梶山氏:行動経済学という言葉は私も耳にしたことがありますが、具体的にそれを仕事に生かそうという意識までは持っていませんでした。
UPDATERという会社はベンチャーで、独自のブロックチェーン技術を使って「どこで発電された電気を誰が使うか」を追跡し、発電者と利用者をマッチングする電力トレーサビリティの商用化を世界で初めて実現しています。いわば「顔の見える電力」ですね。2016年に電力の小売事業が自由化されたことで、そうしたサービスにも市場性が生まれたわけですが、法人需要家に加えて一般消費者にも広く使ってもらうにはどうするか。歴史の浅い会社でマーケティングの専門部隊もない中で、新しい知恵を求めていたのがちょうどお二人と出会った頃でした。
伊藤:環境省の助成事業でご一緒したのが始まりでしたね。まさにそうした消費者行動について理解を深め、人の心のツボを押すにはどうしたらいいかと問題意識を持つ企業が世界的に増加傾向にあります。例えば、ウォルマート、コカ・コーラ、ウーバーテクノロジーズといったところが筆頭に挙げられますが、英米の先進的な企業では社内に行動科学の専門チームやCBO(Chief Behavioral Officer)を置くケースも見られます。
伊原:ビジネス界で行動科学が注目されているのは、実際にそれを取り入れた事業が成果を上げつつあるからだと思います。ウーバーでいえば、タクシー乗車アプリがその好例でしょう。最初はタクシーを呼んでも途中でキャンセルする利用者が多かった。そこで行動科学的な見地から検証したところ、どうやら待ち時間の手持ち無沙汰状態が原因であることが分かり、地図情報を使った追跡機能を開発したところ、キャンセル率を11%減らすことに成功したそうです。タクシーが近づくにつれて我慢もしやすくなる。そんな心のツボを押さえたわけですね。
梶山氏:そうした成功例を目の当たりにして、日本でも当社のように関心を寄せる企業が増えだしたということですね。一般的には、経済行動学は消費財などの企業と親和性が高いような気がしますが。
伊藤:おっしゃるとおりです。ただ、そうした業界では独自のマーケティング手法が確立している企業も多く、自社のノウハウで間に合うと見ている向きがあるのでしょう。日本では現状、金融や保険の分野で導入する企業が目立ちますね。
伊原:しかし、AIDMAモデルなど、従来のマーケティング手法では消費者の行動変容を起こせない場合があることが、多くの研究から示されています。「脱炭素や環境に配慮した商品・サービスを買っていただく」といった、社会課題解決型のビジネスなどはその最たるものです。地球の未来にとって絶対に必要な行動であることは理解されているはずなのに、なぜ思うように売れないのでしょう?
梶山氏:私たちの課題もまさにそれでした。当社では再エネ由来の電気を販売していますが、顧客の大半は法人で、個人のお客さまは1割ほどにすぎません。ESGの潮流もありますから法人需要家は買うべき動機が明確である一方で、一般家庭の場合は一部の積極的な応援層を除き、「大切なことですよね」と説明して回るだけではなかなか買い手が広がりません。
伊原:鍵は人間の本能にあります。ヒト種の進化の過程で大半の時間を占めたサバンナ環境に適用するよう、長い歳月をかけて人間の本能は形成されました。そこでは自分の居場所で毎日を生き延びることが最大の課題であり、どこかの誰かのための未来などには無関心です。つまり、私たちの本能は「今・ここ・私」に関することには反応しやすく、「将来・遠い場所・誰か」にとっての利害関係には反応しにくい。
伊藤:考えてみれば、気候変動問題に代表されるように、現代社会には「将来・遠い場所・誰か」のために行動することを求める状況が多くあり、それが社会課題をもたらす根本的な原因ともなっています。こうした中で人々の望ましい行動を呼び起こすには、「地球にやさしい」といった正論を通じてニーズを育てる従来型のマーケティングでは不十分です。人間の本能を科学的に理解し、本能に見合ったコミュニケーションを追求するBX的なアプローチが求められるのです。
伊原:われわれの試算では、BXによって社会課題解決型の行動を喚起することで創出できる市場の規模は、11兆1,229億円となっています。これは環境配慮や健康増進、老後資産形成といった社会課題を解決する行動に関連する市場を対象に、複数の調査に基づく拡大率を掛け合わせて算出したものですが、数値の多少の誤差は大きな問題ではありません。重要なのは今、企業がBXに目を向けなければ、これだけのポテンシャルを秘めた成長市場を取り逃がす可能性があるということです。
「クラウド型太陽光発電 ピーパ」事業に見る社会課題解決型ビジネス
