金融機関が排出量削減というミッションに取り組むべき理由とは

金融機関が排出量削減というミッションに取り組むべき理由とは


脱炭素化の加速は急務であり、その推進には民間金融機関の力が不可欠です。


要点

  • 企業は、脱炭素を資本配分と意思決定に取り入れるという大きな課題に直面しており、政府が打ち出す政策に一貫性がないことが行く手を遮っている。
  • 意識改革を行い、大規模な移行支援を成功させるためには、体系的かつ段階的な枠組みが必要と考えられる。
  • 企業の脱炭素化の取組みで重要性が高まっているのは、気候変動対策への自然環境という要素の組み込みと公正な移行の確保という2つの領域である。

脱炭素化の勝負の10年(decisive decade)に入りしばらくたちますが、1.5°Cという決して容易ではない目標の達成はますます難しくなっているように見受けられます。2023年7月の世界の平均気温は過去最高を更新しました。また、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書1によれば、2021年から2040年までの間の人為的な気温上昇が1.5˚Cに達する可能性が高いことが判明しています。国連の第1回グローバルストックテイク2では、「志を高く持ち、現在のコミットメントを実行するための時間的猶予が急速に少なくなってきている」として、脱炭素ファイナンスを世界的に大幅に増やす必要性が強調されています。

しかし現状として、脱炭素に向けた取組みを拡大させることは困難です。マクロ経済学面と地政学的面の逆風が、資本コストを上昇させ、リスク感応度を高めています。さまざまな要因によって投資可能なプロジェクトに制約がある途上国市場では、その必要性が特に深刻な状況に陥っています。

石油・石炭需要が急増している一方、再生可能エネルギーの推進が本格化し、電化が進み、低炭素型サプライチェーンの強化が図られているなど、グリーンファイナンスやトランジションファイナンスへの投資需要には明るい兆しも見えてきました。科学的根拠に基づく目標を設定する企業が増え、欧州連合(EU)の域内排出量取引制度(ETS)や中国の国家ETSなど炭素市場の成長が脱炭素化を促進しています。

また、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)のサステナビリティ基準の最終版、EUの欧州グリーンディール産業計画や政策パッケージ「Fit for 55」、米国のインフレ抑制法、ASEANのグリーンタクソノミー、(まだ政策化されていませんが)英国の移行計画タスクフォース(TPT)の進展など、政策や規制にも前向きの変化の兆しが表れています。

とはいえ、世界全体を見ると、COP27からCOP28までの進捗は遅々としており、変革といえるほどではありません。現在の世界全体の資金調達額では、必要な金額に遠く及ばないのが現状です。国際エネルギー機関(IEA)によれば、2050年までにネットゼロを実現するには、クリーンエネルギーと関連インフラに、現在の3倍近くに当たる4兆米ドル3を毎年投資する必要があるとされています。また、IPCCの2023年の報告書では、2020年から2030年までの世界の平均気温上昇幅を1.5°Cか2°C未満に抑えるには、気候変動ファイナンスを現在の3倍から6倍に増やす必要があると予想しています4。

こうした困難を乗り越えるために民間部門が果たす役割は極めて大きく、金融機関がその先頭に立つべきです。座礁資産化による脅威、グリーンウォッシングに伴うレピュテーションリスクや道義的責任など、手をこまねいていることによるリスクの高まりを受けて、金融機関の意欲も徐々に高まってきました。自らの変革を進め、政府と連携して、障害を取り除き、投資を喚起することが求められます。

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第1章

脱炭素化への次なるステップ

脱炭素に向けた取組みの障壁やトレードオフを克服するためには、リーダーシップと企業文化の変革、段階的な実施が必須です。

この1年間の地政学的・経済的な混乱により、脱炭素化の進め方を変えざるを得なかった金融機関もありますが、長期目標の変更や既存の計画の中止を行ったケースはほとんどありません。とはいえ、1.5°Cの目標達成に向けた進捗は遅々として進んでおらず、こうした状況を変えるためにも、金融機関が率先して脱炭素化に向けた取組みを次の段階に進める必要があります。

