EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
地域における交通ニーズや歴史・経緯、公共交通に対する意識、財源問題など、地域公共交通計画に伴う要素は地域によって千差万別であり、その策定・実行は非常に難易度が高いものになると考えられます。
このような状況を踏まえ、EY Japanは2023年5月26日、「地域公共交通の将来像2023 ~地域発の新たな動き~」と題するセミナーを開催しました。セミナーでは「地域発」で先進的な取り組みを実践している有識者や地方自治体の実務専門家を講師として招き、それぞれの取り組みについて講演。さらにその後、講演内容を踏まえた意見交換も行われました。
#セッション1
関西大学 経済学部 教授 宇都宮 浄人 氏
宇都宮 浄人 氏
セッション冒頭で宇都宮氏は、大都市圏周辺や地方圏が抱える地域の課題を挙げました。都市のスプロール化などにより地域が衰退し、それに伴い公共交通が衰退、自家用車依存度が高まった結果、さらに公共交通が衰退して地域の衰退を加速させる──そのような悪循環に陥ってしまいがちなのです。
「モビリティの低下がQOLの悪化へとつながってしまう。しかし一定の人口集積があれば、公共交通の再構築を通じて悪循環を変えられるのではないか」(宇都宮氏)
欧州の国々では既に一定の成果を出しています。その基礎となる計画が「SUMP(サンプ)」です。
SUMPとは、“Sustainable Urban Mobility Plans:持続可能な都市モビリティ計画”の略語で、2013年に欧州委員会で提示されたコンセプトです。
「今や世界的な広がりを見せており、日本の地域づくりでSUMPにヒントがある」(宇都宮氏)
SUMPの特長としては、従来ながらの需要追随型ではなく、まずビジョンと目的を決めてから交通施策を策定するバックキャスティング型であること、「人」に焦点を当てたモビリティ計画であること、時間的な区切りを重視している計画であることなどが挙げられます。
SUMPには、「1:準備と分析」「2:戦略の策定」「3:施策の策定」「4:実施とモニタリング」という4つのフェーズがあり、実践に当たってはこれらのサイクルを回していくこととなります。重要なことは、フェーズ2の戦略策定の時点でビジョンと目的を決め、フェーズ3では目的遂行のための施策パッケージを策定するという点です。
「施策パッケージは相乗効果を生み出せるかがポイント。日本では、ダウンズ・トムソンのパラドクス(公共交通を改良せず、道路だけ整備をするとかえって渋滞がひどくなる)が発生している」(宇都宮氏)
SUMPの基本的な方針・考え方は、環境制約や社会公正を考慮しながら、地域のQOL、ウェルビーイングの向上をもたらすモビリティを計画し、人々がこれまで以上に社会と関わりを持ちいきいきと暮らせるようにすることです。
セッション終盤で宇都宮氏は日本におけるSUMPの意義に触れ、運輸事業の目先の収支や効率性に重きを置く日本の従来の計画から、SUMPの考え方を軸にすることを提案しました。
「日本のモビリティ計画をこれからつくっていくに当たっては、ぜひ『SUMP化』を目指してみてはいかがだろうか」(宇都宮氏)
#セッション2
富山県 交通政策局 交通戦略企画課長 有田 翔伍 氏
有田 翔伍 氏
有田氏のセッションでは、富山県が進めているSUMPに基づいた地域公共交通計画の策定について紹介がありました。富山県の地域交通ネットワークの特長の1つとして、県内すべての市町村に鉄道駅が存在していることが挙げられます。その鉄道駅の周辺に人口が集積していることから、駅を地域の拠点としたまちづくりが可能であるとして今回の計画策定を積極的に進めているところです。また、これまでも地域交通のサービスレベル向上を目指し自治体の関与による複数の取り組みを実践してきており、そうした結果、県内の地域交通の利用状況は増加傾向を見せていました。
「しかしコロナ禍での落ち込みを踏まえて、今までのやり方にこだわらずに新しい考え方も取り入れたかたちで、今まさに地域公共交通の策定を進めているところ」(有田氏)
そこで欧州のSUMPを取り入れることが、県の地域公共交通をより良く伸ばしていけるのではないかという考えのもと、先に登壇した宇都宮氏の協力も得ながら富山の「SUMP化」を目指しています。
「富山県の成長戦略でも最大目標としてウェルビーイングの向上を目指すことを明確にうたっており、欧州の新しい考え方と非常に親和性があるのではないかと判断した。SUMPの取り組みはまさにウェルビーイング向上に寄与できるはずで、そこに向けた計画策定のための議論を進めている」(有田氏)
SUMPの計画策定に当たっては、具体的な施策を検討する前にまずビジョンや目的を策定し(バックキャスティング型)、本年度はその目指すべき姿の実現に向けた具体的な施策や役割分担などについてさまざまな議論をしながら詰めていく過程にあります。
