パーパス経営が企業価値と個人のキャリア形成の双方にポジティブな影響をもたらす理由

パーパス経営が企業価値と個人のキャリア形成の双方にポジティブな影響をもたらす理由


「人的資本を起点に考えるパーパス経営」 セミナー
(2023年3月10日開催)


要点

  • 経済価値と社会価値の最大化、どちらかを選択するかでなく、どちらも両立させることがパーパス経営の本質である。
  • 「お題目」と扱われがちなパーパスだが、実は経済価値、人材価値、顧客価値などの企業価値の構成要素に寄与することが、学術研究でも企業の現場でも認識されつつある 。
  • 人的資本は開示の強化も大事であるが、自社の事業戦略と人材戦略を連動させて、実行していくことに投資家も着目している。

今、ESG経営、パーパス経営が注目を集めています。そのような中、EYはプロフェッショナルファームとして初めてBuilding a better working world(より良い社会の構築を目指して)というパーパスを掲げ、企業がいかに持続的に、長期的価値をつくり上げていくかを支援してきました。2023年4月からは、京都大学経営管理大学院で「パーパス経営」をテーマにした寄附講義を展開し、オムロン株式会社やアステラス製薬株式会社といった、日本を代表するリーディングカンパニーのエグゼクティブらも交えながら講義を展開する予定です。 

パーパス経営に対しては「しょせん、お題目に過ぎないのでは」という懐疑的な意見も耳にします。実際はどうなのか、人的資本経営とどのように関わりながら企業の価値向上に寄与できるのかをひもとくセミナーが、2023年3月10日に行われた「人的資本を起点に考えるパーパス経営」です。その模様をお伝えします。


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経済価値と社会価値の最大化、どちらかを選択するかでなく、どちらも両立させることがパーパス経営の本質

企業はデジタルトランスフォーメーション、グローバル経営、新規事業参入などさまざまな企業変革の中で、これまで以上に多様な価値観、スキル、行動特性を持つ人材が集まって、一緒に働くことが求められます。パーパスはそのような複雑多様で難易度の高い企業経営を成功させるために重要な礎となります。

画像:EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎

EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス
日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎

まずEYアジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナーの鵜澤慎一郎が「ランジェイ・グラティ氏(ハーバード・ビジネス・スクール教授)の『Deep Purpose』に学ぶパーパス経営の本質」と題した講演を行い、パーパス経営と人的資本経営の関連について解説し、パーパス経営とは決して単なる概念やきれい事ではなく「経営の根幹に関わる概念である」と強調しました。

なお鵜澤は長年組織人事関連のコンサルティングに関わり、『Deep Purpose』の原著にもいち早く着目。日本語版刊行に当たって解説章の執筆も担当しています。

鵜澤は、これまでは「来期にROEを何%上げる」といった具合に、「短期的な収益重視」「株主重視」の経営が求められてきたことは事実だと振り返りました。しかしこの数年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な感染拡大という社会環境の変化、深刻な気候変動等の環境問題、そして経済環境の急変に伴って、「本当にそれだけでよいのか」という揺り戻しに直面しています。それを象徴するのが、行き過ぎた資本主義の反作用として発生した環境問題を踏まえた「サステナビリティ」や「ESG」「SDGs」といったキーワードというわけです。

加えて、企業は株主だけでなく、顧客や従業員、さらにはサプライヤーや関連する地域のコミュニティーといった多様なステークホルダーに対しても責任を負うことが求められています。そして意外かもしれませんが、肝心の株主、特に機関投資家も、短期的な利益よりも長期的価値や株主以外の複数のステークホルダーマネジメントを重視し始めているのです。その意味で「パーパス経営は『お題目』のように見えるかもしれませんが、実は本格的に問われている時代だと捉えています」と鵜澤は述べました。

この変化を考える上で参考になる考え方が、マッキンゼー社の「7S」です。戦略、組織、システムというハードの「S」と、共有された価値観、スキル、人材、スタイルという4つのソフトの「S」の総称で、耳にされている方も多いでしょう。1970〜80年代まではどちらかというとハードのSが戦略優位性を持つとして重視され、人は、ハードウェアに合わせるための「リソース」でしかありませんでした。「今は、一番大事なのはShared Value、現代で置き換えればパーパスであると、大きく風向きが変わってきています」(鵜澤)

