EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
EU(欧州連合)における執行機関である欧州委員会(European Commission)は2021年7月14日、EU域内に輸入される一定の物品に関して、EUの炭素価格基準によるコストの負担を輸入者に求める新しい炭素国境調整メカニズム(CBAM/ carbon border adjustment mechanism/ mécanisme d'ajustement carbone aux frontiers)の規制(regulation)案を発表しています。1
この炭素国境調整メカニズムは、これだけで単独の施策としてあるわけではなく、同じ2021年7月14日に発表された、EUにおける気候変動施策の目標である2030年までに温室効果ガスの排出を1990年比55%削減する目標を達成するための提案施策のパッケージ、Fit for 55の一部を構成しています。2
Fit for 55の提案施策は主に、価格措置(pricing)による金銭負担と基準や規則の強化に分けることができます。後者の基準や規則の強化には乗用車や軽商用車の二酸化炭素排出削減目標を2035年より100%とするという提案などが含まれています。3
炭素国境調整メカニズムは前者の価格措置に含まれ、他の価格措置としては、EU排出量取引制度(EU Emissions Trading System)の海運及び航空業界への適用拡大などが挙げられます。4
炭素国境調整メカニズム導入の背景としては、カーボンリーケジ(carbon leakage/炭素の流出)の防止として説明されています。気候変動とはいうまでもなくグローバルな対応を必要とするグローバルな課題です。EU内だけで気候変動に係る目標が引き上げられ、EU域外ではあまり厳しくない環境・気候変動施策が適用されていたとしたら、EUの企業が多くの炭素を排出する生産活動をEU域外に移転する、あるいはEUの製品が多くの炭素を排出する輸入製品に置き換わってしまうリスクがあると考えられます。
炭素国境調整メカニズムは、炭素排出コストがEU域内製品と輸入製品とで平準化され、生産活動が規制の緩やかな場所に移転することによりEUの気候変動目標達成が阻害されないようにすることを目的にしています。5
基本的な枠組みとしては、「EUにおける輸入業者は、製品がEUの炭素価格ルールに基づいて生産されたものと同様の炭素排出権を購入する。他方、EU域外の生産者がEU域外における生産の際に支払った炭素価額があれば、当該価額はEU輸入業者において控除される」、というものです。このメカニズムを通じて、EU域外の生産者における生産プロセスの脱炭素化が進み、カーボンリーケジリスクが減少すると考えられます。6
より具体的な規定としては、炭素国境調整メカニズムの規制案によれば、税関から物品を引き取る輸入業者は、毎年5月31日までに前年に関してのCBAM(炭素国境調整メカニズム)申告を行うことになります(規制案6条)。7
CBAM申告で必要になる情報は、以下の3点になります:
(a) 輸入された物品の総量(物品の場合はトン、電力の場合はメガワット時)
(b) 排出総量(トンもしくはメガワット時あたりの二酸化炭素、亜酸化窒素及びフルオカーボンの排出量)
(c) 排出数量に対応する提出されるべきCBAM証明書(certificates)の数量(生産国において支払われた炭素価格(carbon price)の控除及び無料配布のEU ETS(排出量取引)控除に基づく調整後)
上記 (c) の生産国で支払われた炭素価格とは、物品の生産プロセスにおいて排出された温室効果ガスに基づいて税あるいは排出量取引制度における排出権の形で第三国において支払われた金額を指すとされています。8
CBAM証明書については、各EU加盟国の政府当局がCBAM申告者に販売することとなっています(規制案20条)。そしてCBAM証明書の価格は、欧州委員会がEU排出量取引制度のオークションプラットフォームにおける排出権の平均終値として計算するとしています(規制案21条)。CBAM申告者は申告期限と同じ毎年5月31日までに、申告された排出量に対応するCBAM証明書を政府当局に提出することが求められます(規制案22条)。CBAM証明書の提出義務を怠った場合には罰金が科せられます(規制案26条)。