それには、抜本的な転換として、脱炭素を資本配分戦略やバランスシート管理、投融資戦略、ポートフォリオの再構築に取り入れる必要があります。資本配分の決定に排出量削減を取り入れることで、短期的リターンの減少と長期的利益のバランスや、脱炭素化の実現を早めることを目的とした金融に係る排出量の短期的な増加など、脱炭素化に当たり困難かつ必要なトレードオフも浮き彫りになります。

こうしたトレードオフに対処し、長期的なサステナビリティを優先させる上で必要な考え方を根付かせるには、投資とリーダーシップの発揮、カルチャーの変革が必要です。また意思決定者のインセンティブを長期目標に沿った適切なものにするには、適切なKPIと報酬体系が不可欠であるとともに、信頼性に欠けるデータなど、技術面の障害という根強い課題に立ち向かう必要もあるでしょう。

企業の取組みを妨げ続けているのが、拙速で一貫性に欠ける政府の支援策です。Climate Action Trackerによる分析の結果から、世界全体の排出量の90%を占める国々がネットゼロを目標として設定しているものの、その目標の4分の3近くがあいまいか不十分であることが判明しています。またその短期目標が説得力を持たせるに十分な意欲的なものではないことも深刻です。その結果として、金融機関が脱炭素化の短・長期的パスウェイをしっかりと描く必要がある環境がますます複雑なものとなっています。

どの企業もネットゼロ達成までの道筋を描かなければなりません。EYのDecarbonization Lifestyle frameworkなどのツールは、金融機関の脱炭素化の管理・モニタリングを可能にするだけでなく、財務面やカルチャー面の課題を乗り越え、長期的な成果の実現に不可欠な人材やシステム、データへの先行投資をしやすくするサポートも可能です。


脱炭素化とは、一過性のものではなく、段階的に繰り返す必要のあるプロセスです。金融機関による対応が脱炭素化の最優先セクターから重要性の低いセクターへと移行するのに伴い、また新たなデータやガイダンスが出てくる中で、Lifecycleのようなフレームワークを繰り返し利用する必要があると思われます。脱炭素に向けた取組みを複数の段階に分けることで、優先領域のマッピングもしやすくなります。現在の一般的な重点領域は、以下のとおりです。

  • ネットゼロ戦略と経営戦略、リスク戦略のひも付け:主要な戦略と戦略決定プロセスを見直し、脱炭素化計画に合わせたリスクアペタイトや事業目標を設定し、計画立案・ストレステストに排出量削減を取り入れること。
  • 手法と基準の進化:セクターのパスウェイを、科学的根拠に基づく目標設定イニシアチブ(SBTi)の金融機関向けネットゼロスタンダード(FINZ)など最新の手法ガイダンスに合わせて逐次修正する。目標を設定するだけでなく、CO2排出量削減に加え、ポートフォリオの移行も目標に沿ったものになるよう注力し、手法やデータ、ガイダンス、基準の変化に合わせてアプローチを進化させ続けること。
  • 政策立案者との緊密な連携:公共セクターの政策対応やパートナーシップなしでは成果を上げにくい分野を中心に、緊急性と重要性が極めて高い領域に、政策立案者と協調体制で取り組むこと。
  • 具体化:適切なKPIとインセンティブを導入し、製品やサービスを管理する枠組みづくりをし、現在までの排出実績のモニタリングと1.5°C目標に沿った排出量シナリオの策定をし、モニタリング体制と脱炭素化に対応できるデータケイパビリティを構築し、人材育成に投資し、具体的な行動を起こすのに必要なガバナンスを確立すること。
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第2章

重点領域の拡大

持続的な成功には、自然環境を守り、社会的損害を防ぐ脱炭素戦略を選ばなければなりません。

脱炭素への取組みを進める中で、金融機関が現実的な移行を目指すのであれば、温室効果ガス(GHG)排出量削減以外の多くの分野にも力を入れることが必要になります。脱炭素化を効果的かつ永続的なものとするために戦略に盛り込むべき2つの重要なトピックについて、以下に詳しく取り上げます。

1. 気候と自然を統合的に検討する

確実に脱炭素化を実現するためには、自然環境への脅威の軽減は不可欠です。自然環境の保護なくしてネットゼロは実現できず、また気候安定化なしに自然環境を回復させることはできません。自然環境の保全と気候変動の緩和は相互に補強しているのです。