かつてはチャンドラーとアンゾフの論争に見られたとおり、「戦略が先か、組織が先か」が議論の主題となっていました。まず戦略があり、それに合わせた組織があって、そこに合わせた人というリソースをそろえていくのが、モノ作りの時代においては最も効率的な戦略となっていたのです。しかし2000年前後からその潮流は変化しており、マッキンゼー社の「War for Talent」という宣言を皮切りに、企業が人を選ぶのではなく、人が企業を選ぶ時代が到来しています。

「モノ作りからマーケットイン発想でのデジタルサービスの時代になってくると、最初の起点はやはり人です。パーパスやカルチャーに共感したハイポテンシャルな人をどうやって集め、その人たちが最もパフォーマンスを上げられる働きやすい環境をどうつくるかが大事になっています」(鵜澤)。リソースではなくキャピタルとしての「個人」が鍵であり、だからこそ「個」や多様性が重視されているのです。

ピラミッド的な組織からフラット型・カンパニー型、あるいはプロジェクト型の組織へ、さらにティール型組織やネットワーク型組織へといった、自律分散型モデルに向かう組織戦略の変遷も、こうした文脈から読み解くことができるでしょう。

「軍隊型組織のような伝統的な上から下へのモデルは、顧客やテクノロジーの変化のスピードに追いつけません。そこで次に取り組もうとしたのが、小さいグループに分けていこうとするアプローチで、事業部制やカンパニー制に当たるものだと思います。今はそれがさらに変化しており、Team of  Teamsやティール型組織といわれるような、チームではあるけれども現場の中で自律分散的に動いて、意思決定を進める組織へと進化が始まりました」(鵜澤)

ただ、その際、自律分散だからといって全員がばらばらに動いてしまっては組織の体を成しません。その場その場で自己判断を下しつつも組織としてのよりどころになるのが「パーパス」です。

鵜澤は、「パーパスは北極星でもあり、コンパスでもある」という解釈に加えて、先日、ランジェイ氏が来日した際のミーティングで発した、「パーパスは『この先を乗り越えてしまっては危ない』という領域を示すガードレールでもある」というコメントを紹介し、パーパスとは個が重視され、自律分散的に動いていく組織を緩やかにまとめるものだと触れました。

とはいえパーパスはいまだに、「何だかお題目っぽくて、うそくさいところがあり、本当にそれで企業価値は上がるのか、個人のキャリア形成と関係はあるのかと思われがちです」(鵜澤)。実はランジェイ氏も、実際に研究するまで、何だかうそくさくて信用できないものだと思っていたそうです。しかし、200人を超える経営者にインタビューしていく中で、パーパスと企業価値はトレードオフの関係ではなく、「両方やるべきことである」と分かってきたと言います。

そもそも「パーパス」とは何でしょうか。ウィリアム・デーモン氏の『The Path to Purpose』によると、「自己にとって意味があり、かつ自己を超えた世界にも重大なものを達成しようとする普遍的かつ安定的な意図である」と定義されています。つまり、個人や企業を超えたより大きな理念を含むものです。

鵜澤は「3人のレンガ職人」のたとえ話を引き合いに出し、自分の仕事をタスクやジョブではなく、社会のために役立つこととして取り組む天職(コーリング)と意味付けることで、人は生き生きと働き、才能や能力を発揮させ、本人の成果につながるだけでなく社会にも良い効果がもたらされるとしました。そして、この「何のため」に働くのかということこそ、パーパスだと述べました。 また、「企業のパーパスと個人のパーパスをつなげて考える」ことを通じて、個人のキャリア形成においてもポジティブな影響を及ぼすことを強調しました。

現実に戻ると、経営者はしばしば「経済価値と社会価値の極大化、どちらを重視するのですか」と問いかけられます。これに対する鵜澤の答えは「どちらも大事」というものです。どちらかではなく、どちらも追いかけるのが新しい経営であり、きちんと利潤を出しつつ社会価値も高めていくことがポイントです。