ここで有田氏は、計画策定の議論を踏まえた鉄道会社(あいの風とやま鉄道、富山地方鉄道)による先行した取り組みを紹介しました。あいの風とやま鉄道は2023年春のダイヤ改正において、ウェルビーイングの向上を重視して、通勤・通学時間帯の混雑緩和を目的とした増車を実施。また、富山地方鉄道も2023年春のダイヤ改正において、パターンダイヤを導入し、日中時間帯においてメイン区間の運行をおおむね20分の等間隔という高頻度かつわかりやすいダイヤとしました。
また、欧州のSUMPでは早い段階から計画策定に市民が参加するのが一般的ですが、県でも計画策定に向けて若い世代の意見を取り入れるべく、富山大学や富山中部高校において学生を対象にした出前講座や課題研究を実施しています。
「こうした試みにより、将来の地域を担う若い人々の生の声にも耳を傾けつつ、県民の皆さんと一緒により良い地域公共交通計画をつくりあげるよう目指していきたい」(有田氏)
#セッション3
滋賀県 土木交通部 県東部地域公共交通支援室 参事 森原 広将 氏
森原 広将 氏
最初に森原氏は、滋賀県内の鉄道路線とその中の近江鉄道の沿革について紹介しました。同鉄道は、県東部地域の5市5町(人口約50万人)にまたがる広域鉄道ネットワークを構成していますが、維持修繕のためのコストが大きな課題となっています。路線によって利用状況が大きく異なるものの、多くの線区では輸送密度(1日1km当たりの平均輸送量)が2,000人を下回っています。ただその一方で最も混雑する列車ではほとんどの線区で乗員100人を超えています。乗員の推移では1967年から大きく減り続けており、経営面でも1994年から28年間営業赤字を継続していることから、鉄道以外の黒字部門から赤字を補っている状況にあります。
もはや民間企業の企業努力では利益が見込めないため、「地域公共交通の在り方を検討する仕組みを構築してほしい」と2016年に近江鉄道から県への検討要請があり、その後1年余りをかけて県と沿線市町、近江鉄道による勉強会も開催されました。
「それまで行政と鉄道会社の間にはまったくコミュニケーションがなかったので不信感が大きかった。それがやりとりをする中で徐々にお互いを理解し合えるようになり、少しずつ信頼関係が芽生えていった」(森原氏)
こうして2020年3月「近江鉄道線の全線存続」について合意しました。森原氏は、全線合意に至ったポイントとして大きく4つを挙げました。
まず1つは沿線住民へのアンケート調査であり、これは鉄道の存続についてではなく日常的な必要性を可視化するために行われました。
2つ目は、クロスセクター効果などの分析です。その結果、近江鉄道線が単なる移動手段ではなく、多方面にわたりさまざまな効果を有することがわかったのです。
3つ目のポイントは、他モード転換などの検討を行った結果、転換したとしても鉄道線として存続させる以上の優位性を認めるに至らなかった点です。
そして4つ目が、地域フォーラム、学校および事業所でヒアリングを行った結果、まちづくりのツールとしても鉄道は欠かせない存在であることや、駅は人と人が関わり集うことができる社会的結節点であることなど、アンケートだけでは見えにくかった地域交通としての近江鉄道線が想像以上の価値や役割を有することが把握できたことです。
全線存続への合意後さまざまな協議が行われた結果、存続形態としては2024年度から「公有民営」方式による上下分離へと移行することとなりました。
「鉄道事業の再構築を自治体が後押しする上では、補助金なども大事だが、税制面での支援も重要ではないかと考えている。現在進行形でありいろいろな課題も新たに出てきているが、引き続き地域交通の活性化再生に向けて力を入れていきたい」(森原氏)
#セッション4
前 小山市 都市整備部 技監 (現 国土交通省) 淺見 知秀 氏
淺見 知秀 氏
栃木県小山市では、移動手段・街・ヒトのより良い関係を考える「モビリティ・マネジメント」に基づき、市の運営する「おーバス」と市民の関係のリデザインに取り組んでいます。淺見氏のセッションでは、その概要と、まちづくりとの連携に関し、特に自動車交通にどう対応するのかについて解説ありました。
まず、市の交通環境については、バス利用が非常に少なく(2018年の移動手段に占める比率が0.3%)、車利用が多い(同69.0%)ことが挙げられます。
「このバス利用率の“0.3”をどうにかしたいと思っていろいろと考えた。小山の母親は“タクシー代わり”になっているのではないかというデータもある。子どものいる女性は子どものいない女性と比較して送迎に時間を費やしている。この時間を減らすことで自分のための時間が増えるのではないか、という着眼点からも取り組んだ」(淺見氏)
このように小山市は、過度な車利用の状況にあります。車が街に増えて人々は路線バスに乗らなくなり、郊外のお店に行くようになった結果、まちなかは渋滞が多いが廃れていく状況にあり、これは地方都市衰退のテンプレートと言えるでしょう。ここで淺見氏は、脱車社会へとシフトして魅力的なまちづくりに成功している海外の事例を紹介。いずれのケースも、交通戦略が都市の魅力や成長を決定しています。
