バリュエーションの観点から考えるM&Aと企業価値向上

バリュエーションの観点から考えるM&Aと企業価値向上


「資本コストや株価を意識した経営」を求める2023年の東京証券取引所の要請を1つの契機として、企業価値向上のための経営戦略・財務戦略への動きが加速しています。

企業価値とは何か、その向上にどう取り組むかについて、バリュエーション(企業価値評価)の観点から、M&Aとの関係性を含めて考えます。


要点

  • 企業価値とは、事業から生み出される将来キャッシュフローの割引現在価値の総和であり、長期的な視点と時間価値の概念を含むものである。
  • 投下資本収益率が資本コストを上回る事業を拡大することで企業価値が創出される。単に売上高や利益額を拡大することで価値が上がるとは限らない。
  • 企業価値経営の第一歩は自社の理論価値の把握・分析から始まる。定量的分析により課題を特定し、企業価値向上への打ち手を検討したい。

成長性・投下資本収益性・資本コストが企業価値のドライバー

「企業価値」という用語はさまざまな意味で用いられますが、本稿では「キャッシュフローを基礎とした経済的価値」を表すものとして話を進めます。より具体的には、「事業から生み出される将来キャッシュフローの割引現在価値の総和」を事業価値であると定義し、これには含まれない余剰資産などの非事業用資産による価値を加えた合計を、企業価値であると整理します。一方、調達源泉の側面から見れば、株式価値と負債価値の総和が企業価値であると考えられます。非事業用資産が重要ではない場合には事業価値と企業価値は同じ意味で用いられる場合も多いため、本稿でもこれらを明確に区分する必要がない文脈においては、「企業価値」と表現します。

成長性・投下資本収益性・資本コストが企業価値のドライバー

上記の「将来キャッシュフローの割引現在価値の総和」をもって企業価値を測る考え方は、バリュエーションの⼿法の1つであるDCF(Discounted Cash Flow)法として知られています。DCF法とは、将来的に期待されるキャッシュフロー(リターンを獲得するための投資も含む)を時間的価値やリスクを反映した資本コスト(割引率)で割り引くことで企業価値を導き出す⽅法です。

 

DCF法において着目すべきポイントは以下の2点です。

  1. 現在だけでなく、長期的な視点から将来にわたるキャッシュフローを反映すること
  2. 資本コストによる割引計算という時間価値の概念が含まれていること

これらに基づく算定により、例えば次のようなケースを明らかにすることができます。

  • 会計上は利益が出ていたとしても、投資によるキャッシュアウトが先行する場合に時間軸を加味して割引計算を行うと、企業価値がマイナスになることがある。
  • 反対に、会計上は⾚字であっても、⻑期的に⾒てキャッシュフローの拡⼤が⾒込めるならば企業価値にはプラスの影響を与える可能性がある。

DCF法の枠組みにおいては、投資に対する全体的なリターンが資本コストを上回るかどうかで、企業価値を創出するか否かが変わってくるということが分かります。

 

DCF法による企業価値の構成要素を分解すると、将来キャッシュフローと資本コスト(割引率)の2つに大別されます。将来キャッシュフローはさらに、売上高と利益率、およびそれらを生み出すための投資の3つに分解できます。ここから、企業価値を向上させるドライバーは、「規模を拡大するための成長性」「投下資本収益性の改善」「資本コストの低減」に集約できることが分かります。

DCF法による企業価値の構成要素を分解すると、将来キャッシュフローと資本コスト(割引率)の2つに大別されます。将来キャッシュフローはさらに、売上高と利益率、およびそれらを生み出すための投資の3つに分解できます。ここから、企業価値を向上させるドライバーは、「規模を拡大するための成長性」「投下資本収益性の改善」「資本コストの低減」に集約できることが分かります。