パーパス経営の好例として書籍内で取り上げられているケースも多々あります。その1つが「住む地域や親の経済環境で決まってしまいがちな子どもの教育格差をなくす」というパーパスに取り組んで大きな成長を遂げている、株式会社リクルートのスタディサプリ事業です。また、創業時の魂の「再発見」を通してクラウドシフトを実現し、ビジネスを好転させたマイクロソフト社も、そうしたディープパーパス企業の1つといえるでしょう。

最後に鵜澤は、「はっきり申し上げると、パーパス経営は日本が最もアドバンテージがあると思います」と述べました。長い歴史を持つ日本の優良企業を振り返ってみると、「道徳経済合一説」を説いた日本の近代資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一氏や、近江商人の伝統から続く「三方よし(売り手によし、買い手によし、世間によし)」を企業理念に掲げる伊藤忠商事株式会社のように、経済価値一辺倒ではなく、社会価値を織り込んだパーパスを最初から掲げてきた企業が数多くあります。

そして、「元々持っている強みを生かして経営革新することが大事です。この先100年、150年先を見据えて逆算したときに何をすべきか、行ったり来たりしても変えないものと変えるものを決める礎としても、パーパスは非常に有効だと思います」としました。

また、パーパスとは経営層のものだけではなく、マネージャーや従業員の行動変容にもつながるものだとも付け加えました。財務的な数値だけでなく、顧客価値や人材価値、社会価値といった非財務的な目標を適切に設定し、評価していくことによって一人一人の行動変容につながるものであり、その意味でも鵜澤は「パーパス経営は単なるお題目ではありません」としました。


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より多くのデータをつなげ、分析し、ESGやパーパスと企業財務の関係を解き明かす動きが進展

アカデミックの領域では、さまざまな角度からESGの要素がどのように企業価値に結び付くかの研究が進んでいます。人的資本の領域においてもデータを活用した課題解決の動きや企業行動の変化がみられます。

画像:京都大学経営管理大学院 教授 砂川 伸幸 氏

京都大学経営管理大学院 教授 砂川 伸幸 氏

続けて、この4月からEYと共に寄附講義として「パーパス経営」を開講する京都大学経営管理大学院教授の砂川伸幸氏が「人的資本(ESGのS要素)と財務パフォーマンス」をテーマに特別講演を行いました。

砂川氏によるとアカデミックの世界でも、財務が企業価値を決めていくというこれまでの考え方から、最近では、ブランド、人的資本、環境への取り組みといった非財務の領域が企業価値向上にどのように結び付くかを、データに基づいて研究する動きが進んでいるそうです。

もっともこうした研究はまだ始まったばかりで、特に個社ベースでの分析となるとこれからという段階です。しかし「人的資本のデータを集め、整理し、分析して開示していく動きに加え、財務データやエンゲージメントサーベイのデータを組み合わせていくと、データベースが蓄積され、この仮説が正しいかどうかがデータドリブンで分かっていく時代になるでしょう」と砂川氏は期待を寄せました。

砂川氏はさらに、東証から「企業価値向上表彰」を受けた株式会社小松製作所(コマツ)、ダイキン工業株式会社、塩野義製薬株式会社といった日本を代表する企業に共通する事柄として、実際に財務的に正しい管理方法を企業内に浸透させていることがあると説明し、「おそらくパーパスについても、その浸透度合いや意味合いには共通点があり、ディープパーパスを達成している、ということだと思います」と述べ、その研究も進めていきたいとしました。

昨年改訂されたコーポレートガバナンス・コードには、気候変動やサステナビリティといった文言が盛り込まれました。いよいよESG情報の開示も始まり、自分たちの理念にさかのぼってパーパスを考える会社も増えてきています。こうした動きに取り組むことで、日本企業の財務的な企業価値も高まっていくことが期待されると砂川氏は述べました。

