EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
「HRDXの教科書」出版記念セミナー(第6回)では、本田技研工業(以下、Honda)で人材育成やHRDX推進など、幅広い人事領域を統括する大野慎一氏による基調講演「Honda流 仕事の意味×HRDX」と、リンクトイン・ジャパンでエンゲージメントソリューション事業戦略の責任者を務める梁 志栄(ヤン ジィヨン) 氏による講演「データから読み解くエンプロイーエクスペリエンスの最新動向」が行われました。
Section 1
激変するモビリティ業界の中で、第2の創業期として企業変革を進めるHondaは、ヒト・カルチャーの抜本的な転換を図ろうとしています。同社の人事部門は、HRDX(人事データやデジタル技術の有効活用)でどのような変革を起こしているのでしょうか?
本田技研工業 人事部 部長 大野 慎一 氏
いまモビリティ業界は激変の時代に入っており、各社でBEV化(Battery Electric Vehicle)が進めば収益性が低下し、差別化も厳しくなると予想されます。また所有から利用へ消費者モデルがシフトし、体験価値を求める志向へ変わるでしょう。企業も環境面の配慮からSDGsへの取り組みや、人的資本経営、Well-Beingへの意識も高まっています。
大野氏は「そのような状況において、継続的に価値を創出し、真の変革を遂げるには、従来の発想では太刀打ちできません。やはり組織・ヒト領域の変革も相当必要になります。そこでHRDXから何か活路を見いだせないかと模索しているのです」と語ります。
Hondaの人事部は「Hondaの組織・ヒトをイノベーティブに」というヒト戦略VISIONを掲げ、企業改革を加速し、ヒト・カルチャーの転換を図ろうとしています。企業視点でチャレンジや共感を呼べる取り組みを行い、選ばれる会社になること、従業員視点で自由と自己責任を追及し、働きたい会社になるという目的があります。
そこで変革マインドを醸成し、強い組織と文化をつくるために、マイナーチェンジでなく、人事制度の抜本的な改革が必要になるわけです。人事部門では、コア人材やリーダーのアセッサー評価、従業員の活性度、退職者の声、スキルや意識などをファクトとして調査し、HRDXでデータを確認しながら仮説と検証を速く回していく意向です。
Hondaは、変革のカルチャーに向けて、採用、育成、活用・処遇などをつなげて"⾯"による施策を打とうとしています。これら一貫性のある人事制度や仕組みを支える基盤として、HRDXを加速させていく方針です。
これらを踏まえ、大野氏は「人の採用から退職までの各サイクルの中で、HRDXで何を実現させるのか、会社視点の活用だけでなく、従業員視点からも押さえておく必要があります。われわれの変革は、従業員のキャリア/エクスペリエンスをいかに向上させるかに他ならないからです」とHRDXの意味とアプローチについて説明しました。
つまりHRDXの使い方は、人への向き合い方そのものであり、その文脈から同社の人事部が大切にしている点は、「(選別ではなく)従業員の可能性を広げること」「Hondaであるための現場発・ボトムアップ思想」「データから見える人事における新しいアプローチの探索」になるのです。
具体的なHRDXの施策として、例えばオウンドメディアによる社内情報の発信や、カルチャーフィットする採用要件の見直し、数字で出てこない社員の声の見える化、AIによるエンゲージメントサーベイなどを実施し、組織の支援に役立てています。
また業務・能力開発・評価・退職に関しては、デジタルデータによる各従業員・組織のエンゲージメント傾向の把握、学習プラットフォームによる「自律・自発的な学び」の支援、チャットボットによる窓口業務の効率化、スキル・従業員ポートフォリオの見える化など、経営に寄与するHRDXを進めています。
これらHRDXの事例の1つとして、大野氏は新卒採用のピープルアナリティクスを紹介しました。重要な点は、HRDXから入るのではなく、最初に採用要件の見直しから始めたということ。まず仮説(目的)から入り、データによる仮説検証です。
「HRDXでデータを解析して(ソーシャルタイプ分析)、応募者・内定者の量とタイプの定量化(見える化)を行います。Hondaが求める人材像にマッチした人材が増えてきたので、施策の一定効果は出たと思います。今後はデータを追って、能力伸長や人員配置などにもつなげていく方向です」(大野氏)
また同氏は、勤務レポートでのピープルアナリティクスの事例も紹介しました。コロナ禍などが原因で、メンバーの労働時間や体調を管理する難易度が高まっています。人事側でデータ分析し、マネージャーへデータに基づく傾向や示唆を提供中です。