自然環境の保護は経済も強化する
受粉や炭素隔離、海面漁業など生態系サービスの崩壊によるコストは、2030年までに世界の年間GDPの2.3%、金額にするとおよそ2.7兆米ドルに達すると試算されています。(出典:The Economic Case for Nature: A global Earth-economy model to assess development policy pathways, World Bank, 2021)

自然関連目標を脱炭素化の枠組みに取り入れれば、生物多様性ファイナンスにおいて年間8億米ドルが不足している現状に対処する一助となるでしょう5。その重要なステップは、自然関連のリスクと機会の重要度の評価、重点領域(陸上生態系や淡水生態系、海洋生態系における利用の変化など)の優先順位付け、必要な対応、リソース調達、そして情報開示の計画などです。

自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が、リスク管理と情報開示において自然環境を考慮する枠組みを定めていることもあり、自然環境に基づく依存関係の評価や自然に関連したリスクの評価については、作業を一からスタートさせる必要はありません。TNFDは自主組織ですが欧州財務報告諮問グループ(EFRAG)とISSBがすでにTNFDと足並みをそろえるべく取組みを進めるなど、今後影響力を持つことはまず間違いありません。

TNFDが推奨する中核的手法「LEAP」アプローチとは、自然と接点のある主要な自社活動の特定、その依存状態と影響の評価、生じるリスクと機会の特定・評価に加え、それを受けた対応準備と適切な情報開示の進め方を提示するガイダンスです。それ以外にも、自然関連要素を既存のリスク管理システムに組み込む金融機関向けのLEAP-FIアプローチもあります。

TNFDの枠組みは、自然の力を活用した解決策(nature-based solutions)や持続可能なサプライチェーン、除外ポリシーなど、脱炭素へのネイチャーポジティブなアプローチを金融機関が加速させる一助となります。とはいえ、一般の脱炭素化と同様、金融機関も今後、自然環境と気候、業績の間のトレードオフを巡り、極めて難しい判断を迫られることになるでしょう。

2. 公正な移行

公正な移行とは、脱炭素化により労働者や地域社会に負の影響を与えることなく利益を広く公平に共有するという考え方であり、ネットゼロへの移行を成功に導く基盤として公正さと社会の安定が重要であることを認識した概念といえます。

公正な移行の脅威となり得るのは、資産の座礁化やエネルギーコストの上昇、失業などです。リスクの影響は、特定の資産や産業、場所・地域、住民に偏ることが少なくありません。

規制策は現在のところ、公正な移行にほとんど重点を置いていません。それにもかかわらず、公正な移行をコミットする金融機関が増えてきました。多くの金融機関は現在、いずれも社会との緊密な関わりを求める「責任銀行原則」か「責任投資原則」、あるいは「持続可能な保険原則」に署名をしています。これを受けて、公正な移行を脱炭素に向けた取組みに盛り込む上での課題について集中的に議論が交わされていますが、実務上以下の点が困難になることが予想されます。

  • 脱炭素化が社会に与える効果を把握・測定すること。
  • 資産運用会社がスチュワードシップに用いるKPIなど、社会的ファクターをポリシーに組み込むこと。
  • 保険会社が引き受けた保険の補償対象である、または銀行が融資した、進行中の活動をモニタリングすること。

金融機関による公正な移行への支援ツールとしては、Financing Just Transition Alliance(FJTA)やTaskforce on Inequality-related Financial Disclosures(TIFD)の枠組みがあり、この2つの枠組みは、公正な移行を脱炭素化の取組みに盛り込む計画をカスタマイズする際に役立ちます。

エネルギー転換を例にとると、鉱業セクターでは公正な移行への配慮が特に重要であることが分かります。

鉱業は最も排出量が多いセクターの1つ
クリーンエネルギー技術の需要の高まりに応えるには、一部鉱物の生産を2050年までに500%近く増やす必要があると推計されています。(出典:Fostering Effective Energy Transition, World Economic Forum, 2021)