非財務的な価値はなかなか認識されにくいものですが、確かに企業価値につながります。その一例が「ブランド」でしょう。

砂川氏は、京都大学が販売しているロゴ入りの「京大ノート」が一般のノートよりも高い単価で売れている事例を挙げ、ブランド力が高い会社はノンブランドよりも高い単価で商品を売ることができ、ロイヤリティが高いためキャッシュフローや利益の安定につながり、さらに新規事業や海外展開などの成長の可能性も高いと説明しました。「財務的にいえばまさしく収益性、安定性、成長性ということで、これらが集約されて企業価値に結び付く、ということになります」(砂川氏)。こうした考え方から、ブランドというものがもたらす価値を指標化し、評価できるのではないか、というわけです。

ESGにおけるSの要素である人的資本についても同様に、財務パフォーマンスとどのような関係にあるかについて研究が進んでいます。

並行して、ESG活動に懐疑的であった企業側も、実は成果や企業価値向上につながるのではないかと感じ始めている兆しが、生保協会のアンケート調査などからうかがえるといいます。「おそらく手応えが出てきた、あるいはより真剣に取り組み始めたのではないかということが見て取れるように思います」(砂川氏)。「ESG活動が多くのステークホルダーを巻き込み、価値となって企業に財務的に返ってくる」というステークホルダー仮説が、世の中の動向やアンケート調査結果、データに基づく実証分析からも実証されつつあるとしました。

続けて砂川氏は、国内外のいくつかの研究結果を紹介しました。例えば欧米では「ESGのレーティングが高い会社の方がリスクや資本コストが低い」、そして「財務指標や株式リターンに対してポジティブな影響を与えていると考えられる」とする複数の調査結果が出ているそうです。

砂川氏も、日本企業の過去8年間のデータを用い、ESGのうちEやSの要素がどういったインパクトを与えているかを検証しました。その結果、「温室効果ガスを削減した企業はROIC(投下資本利益率)が上昇している」「水の使用量削減や、産業廃棄物を削減した会社の財務的なパフォーマンスは上がっている」といった関係性が見えてきました。「ESGの取り組みが、自分たちの企業価値や財務的な価値に良い影響を与えていることが検証でも示されてきていますし、企業内でも少し実感されているのではないかと思います」(砂川氏)

企業の現場でも検証が進んでいます。例えばオムロン株式会社では、ROICの式を組み替えた上でツリー上に分解し、それを左右逆さまにした「逆ROICツリー」を用い、組織的な改善活動に取り組んでいることで有名ですが、有価証券報告書において、サステナビリティへの取り組みが想定資本コストの低下に結び付く可能性を示唆しています。

では、人的資本と企業価値の関係についてはどうでしょうか。ESG情報開示研究会などでダイバーシティやエンゲージメントの上昇とパフォーマンスの向上の関係性を分析する議論が始まっていますが、「ストーリーはある程度描けるものの、そこの裏付けとなるとまだ難しいというのが課題だと思います」と砂川氏は述べ、どのようにデータドリブンで分析していくかがまさにこれからの課題だとしました。

そもそも人に対する投資の効果が見えてくるには、長期的な視点が必要です。また、人事担当だけでなく、財務や経理、あるいは経営企画やサステナビリティ推進室といったさまざまな組織が一緒になって、統合して進めていかなければデータもそろわず、分析すら進みません。

すでに米国では、財務価値とサステナビリティ投資、タレントマネジメントの関係を探る先行的な研究もいくつか発表されていますが、話はそう簡単ではなさそうです。「例えば、外国人従業員比率と財務の数値の2つを相関分析したら関係が出てくるかというと、そう単純ではありません」(砂川氏)。女性従業員の比率と財務数値という同じようなデータを基に分析を行っても、片方の研究ではポジティブな影響が見いだせた一方で、違うモデルを使えば正反対の結果が出てくることもあるといいます。

こうした状況を踏まえて砂川氏は、企業の環境や風土、さらにはパーパスに通じる「意識」といった要素を抜きにして分析はできないとしました。

そこで注目しているのが、従業員のエンゲージメントです。パーパスの浸透具合なども含めたエンゲージメントサーベイデータと人事施策、そして財務パフォーマンスという3つのデータをつなげ、分析することによって「もう少し経営の実態に即した、腹落ちできるストーリーが描け、結果にもつながるのではないか」と期待しているそうです。

