があり、何が正しくて何が間違っているのかまったくわかりません。ただ、これが1つの正しい姿ではないでしょうか。それぞれの企業の独自性をどう表すかが大事であり、他社の成功事例や一律的な答えを探しても競争に勝ち残るのは厳しいと思います。経営戦略・事業戦略・人的資本戦略を三位一体で、自社の言葉で語れる企業が競争力を発揮していくのではないかと考えます。」

人的資本経営は手間がかかります。性悪説に基づく従来の労務管理とは違って、性善説でどれだけやる気を引き出すかが肝心です

終わりに

シスメックスは、人的資本経営という言葉が注目される前から、経営戦略と人材マネジメント改革を連動させ、グループ全体の人的資本価値の最大化と多様な人材が活躍できる環境を実現しようと取り組んできました。その先見的な取り組みの基盤となっているのが、“人材に対する確固たるビジョン”と“定量化と継続的な改善の仕組みづくり”です。現在、多くの企業が人的資本の価値向上を目指しているものの、将来の財務価値への影響や関連性を定量化できているケースはまだまだ少数です。人的資本戦略はその企業独自のものであるべきですが、人的資本戦略と経営・事業戦略を一体的に考えるというシスメックスの考え方は汎用性があり、多くの企業にとってヒントになるでしょう。

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
パートナー
田口 陽一



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