伊藤:EYは世界共通のパーパス(存在意義)として、「Building a better working world 〜より良い社会の構築を目指して」を掲げているコンサルティングファームです。社会課題を解決しようとする意思はわれわれの原動力でもあるので、BXに取り組む必然性もあると考えています。
梶山氏:当社がEYとタッグを組んだのもそのためです。先ほどもお話に出た環境省の助成事業(令和3年度CO2排出削減対策強化誘導型技術開発・実証事業)に応募するにあたり、自分たちの力だけでは多くの消費者を動かす仕掛け作りはできないのではと不安もありました。
伊原:提案作りだけでなく、実証後にどうビジネスを回していくかの事業計画まで含めて協働しましょうという話になった。それができたのも、核となる御社の技術が優れていたからです。
梶山氏:当社は家庭向けの電力を販売する小売電気事業者ですが、この「新電力」と呼ばれる同種の企業が全国に700ほどあって、それぞれがどこの発電所からどれだけ電気を仕入れているかが30分ごとに計測され、データとして各社に送られる仕組みになっています。一方、電力の使用側でもお客さまの使用状況を30分単位で計測していますので、この両方のデータを当社独自のアルゴリズムで解析してマッチングすることにより、「どこの発電所で作った電気を、誰がどれだけ買ったか」を分かるようにしたのです。
これが2018年に法人向けサービスとして当社が商用化した、P2P電力トラキングシステム「ENECTION 2.0」です。環境省の事業はカーボンニュートラルの実現に向け、企業だけでなく一般家庭の再エネ利用も拡大させることが狙いにありますので、われわれはその助成を得て、このプラットフォームを個人のお客さま向けに進化させることを目指しました。
伊藤:そうして実現したのが「ENECTION 3.0」。個人の消費者も、自分が使っている電気がどこから来た再エネであるかが分かり、また逆に、特定の発電所を自分から指定して電気を買うこともできるようになる。極めて画期的なシステムですが、われわれに課せられた宿題は、この新技術にどのような意味付けを与えれば、実際に消費者の再エネ利用を拡大することができるのか。その解明にBXアプローチを試みました。
梶山氏:そうですね。電気は目に見えない。だから、再エネ由来であっても分かりづらく、消費者としてはつい料金の安い方に流れてしまう。それが電力小売自由化以来の傾向でした。また、最近では再エネと言わず、「脱炭素電源」と呼んだりする風潮もあります。それだと原子力も含まれますし、バイオマスとの混焼やCCS(CO2回収貯留)技術など脱炭素機能付きの火力発電も含まれて、地球環境を憂う消費者の思いとは必ずしも合致しない。もっと、家庭の皆さんの主体的な行動変容を促したいと思っていました。
伊原:そのために、われわれも試行錯誤を重ねました。自分で発電所を選べるのですから、例えばワインを選ぶように「この土地のこの電気」を打ち出すとか、ふるさと納税のように返礼品を設けて好きな発電所を応援してもらうとか。しかし、市場調査をすると反応は今ひとつ。
たどり着いたのが、再エネを選ぶだけでなく、自分自身で太陽光パネルを持ちたいと願うほど再エネ志向の強い一部の人たちです。このような「環境配慮重視タイプ」の人は全体の約5%しかいないことはわれわれの調査で分かっていましたが、それでも百万規模の世帯数にはなる。ここにターゲットを絞った意味付けをする方針を固めました。
伊藤:問題は、太陽光パネルを持ちたくても、マンションや賃貸住宅のため設置できない人たちが相当数いることです。その障壁を取り除くためにどうするか。われわれはまず、遠隔地にある太陽光発電所のパネルをレンタルできるサービスを考えましたが、UPDATERの顧客調査で出た答えは、環境重視の方々でも乗り換え賛成派は23%にとどまりました。
梶山氏:太陽光パネルを持つと聞くと、どうしても自宅の屋根に置くイメージが強く、遠隔地/レンタルといってもすぐにピンとこないようです。
伊藤:人々が3秒で反応する、そんな先入観を覆すには、3秒でイメージできる別の概念が必要になる。そこでBXによるアプローチで導き出されたのが「クラウド」です。これならパソコンアプリのサブスク契約のように、自前の設備を持たずに必要に応じて使えるイメージがすぐに浮かびます。
梶山氏:実際、このクラウド型のコンセプトに対して、顧客調査でも環境重視派の約5割が乗り換えに意欲的でした。この結果を見て、事業化に向けて社内の意気も一気に上がります。そうしてこの12月にリリースしたのが、個人向けのクラウド型ソーラー発電サービス「ピーパ」です。