より多くのデータをそろえて分析できれば、例えばダイバーシティ&インクルージョンの風土がある会社とない会社、ある部門とない部門とで、女性の従業員比率を上げたときのパフォーマンスに違いが出るかどうか、といった事柄が分析できるようになります。その結果従業員の業務の品質が上がり、会社満足度の向上につながり、さらに財務数値につながっていく、といったモデルを作成し、一つ一つ検証していくことで、さまざまな指標が本当に業績に結び付くかどうか、という疑問に答える1つの方法として期待されています。

ただし課題もあります。まず、財務に関する数値と人材関連のデータ、エンゲージメントサーベイという3つのデータでは粒度がまったく異なります。これらをどのようにそろえていくかがポイントの1つでしょう。また、特にエンゲージメントサーベイは個人に関わる情報が含まれるため、取り扱いに留意が必要となります。こうした課題はあるものの「非常に良い機会なので、財務データに粒度を合わせる形でエンゲージメントや人材関連のデータを取り、それぞれの関連性を一度見てみるといいのではないでしょうか」と砂川氏は呼びかけました。

それを実践し始めている企業の1つがSOMPOホールディングス株式会社で、同社は2022年度の統合報告書の中でエンゲージメントの向上やパーパスとパフォーマンスの関係について言及しています。

「エンゲージメントの上位と下位とで生産性が違うことが報告されてくれば、次はエンゲージメントを上げればよいとなります。そして、そのために具体的にどうするのか、どのくらいエンゲージメントが上がって生産性が向上すれば、どのように企業価値に結び付くかといった事柄を計算できるようになります」(砂川氏)

砂川氏の研究室では現在、さまざまな企業と協力してデータセットを作成するだけでなく、そのデータを分析できる人間の育成支援に取り組もうとしています。企業内部でデータ分析を行えるサステナブルな仕組み作りを進めるため、研修プログラムなどの提案も視野に入れているそうです。

また、パーパスと企業の財務価値との関係性についても、定量的な指標や関係性づくりに向けた研究が始まっています。先行する米国での研究によれば、単にパーパスを定めるだけでなく、いかに分かりやすいパーパスか、そして経営層だけでなく中間管理職やプロフェッショナルの技術職といったミドル層もパーパスを理解しているかどうか、つまりディープパーパスが企業価値を左右している、といった分析が得られているそうです。

こうした成果を踏まえて砂川氏は「ESGにしてもパーパスにしても、少し信ぴょう性が不足していた雰囲気だったものが、次第に、財務に効いてきていることが分かりつつあります。今後、こうした研究はもっと進んでいくでしょう。ぜひこうした研究成果を参照し、自社でもこの機会にデータを整備し、人事政策やESGのS要素、有価証券報告書に記載される項目がどのように財務に影響していくかを分析する体制をつくられるとよいと思います」と呼びかけました。

そして、アカデミックな立場からパーパスやESGやサステナビリティは取り組みやすいテーマではあるものの、より有意義な研究にしていくためにも、さまざまな企業との産学連携、共同研究には大きな意義があるとし、ぜひ力を合わせながら進めていきたいとしました。


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政府が進める人的情報開示強化に加えて、真に重要なのは事業戦略に沿った人材戦略のストーリー展開

財務諸表に表れない企業の価値を測り、正しく評価するために、日本政府はさまざまな非財務情報の開示を企業に求めています。しかし大事なのは、やむを得ず渋々取り組むのではなく、自らの戦略に立ち返って考え、取り組むことです。

画像:EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ピープル・アドバイザリー・サービス パートナー 野村 有司

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
ピープル・アドバイザリー・サービス パートナー 野村 有司

最後に、長年組織人事の領域に携わってきたEYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ピープル・アドバイザリー・サービス パートナーの野村有司が、「人的資本に関する企業動向と最新課題」と題し、人的資本を取り巻くマクロの動向、特に国内の規制に関する動向を説明しました。