加えて、EYとのパイロットプロジェクトですが、社内に蓄積された全社員から会社に対する提言(テキストデータ)の可視化・分析事例もあります。AIで大量のテキストデータを読み込み、トピックを分類し、組織・年齢別の傾向を見て、Hondaの「いま」を表す言葉や傾向を発掘することで、新たな可能性や現場での問題解決の構築につなげる試みです。ここで得られた知見・結果から、組織支援や人事施策における問いのデザインなどへ活用をしようとしています。
今後の課題としては、HRDXを担う人材の確保、持続的な組織・企業の競争力につなげるハイブリッドチーミング、KPIをどう置くかという指標管理、ヒト・組織のパフォーマンスを引き出すHRDXの示し方などが挙げられます。
「外部のデータアナリストを入れても、自社の経営や人事の理解がなければ難しいでしょう。人に興味があり、仮説と検証の繰り返しを楽しめる人材をわれわれが育てる必要があります。またハイブリッドチーミングという点では、部門間のこだわりを乗り越え、経営企画や経理、現場など他部門の協働が求められます」(大野氏)
指標(KPI)の管理については、例えば効率化を金額ベースで見ることは可能ですが、人的資本の観点で企業価値の向上に本当につながるのかという視点が大切です。また従業員に欲しい専門性のレベルなど、「いまの時代を勝ち切るHonda」のために適切な指標の議論が大切になります。
ヒト・組織のパフォーマンスを引き出すには、上司や他者、経験、学習などから関係性について、データからどんな条件がそろえばパフォーマンスが向上するのか、また、いまの時代に必要な"Hondaらしい⼈間⼒"の獲得についても、HRDXから人事ができることを探索していきたいと思っています。
大野氏は「まだわれわれも試行錯誤のど真ん中ですが、HRDXも新たな学び・チャレンジであり、小さく進めて成果を出すことで賛同者が増えていくと感じています。新しいことへの難しさはありますが、チャレンジの輪を増やしていくことや、とにかく"負けるもんか"の精神で取り組んでいます」と決意を表明しました。
Section 2
いかに優秀な人材を魅きつけ、エンゲージさせ、パフォーマンスを最大化するか。この課題は人事を越え、経営の課題になっています。社員とのタッチポイントである「エンプロイーエクスペリエンス」において、企業がベストを尽くす、あるいは社員がベストを尽くせるように支援することが大切です。
リンクトイン・ジャパン
エンゲージメントソリューション事業戦略責任者(日本・韓国)
梁 志栄(ヤン ジィヨン)氏
第2部の講演に登壇したヤン氏は、エンプロイーエクスペリエンスに好影響を与える5つの要因を挙げました。
これらを見ると、社員にフォーカスを当て、個人の成長、動機付け、能力開発、目標設定などを把握し、成長できるようにエンパワーすることが大切になります。この人材マネジメントの変革を、リンクトインでは「People Success Strategy」と呼んでいます。
次に同氏は、最近のエンプロイーエクスペリエンスの動向に触れました。このコロナ禍で、働く場所・時間・方法・意味が変化し、マインドセットが行われました。
企業に入社する際に社員が求めることの1位は「ワークライフバランス」で、2位は「競争力のある給与、および福利厚生」です。しかし両方が満たされていません。入社後の社員の6割は会社からの支援を得られず、業務エクスペリエンスに苦労しており、それをリーダーが正しく把握できないというギャップが存在しています。
ヤン氏は「そのような状況で離職が問題になっています。APACで今年離職したいと考えている社員がグローバルで5割を占めています。日本は約3割ですが、Z世代は同様に5割。その原因は社員エンゲージメントの低下です。グローバル社員のエンゲージメントは2020年6月に約79%でしたが、2021年12月には5%ほど下がりました(以下、リンクトインの調査)」と語ります。
では、社員をどう動機付ければよいのでしょう? 同氏は「1つ目はチャレンジングな業務を与えること、2つ目はマネージャーを信頼すること。意思決定権や裁量権を渡してエンパワーし、現場と意思疎通ができるようにフィードバックの仕組みを構築することが大切です」と解決策を示しました。
コロナ禍で仕事量が増加し、燃えつき症候群も増え始めました。人間関係が希薄になり、社員は疎外感を感じ始めています。現在ハイブリッド業務形態を好む社員は5割を占めますが、実はその準備ができている企業はわずか2割ほど。これでエンプロイーエクスペリエンスを保てるのでしょうか?