成長性、すなわち売上規模の拡大が企業価値向上の重大要素であることは言うまでもありません。ただし、単に成長するだけでなく、投下資本収益性が資本コストを上回るような事業を拡大することが必要です。仮に売上高や利益が増大しても、そのために実行した投資に見合った資本コストを上回るリターンが望めなければ、かえって企業価値を毀損(きそん)することとなるからです。

投下資本収益性は事業活動に投じた資本に対してどれだけ利益を上げているかを表す財務指標で、投下資本の合計を分母、税引後の利益を分子として算出します。代表的な指標としてROIC(Return on Invested Capital)が知られ、企業価値との関連性を意識した経営管理ツールとして導入する企業が増えています。

M&Aと本質的な企業価値・株式価値の向上の関係性

以上を踏まえて、M&Aと企業価値の関係について整理します。

 

まず、見込まれる価値と⼀致する価格で実施されるM&Aについては、理論的に⾒てそれ⾃体が企業価値に影響を与えることはありません。例えば、100の価値を有する事業を100の価格で買っても、⾮事業⽤資産のキャッシュが事業価値へと⼊れ替わるだけで、トータルの企業価値は変わらないからです。もし競争⼊札等で本来の事業価値を上回る価格で買収すれば、企業価値はむしろ減少しかねません。

 

そこで重要になるのが、買収した事業の成⻑性や投下資本収益性を⾼めること、あるいは既存の事業とのシナジー効果により、新たな価値を創出することです。

 

他方、事業を売却する場合も同様に、100の価値を持つ既存事業を100の価格で売っても全体としての企業価値は変わりません。ただし、その事業に対して誰もが同じ価格をつけるとは限りません。自社にとっては100の価値である事業に対して110の価値を見いだす買い手を見つければ、企業価値が増加する可能性もあります。しかし、そうでない場合には、売却によって得た資金を活用し、資本コストを上回るリターンが望める新たな事業に投資することが重要です。

 

近年、⽇本の上場企業で「PBRの1倍割れ」が多く存在することが着⽬されています。PBR(Price Book-value Ratio︓株価純資産倍率)とは、企業の株価と純資産の⽐率を表す指標であり、株価を1株当たりの純資産で割って算出したものです。この値が1を下回る原因の1つとして、不採算事業を抱えたまま撤退できないことなどが指摘される場合もあります。

 

ここで、事業売却によるPBRおよび企業価値への影響について、簡単な例を挙げて見ていきます(図参照)。

ここで、事業売却によるPBRおよび企業価値への影響について、簡単な例を挙げて見ていきます(図参照)。

左の図は、PBR1倍割れの企業の数値例を示したものです。既存事業のAは簿価100に対して価値120である一方、事業Bは簿価80に対して40の価値しかありません。それぞれの合計である簿価180、価値160から有利子負債の80を控除し、残った簿価100、価値80が純資産と株式価値を表します。したがって、この企業のPBRは80÷100=0.8です。

この不採算事業Bを価値40で売却した場合の数値を⽰したものが中央の図です。簿価は含み損の実現で40に減少し、得られた現⾦の40と等しくなりました。これにより、100から60に減少した純資産と80のまま変わらない株式価値の関係から、80÷60≒1.3とPBRが改善します。しかし、企業価値は160のまま変化はありません。

この状態から企業価値を拡大させるには、事業売却によって得た資金を有効活用し、資本コストを上回るリターンが期待できる事業に投資する必要があります。それを示したのが右の図です。当該企業の主たる事業Aに40の資金を投下し、そこから50の事業価値を生み出したとします。プラス10の価値により企業価値は170へ上がり、PBRも1.5となりました。

以上のように、PBRは大変分かりやすい指標ではあるものの、その改善が必ずしも企業価値の向上とイコールではない点は注意が必要です。表面的な指標の数値にとらわれず、その背後にある本質的な企業価値、株式価値の向上に努めるべきと考えられます。