野村はまず、「企業価値のうち財務諸表で表される価値、数字で表される価値は、過去の、あるいは今の価値です。一方、市場では将来の価値を織り込んだ企業価値が評価されており、その財務諸表に表れない価値をどう測定し開示するかが大きな注目点となっています」と指摘し、だからこそ、今や「非財務価値の時代」になってきていると述べました。

さて、日本企業の状況となるとどうでしょうか。欧米企業では企業価値全体のほとんど(4分の3以上)を無形資産価値が占めており、将来の期待値が非常に高い一方で、日本企業では無形資産価値の割合が3分の1程度と低く、また過去と比べて低下しています。つまり、「日本企業の期待値や取り組みが正しく投資家に評価されていないという、じくじたる状況が続いています」(野村)

こうした背景から日本政府も、非財務価値をいかに正しく示していくかという問題意識を持ち、コーポレートガバナンス・コードを改訂し、サステナビリティをはじめとする非財務価値を重要な経営課題と位置付けるようになりました。コーポレートガバナンス・コードの補充原則では、気候変動についてはリスクにどう対応するかという観点だけでなく、企業価値を高める要因として捉えるべきであること、短期的な観点ではなく中長期的な観点で人的資本への投資を捉えるべきことといった、さらに踏み込んだ言及がなされています。

より具体的に企業の実務に影響してくるのは、「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正です。これまで有価証券報告書や決算短信、事業報告といった企業が発信する情報では、財務情報が中心に記載されてきました。これに対し今回の開示府令改正では、2023年3月期の有価証券報告書から、サステナビリティ情報記載欄において人材育成方針や社内環境整備方針について、戦略や定量的な指標も含めて開示するよう示しています。

さらに、2022年は「人材版伊藤レポート 2.0」や「人的資本可視化指針」も相次いで示され、「人的資本や人材価値をどのように可視化し、アピールし、育てていくかが大きな流れになっています」と野村は述べました。 

こうした動きは単に透明性を高めるだけに終わりません。いやが応でもいったん数字を出せば、他社と比較され、取り組みが可視化されることになります。「そうした状況にさらされれば、企業としてはこれまで以上に本気で取り組んでいかないといけないでしょう」(野村)

こうしたマクロ的な動向を背景に、企業はどのように対応しているでしょうか。

「人材版伊藤レポート2.0」にて示された、人的資本経営に関する現状を把握する目的で実施された経済産業省の「人的資本経営に関する調査」によると、企業理念やパーパス、経営戦略の明確化は進んでいるものの、具体的な施策レベルに落として腹落ちするところまでは至っていない、といった実態が見えてきます。特に、「動的な人材ポートフォリオ」に関しては最も課題感があり、自社のパーパスや経営戦略の実現にどのような役割や能力を持った人材が必要で、それを満たすためにどのような人にどうなってほしいか、といったストーリーを企業が描けていない状態にあるということも明らかになりました。

「企業にとって非財務価値が重要であることが認識され、人的資本が注目されており、開示も進んでいます。ただ、取り組みはまだまだというのが今の状況かと思います」(野村)

野村はまた、人的資本に関するデータをどのように収集するかも大きな課題だと述べました。多くの企業には人事給与システムがあり、社員情報のマスターデータは得られますが、人的資本経営という観点からはそれだけでは不十分であり、社員の保有スキルや職歴、キャリア志向や後継者計画を管理するタレント・マネジメント・システムや自身に必要なスキルや受講すべき研修の可視化、それらの履歴が統合的に管理できるラーニング・マネジメント・システムといったシステムを整備することで、人事給与データでは収集できないさまざまな人的資本に関わる情報を収集することが必要となっています。 しかしながら、これらの導入は十分には進んでおらず、企業にとってこれらのシステムをいかに導入し、活用していくかということが課題となっています。

人に投資をした結果どのような成果が生まれ、企業価値がどう上昇するかといった相関関係を定量的に把握できなければ、実効性のある人的資本経営は困難です。この道筋を検討する上で、「システムをどのように活用するか、HRDXが重要なポイントになります」と野村は述べました。