ヤン氏は「まず社員の優先順位が、業務からWell-Beingと健康に変わりつつあることを認識すべきです。世代別でも傾向の一貫性があり、このニーズを満たせないと社員の9割、あるいはマネージャーからケアを受けない社員の5割以上が転職を考えるという結果でした。対応を怠れば、社員が疎外感を感じることにつながり、離職防止の難しさの要因になります」と注意を促します。
離職率を下げるコツは、まず社員に裁量権を持たせ、キャリア機会を与えること。この機会は昇格だけに限らず、社内異動になる場合もあります。さらに経営陣や上司がオープンで透明性の高いコミュニケーションを行い、言動一致のリーダーシップを発揮し、社員から信頼されることが大切です。ヤン氏は、結論としてハイブリッドワーキングスタイルの時代に考慮すべき点を以下のようにまとめました。
Section 3
Hondaの大野氏とリンクトイン・ジャパンのヤン氏の講演後、第3部として視聴者からの質問を受ける形で、トークセッションが開かれました。モデレーターはEYの鵜澤慎一郎が務めました。
EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎
まず鵜澤は「人事データを会社側だけでなく、本人が有効活用するシーンはありますか?」と視聴者からの質問をヤン氏に投げ掛けました。
ヤン氏は「これまで会社やマネージャーが社員の意見を拾い、エンプロイーエクスペリエンス改善のためにデータを利用していましたが、明確な目的があれば社員自身もデータを扱えるでしょう。ただし、データに機密性がある場合は、ガバナンス面で注意が求められるかもしれません」と回答しました。
鵜澤は「データガバナンスや個人情報保護が求められる一方で、エンゲージメントサーベイの結果を個人別でなくチーム傾向で捉えれば、現場で探索的に課題を見つけて、ボトムアップでチームを変えていく契機になるでしょう。個人の結果を報告するのではなく、一緒に問題を解決するアプローチならば、従業員が主体で有効活用できると思います」と補足しました。
本講演ではHRDXの観点から人事データを扱うシーンが多く紹介されました。鵜澤は「本田技研様は体制や人材なども含めて、どうピープルアナリティクスを進めているのでしょうか?」と質問しました。
大野氏は「われわれも人材が潤沢ではなく、数名のチームでトライアルしています。エンジニアや副業的に興味を持つ外部の方にも協力していただいています。HRDXや統計的手法を導入するにも、正解が分からない状況なので、まずは失敗を恐れずに挑戦してもらっています」と内部事情に触れました。
これを受けて鵜澤は「希少性の高いデータサイエンティストを人事部門内で配置するのは難しいという相談をよく受けます。しかしピープルアナリティクスの世界では仮説検証において統計学やデータ分析力以上にビジネスや組織・人事の理解が重要になるため、人事部出身者で統計学やデータ分析が比較的得意そうな社員を発掘、育成していく方が現実解かもしれません」と同じ悩みを持つ企業にアドバイスしました。
HRDXをリードするHondaに対しては「システムに疎い企業が、HRDXを導入する際のポイントについて教えてください」という基本的な質問もありました。
大野氏は「HRDXを推進する際には小さく生んで大きく育てることがポイントです。失敗を許容できないリーダーだとメンバーはリスクをとって新しいチャレンジができなくなります。リーダーは"新しい挑戦は失敗するものだ"の寛容さをもって、メンバーのチャレンジを見守り、小さな成功例が出てきたら全社に横展開するのが成功の秘訣だと思います」と答えました。
もう1つ難しい点はHRDXの効果測定です。鵜澤は、人材施策の効果的な検証方法について問い掛けました。
「採用後のパフォーマンスや能力伸長も含めて考えると効果検証は難しくなります。例えばサーベイを実施し、エンゲージメントの変化の度合いを見ながら、仮説と検証を繰り返しながら改善していく必要があるでしょう」と大野氏。
これを受けて鵜澤は「やみくもにHRDXを導入しないという大野さんの講演の言葉が印象的でした。大量の人事データに溺れて、やみくもに分析しようとせず、最初に仮説設定を行い、データで検証を繰り返すという基本に立ち返ることの大事さがよく分かりました」と本セミナーを締めくくりました。
産業構造が激変する現代社会で企業が生き残るには、ヒト・カルチャーの抜本的な転換が必要です。ビジネスの原動力となる社員のエンゲージメントを高めたり、生産性を向上させるためにはテクノロジーやデータを有効活用し、新たな課題発見・解決アプローチが必要な時代です。将来のありたい姿を設定し、仮説と検証を繰り返しながら改善を図っていくことがポイントになります。