その一方、鉱業がもたらす影響については、住民の立ち退き、先住民との信頼関係や和解、鉱山の立地が農村地域の世帯と経済に与える不均衡な影響など、地域社会に与える影響という面からも考える必要があります。鉱業セクターが50年間に立ち退かせた住民の数は、インドだけでも150万人以上に上ると推計されており6、同セクターのESGリスクの多くに投資家やステークホルダーが注目しています。そのため、鉱業セクターが今後、エネルギー転換で中心的な役割を果たすことになると広く考えられているものの、それには転換と並行して地域社会と生息地を確実に守ることが、転換を進める上で極めて重要であることを忘れてはなりません。エネルギー転換の資金供給を行う金融機関は今後、その活動が地域社会・住民に及ぼす影響を幅広く考慮する必要があります。

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第3章

脱炭素化の加速策

金融機関は、戦略とリレーションシップ、ストラクチャーとオペレーションに気候関連の要素を組み込まなければなりません。

脱炭素化には迅速かつ的を絞ったアプローチが必要であることを踏まえ、金融機関が注力すべき4つの優先領域として以下が考えられます。

  1. 移行資金支援:ネットゼロの実現に必要なテクノロジーの半分がまだ商用化段階に達していないことを踏まえて、金融機関は、自然の力を活用した解決策など、気候変動対策へのコミットメントの規模を検討すべきです。また、非移行(non-transitional)資産などの計画的な段階的廃止を支援しながら、企業のネットゼロへの移行に資金供給を目指す必要があります。

  2. エンゲージメントと働きかけ:クライアントや投資先と積極的に向き合いその移行を後押しするとともに、政府や規制当局との連携を深め、国の脱炭素化の目標や政策を強化・明確化することが極めて重要となるでしょう。金融機関は、(官民等による)資金調達のみならず資金調達以外のパートナーシップによるものなど、移行を後押しする革新的な方法の模索を始める必要もあるでしょう。

  3. 測定とかじ取り:適した脱炭素化目標とKPIを設定して融資と支援を行い、ポートフォリオ調整と排出量削減の両方をカバーしながら、それに沿ったインセンティブを導入すると同時に、現在までの脱炭素化の進捗状況を測定し、どの程度加速させる必要があるかを数値化しながら、ポートフォリオカバー率を、確実にベストプラクティスに沿ったものになるよう管理する必要もあります。次のステップは、資本配分のみならずバランスシートやポートフォリオの管理や再構築に、内部炭素価格の策定など炭素を制約要因として組み込み、また可能であれば、自然環境の保護や公正な移行を脱炭素化計画に盛り込むことです。

  4. 運用と定着:脱炭素化の全社的な実施の枠組みを策定するとともに、実効的なガバナンス・監督体制を確立し、移行の進捗状況に連動したインセンティブを導入しなければなりません。それが、明瞭かつ明確なリーダーシップの発揮に加え、他の戦略的な優先課題と足並みをそろえた脱炭素化目標の設定につながります。そのために、金融機関はデータとテクノロジー、人材に戦略的投資を行うだけでなく、質量ともに実務上の経験値が上がるに伴い投資戦略を柔軟に進化させていく必要もあるでしょう。
  1. IPCC, 2023: Sections. In: Climate Change 2023: Synthesis Report. Contribution of Working Groups I, II and III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Core Writing Team, H. Lee and J. Romero (eds.)]. IPCC, Geneva, Switzerland, pp. 35-115, doi: 10.59327/IPCC/AR6-9789291691647
  2. IEMA: World’s first ‘global stocktake’ on climate change published
  3. IEA (2021), Net-zero by 2050, IEA, Paris, https://www.iea.org/reports/net-zero-by-2050, License: CC BY 4.0
  4. IPCC, 2023: Sections. In: Climate Change 2023: Synthesis Report. Contribution of Working Groups I, II and III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change [Core Writing Team, H. Lee and J. Romero (eds.)]. IPCC, Geneva, Switzerland, pp. 35-115, doi: 10.59327/IPCC/AR6-9789291691647
  5. Inger Andersen, The time to unlock financing for biodiversity protection is now(UNEP, December 2021)
  6. Terminski, Bogumil, Mining-Induced Displacement and Resettlement: Social Problem and Human Rights Issue(A Global Perspective, August 2012)


サマリー

世界的な脱炭素化の加速が急務となっている今、金融機関は求められている脱炭素に向けた取組みのスケールアップを阻む障害への対処に本腰を入れ、戦略と日々の意思決定に脱炭素を取り入れていかなければなりません。


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