炭素国境調整メカニズムはすべての輸入物品に適用されるわけではありません。規制案において適用対象とされているのは以下の物品となります(規制案別表I):
規制案別表Iではさらに、物品カテゴリごとの詳細としてEUの共通関税率表を引用しています。9 例えば、セメントの下位区分としてセメントクリンカーがありますが、共通関税率表の分類(CN)コードは2523 10 00、排出する温室効果ガスとして二酸化炭素とされています。
これらの物品が対象として選ばれた理由として、炭素排出及びカーボンリーケジが高いことに加え、炭素国境調整メカニズムの導入にあたっての現実的な執行のし易さ(feasibility)も考慮されています。10
また、炭素国境調整メカニズムの対象となる温室効果ガスの排出は、生産の過程で直接排出されたものとされています。11 しかしながら、後述する移行期間終了後に、欧州委員会は、当該物品に係るより下流のヴァリューチェインの製品に対象を拡大することを含めたメカニズムの対象物品や、物品生産時に使用された電力から排出された温室効果ガス等、間接的な排出にまで対象を広げるかどうか検討することとしています。
炭素国境調整メカニズムに係るCBAM証明書の購入を通じた金銭的負担はただちに開始されるわけではなく、移行期間が定められています(規制案36条)。2023年1月から2025年末までは移行期間とされており、この移行期間中にCBAM証明書の購入、提出は必要ありません。しかしながら、移行期間中は物品の輸入者は四半期ごとにCBAM報告書を提出することが求められています(規制案35条)。CBAM報告書の内容は3.で述べたCBAM申告書の内容と類似していますが、以下の4点になります:
(a) 輸入された物品の総量
(b) 排出総量
(c) 間接排出総量
(d) 生産国において支払われた排出数量に対応する炭素価格
上記 (c) の間接排出総量はCBAM申告書にはない報告内容となっています。間接排出量とは、物品の生産プロセスにおいて消費された電力、熱及び冷却を作り出すことによる排出を指します。12 現段階では間接排出量はCBAM証明書の購入、提出の対象とはされていませんが、移行期間において間接排出量の報告を求める理由は、本格実施の際のメカニズムの対象を再検討の資料とするためだと考えられます。
また、移行期間中であっても、CBAM報告書の不提出には政府当局により罰金が科せられることになっています。
2026年1月よりメカニズムは本格実施されることになっています。
このEUの炭素国境調整メカニズムは企業にどのような影響を与えるのでしょうか。3点挙げると、まず、2023-2025年末は金銭的負担の伴わない移行期間とはいえ、罰則もあり得る報告義務が課されるため、少なからぬ事務負担が生じることが見込まれます。
第二に、当初適用対象となるセメントや鉄鋼等の物品はEUにおける日本からの輸入シェアが非常に低く、日系企業への影響は限定的という見方もあります。しかしながら、適用対象となる物品は本格実施を経て広がっていく可能性も十分にあります。
第三には、メカニズムの価格設定はEUの排出量取引制度とリンクしており、EUにおける炭素価格設定がグローバルな基準として発展して行く可能性、さらには、当該可能性に対するアメリカや中華人民共和国等のグローバルプレイヤーの政策的反応です。
EUの炭素国境調整メカニズム案発表とほぼ同じタイミングで中国では排出権取引(全国碳排放权交易)が始まっています。米国においても、EUのような炭素国境税の導入が検討されているとの報道もあります。EUだけではなくグローバルな政策の方向性に注視が必要でしょう。
【執筆者】
荒木 知
(EY税理士法人、タックスポリシー・アンド・コントロバーシー、ディレクター)
国内及び海外における税制リサーチや税務調査を含む政府当局対応担当。元熊本国税局調査査察部長。一橋大学博士(経営法)。
※所属・役職は記事公開当時のものです。
脚注
EUにおける執行機関である欧州委員会は2021年7月、EU域内に輸入される一定の物品に関して、EUの炭素価格基準によるコストの負担を輸入者に求める新しい炭素国境調整メカニズム(CBAM)の規制案を発表しています。
EUは持続可能な開発目標の達成をどのように域外に働きかけるのか
EUの炭素国境調整メカニズム(Carbon Border Adjustment Mechanism「CBAM」)は、国際貿易に大きな影響をもたらす可能性があります。