また人的資本に関する先進企業の人事責任者に対してEYが実施したインタビューの結果からは、これらの多くの企業では開示の要求に迫られたから取り組むのではなく、そもそもの人材戦略においてパーパスや事業戦略から必然的に人的資本に着目し、結果的に「人的資本経営」といえるような取り組みを進めていることが明らかになりました。「本質的には、経営において人をどのように捉えるかという議論こそが人的資本経営であり、開示規制に対応するだけではなく、遠回りでも本質的な論点について考えていくことが重要でしょう」(野村)

そして、「自社にとってのダイバーシティとインクルージョン」を真剣に考え、定義しているオムロン株式会社の開示ケースを例に挙げ、単に数字や指標だけを見るのではなく、事業戦略と連動したストーリーを作ってきちんと説明していくことが重要だと述べました。 

一方で、もちろんデータや指標の活用も、ストーリーや戦略との両輪となる欠かせない要素です。そのデータをどう取得し、どのように分析して捉えていくかとなると、特にグローバルな企業ではあまりにやることが多く、どこから手を付ければいいか悩むケースが少なくないといいます。

これに対し野村は、「思い切って最初からグローバルで取り組む」方法と、「まず国内でベストプラクティスを作り、トライアンドエラーで検証しつつROIを明確にしながらグローバルに展開する」という2つのアプローチを紹介しました。日本企業が採りやすい後者の施策を推進する上で、国際的なフレームワークである「ISO 30414」をうまく活用することがポイントになるとしました。一方で、指標はどうしても「平板」なものになりがちであり「ISO 30414」も単なる指標のライブラリに過ぎません。自社なりの人材戦略ストーリーを立て、そこにISOのフレームワークや指標を当てはめ、「地図」を作っていくというアプローチが求められるでしょう。

最後に野村は、重要なコメントを残しました。

企業としては、悪い指標の開示にはどうしても二の足を踏みがちで、できれば見栄えのする数字を出したくなるところです。しかし野村は「『ためにする開示』は作っても仕方がありません」と断言しています。現在は悪い指標も、その状況で現在の企業価値が構成されているのであり、どのように改善していくかという道筋と共に開示することで、投資家は「企業価値向上のポテンシャルがある」と捉えるはずです。その意味で「今悪いということは、本当に悪いことなのか」をもう一度問い直すべきであろうとしました。

一連の講演を終え、最後に会場からの質問に答える形でパネルディスカッションも行われました。

まず鵜澤は、野村の「悪い数字も開示しよう」という提言に対し、元Jリーグチェアマンの村井氏の「魚と組織は、天日干しすると長持ちする」とう口癖を紹介しました。海外のサッカーと日本のサッカーにおけるプレースピードなどの違いを数値としてあえて開示することで、プレーの改善につながり、Jリーグの魅力向上につながったのと同じように、「人的資本に関する数値も、悪いものも思い切って開示し、天日にさらすことで、社内外のステークホルダーからの健全なプレッシャーを受けてむしろ改善の後押しとなっていくでしょう」としました。

こうしたコメントに対し、会場からは「担当者レベルでは悪い数字を出すべきだという意見に賛同していても、経営陣は消極的で、できるだけ開示範囲を狭くしようとしています。どう説得すればいいでしょうか」といった切実な質問も寄せられました。これに対し野村は、開示を「投資家のエンゲージメントを高める良い機会である」と捉え、指標やその水準だけではなく、それに対する自社の見立てや改善策等の説明を通して、「いかに改善する余地があり、それが企業価値に良い影響があるか」という自社なりの道筋を提示していくとよいのではないかとアドバイスを送りました。


サマリー

ESG経営やパーパス経営は、ともすれば「お題目」と捉えられがちです。しかし、先進的な企業の取り組みからも、また経営学における内外の研究結果からも、財務パフォーマンスにポジティブな影響をもたらし、企業価値と社会価値の双方を高めるものであることが見えてきました。自社の戦略に立ち返り、強みを生かす契機として着目すべきでしょう。


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