こうした先進事例を参考に市では、モビリティ・マネジメントの手法を用い、「バスのある暮らし」をリデザインすることを目指しました。
「まずは人々の気持ちの変化を促し、”バスがある生活っていいね”と思ってもらい、そこからバスの利用を増やしていく活動を開始した」(淺見氏)
具体的には、バスのあるライフスタイルを提案するべく、生活情報タブロイド紙を市内全5.3万戸に3回配布し、新たな定期券「noroca」を導入し最大7割引、全線乗り放題に。さらに最低限のサービスから便利なサービスへと変えるべく、積極的な新規路線開拓、増便を実施しました。
こうした取り組みの結果、norocaの導入後に定期券保有者が約7.4倍と劇的に向上。年間バス利用者数も取り組み前には70万人程度であったのに対し、2022年度には100万人を達成しています。
「現在、コロナ前よりも利用者が増えている。人々がすごくバスに乗るようになったと実感している」(淺見氏)
こうした流れを受け、2023年2月には小山市地域公共交通計画を策定。その基本方針では、マイカー無しでも便利な移動サービスと豊かな生活を市民や市への来訪者に提供することを掲げています。
「おーバスを便利なバスへ、タクシーやデマンドバスなどとの連携、店舗割引など生活サービスとの連携により、norocaがあれば市での生活が豊かになることを目指している。おーバスの利用者数も2025年までに最低でも4割近く増やしたい。従前の街の課題に関しては、渋滞が解消されるほどの効果は現時点で未確認だが、バスについては利便性向上と利用者増の正のスパイラルに入っており、街を訪れる人が増え、空き店舗が減るなどまちなか再生の兆しが見えている」(淺見氏)
#ディスカッション
まず、長谷川から固定資産税価値との関連性について問われた淺見氏は、まちなかに手厚く投資している理由を語りました。「地価が上がれば市に入る固定資産税収が上がり、増加した税収を市全体へと還元させることができる。そこで重要な役割を担うのが公共交通だ。せっかくのまちなかや駅前を駐車場など車だけの空間にしてしまうと土地の価値が頭打ちになる。人々の移動が公共交通へとシフトすることで、駐車場が減り、例えば店舗となれば売上により税収が増える。そうした正の循環を生むためには、公共交通に多少公費から投資しても効果が見込めるはず。小山市は、集客に対して公共交通と自動車交通のマネジメントが必要なフェーズに入っている」
続いて滋賀県における近江鉄道再生に向けた取り組みについて、事業者の赤字補てんと経営規律の関係性に関する質問を受けた森原氏は、「経営状況が良好なうちに上下分離するので、運行会社の黒字化を見込んでいる。このため、経営状況の悪化による赤字化は想定外の事象であり、災害や事故などのインシデントのケースであろう。その意味では、通常の経営環境下でしっかり経営してもらえば赤字化は想定できないことが規律につながると思う」と回答。長谷川も、「普通に運行していれば黒字が出てくるはずで、それを将来、交通に使えるようにためておくのが基本的な考え方」と補足すると森原氏は同意しました。
視聴者からは、ウェルビーイングの客観的な指標を設定できるのかについて多くの質問がありました。有田氏は、「富山県では公共交通だけでなく県政の全体的な最重要テーマがウェルビーイングであり、今まさに県独自の指標を策定し、運用している。具体的には、県民1人当たりの地域交通の利用回数と利用満足度だ。県全体のウェルビーイング指標にのっとりながら交通施策を進めていきたい」と語り、宇都宮氏も次のように続けました。「欧州では“主観的なハピネス=ウェルビーイングである”と言い切っている。ただし、アクセシビリティやサービス水準などについてはしっかりとデータ化、可視化されており、施策の目標設定などに用いられている」
行政のトップ層からの理解に関しては、淺見氏、森原氏、有田氏ともに、パーソン・トリップなどのデータ公表、住民アンケート、有識者勉強会など地道な取り組みを通じて理解を醸成し、首長や議会などのリーダーシップの大きな後押しにつなげることが重要であるとしました。
最後に宇都宮氏が、次の言葉でディスカッションを締めくくりました。「今やSUMPは欧州だけでなく世界各国が参考にする考え方であり、世界中で議論されている。本セミナーを通じ、SUMP、そして交通とまちづくり・地域づくりを一体とする考え方が日本国内に広がれば、まだまだ日本も変わることができるのではないかという期待を感じることができた」
EY Japanは2023年5月26日、「地域公共交通の将来像2023 ~地域発の新たな動き~」と題するセミナーを開催しました。セミナーでは「地域発」で先進的な取り組みを実践している有識者や地方自治体の実務専門家を講師として招き、それぞれの取り組みについて講演。さらにその後、講演内容を踏まえた意見交換も行われました。