自社の理論価値の把握と企業価値向上施策の検討

企業価値経営の第一歩は、現状の自社の価値を把握・分析することから始まります。

DCF法の枠組みに基づく⾃社の理論価値の分析過程を通じて、どのような要素が⾃社の価値に⼤きく影響を与えるかをつかむことができます。例えば、売上規模の拡⼤と投下資本収益性の改善、どちらが価値向上に影響が⼤きいかは事業構造によって異なります。定量的に分析を⾏った結果、規模拡⼤を優先的に追求してきた企業が投下資本収益性の重要性に気づくことも起こり得ます。

加えて、理論上の株式価値と現実の市場株価との比較分析を行うことも有用です。前述したように、DCF法で算出した各事業の価値と非事業用資産を合算し、有利子負債等を控除することにより、理論上の株式価値が算定できます。上場企業であれば、当該理論株式価値と、株式市場における実際の株価・時価総額とを比較することが可能になります。割安・割高の判断がつくことから、場合によっては自己株式取得の検討につながるかもしれません。しかし、より重要なのは、価値の大小それ自体ではなく、自社が理解している自らの価値と市場の評価との間に乖離(かいり)が見られた場合、その要因について仮説を立てながら検証し、具体的な改善策を検討することです。

例えば、売上高の成長見込みについて市場の評価との間にギャップが想定される場合、自社の成長戦略がうまく伝えられていない可能性があります。そうであれば、IR戦略を⾒直すことが必要かもしれません。また、多額の余剰資⾦を有する場合、理論的には⾮事業用資産として企業価値を構成するはずですが、株式市場では評価に織り込まれていないケースがあります。株主から⾒て、永久に株主への還元に回る⾒込みのない資⾦はないに等しいと判断される場合があるからです。

多数の事業を抱える企業の場合、いわゆるポートフォリオマネジメントとして各事業の位置付けを可視化しておくことも有効です。これには投下資本収益性と成長性を2軸とした、4象限フレームワークによるマッピングがよく用いられています。


多数の事業を抱える企業の場合、いわゆるポートフォリオマネジメントとして各事業の位置付けを可視化しておくことも有効です。これには投下資本収益性と成長性を2軸とした、4象限フレームワークによるマッピングがよく用いられています。

その際、投下資本収益性の判断軸として、前述したROICなどの投下資本収益率を導入することがポイントです。会計上の利益が黒字であるかではなく、資本コストを上回るリターンによって企業価値を生み出せているかどうかで、収益性の是非を判断すべきであるからです。

ただし、このような2軸だけのシンプルな図式では表現できることに限度があるため留意が必要です。本稿の冒頭で触れたように、本来、企業価値の評価においては時間軸が重要な意味を持ち、将来にわたるキャッシュフローを加味して検討すべきですが、2軸のマッピングでは通常、ある一時点での投下資本収益性しか考慮されないという制約を受けます。

例えば、⻑期的には⼗分なリターンが⾒込める事業であっても、投資直後においては償却負担等によってROICが資本コストを下回っていることがあります。したがって、こうした指標はあくまで事業の位置付けを俯瞰(ふかん)するためのツールの1つでしかないと理解し、⻑期的な視点から企業価値を⾒通す姿勢が求められます。

以上、バリュエーションの理論的な枠組みに基づき、企業価値向上のための基本的な考え方、取り組み方について概観しました。2023年3月、東京証券取引所から上場企業に対し、資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応が要請されたこともあり、多くの企業が企業価値経営に関心を寄せています。「企業価値」を漠然とした概念としてとらえるのではなく、背景にある理論的な枠組みを理解した上で、効果的な取り組みを検討することが重要です。


本文に関連する図表を含む資料については以下のPDFをダウンロードの上、ご覧ください。

サマリー 

DCF法の枠組みに基づくと、企業価値向上のドライバーとして成長性・投下資本収益性・資本コストが特定されます。企業価値は売上高や利益金額の増大のみによって高まるものではなく、投下資本収益性が資本コストを上回るような事業を拡大することによって創出されます。




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