EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
将来の気温上昇に備え、金融機関が気候レジリエンスを強化するにあたり、①トランジション・ファイナンスが「ウォッシュ」と見なされるリスク、②適応戦略を踏まえた適応ファイナンスの機会、の認識すべき2つの新しい課題があるでしょう。
2023年12月に行われたCOP281では、「化石燃料からの脱却を進め、この重要な10年間で行動を加速させる」という、石炭のみならず化石燃料全体に言及した歴史的な報告がありました。しかしながら、当初期待されていた「段階的廃止」の明文化はならず、具体的な廃止目標や期限などをうたうまでには至らなかったことからも2 、欧米の先進国や島しょ国と、資源国や国家の発展を化石燃料に頼らざるを得ない途上国との間の分断の深刻さがうかがえます。
NGFS3 が2023年11月に発表した、最新の中央銀行・監督当局向けシナリオ枠組み4では、「分断された世界(Fragmented World)」シナリオが分析対象として追加され、脱炭素移行の各国の歩調が乱れ遅延することで、気温上昇による物理的リスクを抑えきれない未来を想定しています。また、金融システムの安定を目的とした自己資本規制の設定主体であるバーゼル銀行監督委員会からも、「気候関連金融リスク」の3柱開示の枠組みに関する市中協議が出ており、物理的リスクの定量開示や、フォワードルッキングな対応戦略・リスク管理の開示が提案されています。
このように、気温上昇の蓋然(がいぜん)性が高まり、温室効果ガス(GHG)排出への監視や気候災害・環境変化への備えが徐々に広がる中、金融機関としては今後どのような視点を持つべきでしょうか。
累積排出量と気温上昇との間にはほぼ線形の関係があり、IPCC5によれば、累積CO2排出量が1,000GtCO2増加するごとに、世界平均気温は約0.45℃(最良推定値)上昇するとされています6。このため、2050年時点のネットゼロは、1.5℃シナリオ達成の唯一の条件ではありません。排出のパスウェイ(経路)を低く抑え、カーボンバジェット7を使い果たさないうちに排出を十分削減することで、2050年までの累積排出を一定値に抑えることが、むしろ極めて重要になります。
COP28で開かれた、パリ協定の目標に対する進捗を確認するグローバル・ストックテイクにおいて、気温上昇を1.5°Cに(50%の確率で)抑えるために残されているカーボンバジェットは、全体の約5分の1しかない旨が報告されています8。また、国別削減貢献(NDC)の計画の実施だけでは、2030年のGHG排出レベルは2019年より5.3%減少するのみで、産業革命前に比べて2.1〜2.8℃の気温上昇が見込まれています。1.5°Cへの抑制には、2030年までに2019年比で43%、2035年までに60%の排出量を削減するパスウェイの実現が必要であり、極めて高いハードルとなってきています。
一方で、GFANZ9の報告書10では、「投融資に係る排出量(FE:Financed Emissions)は当初は増加する可能性があるが、(中略)実体経済の排出量削減が実現されるにつれて、経済全体のFEは減少することが期待される」とし、単年度のFEがいったん増加する、図1のような山形のパスウェイをイメージしています。
図1:GFANZによるトランジション・ファイナンスとFEの将来推移のイメージ11
GFANZ(2023), ”Scaling Transition Finance and Real-economy Decarbonization”, を基にEY作成 assets.bbhub.io/company/sites/63/2023/11/Transition-Finance-and-Real-Economy-Decarbonization-December-2023.pdf
この場合、カーボンバジェットの制約を堅持するためには、その後の削減フェーズ(図の右半分)でのFE削減ペースを極めて速いものにする必要があります。短期間での排出削減や、GHGの回収・貯留が実現できるような技術的ブレークスルーも確実には見通せない中、少なからぬ金融機関にとっては、達成のハードルが徐々に高まる中で、カーボンバジェットに見合った将来のFE削減に賭けつつ、トランジション・ファイナンスを推進する立場となってくると想像されます。
こうした背景から、GHG高排出セクターに対しトランジションと称するファイナンスを提供する際には、顧客による移行計画の実現可能性や実効性が乏しい、あるいは資金が顧客の移行計画と関係のない資金需要への対応に利用されている、または計画実施のパフォーマンスが伴っていないなどという、いわゆる「トランジション・ウォッシュ」であるとステークホルダーに見なされないよう、注意を払う必要性が高まっています。
国際資本市場協会(ICMA)による「クライメート・トランジション・ファイナンス・ハンドブック12」では、脱炭素移行のために行うファイナンス手段として、資金使途特定型のグリーンボンド、サステナビリティボンドと、商品条件がKPIに連動13するサステナビリティ・リンク・ボンドに限定しています。また、これら3つは「金融商品」であるのに対して、クライメート・トランジション・ファイナンスは、あくまでも投融資におけるテーマでありファイナンス手段ではないとしており14、トランジションの4要素15も、金融商品の要件というよりは、信頼性確保のための発行体への期待事項として位置付けています。
一方で、金融庁・経済産業省・環境省による「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針16 」では、「トランジション要素を満たす金融商品はトランジション・ファイナンスになり得る」とするなど、むしろ4要素の充足を商品性の要件と位置付けています。加えて同フォローアップガイダンス17では、「定義については、基本指針及びGFANZで示された定義を含むものとする。そのため、フォローアップの対象はトランジションラベルがついたものに限定されるものではない」とするなど、比較的広いGFANZ18の定義である「移行を支援するために必要な投資、金融、保険、および関連商品・サービス19」まで許容しています。さらに、環境省の商品ガイドライン20(以下、「本邦商品ガイドライン」)でも、「調達した資金の充当対象あるいは設定したKPIのみでは判断されず、資金調達者のクライメート・トランジション戦略や実践に対する信頼性を重ね合わせて判断される」というように、その範囲は柔軟な形になっています。
以上より、本邦で普及しているトランジション・ファイナンスの概念は、厳密な資金使途やKPIによらず、4要素を含む顧客の脱炭素への姿勢を総合的に判断し実行するファイナンス活動全般を指し得るものと解釈し得ます。このため、投融資のテーマとしてではなく、あたかも個別の特性を有する金融商品としてトランジション・ファイナンスを提供し対外説明しようとする場合には、このようなニュアンスの差異の可能性に十分配慮し、あらぬウォッシュの誤解を回避すべきと考えられます。
さまざまな関連ガイダンスや個別金融機関のフレームワークが存在している中、化石燃料への依存の即時の解消が難しいアジア地域では、「トランジション活動」の定義の明確化が期待されてきました。2023年12月に、シンガポール金融管理局(MAS)より、「サステナブル・ファイナンスのためのシンガポール・アジア・タクソノミー21」が発表されました。ここでは、緩和活動(GHG排出量を減らす活動)を皮切りに、8つの重点セクター22に向けて、トラフィック・ライト(緑: グリーン活動、黄:トランジション活動、赤:不適格活動)方式で分類を明確化しています。国際標準産業分類をベースに網羅性を確保しつつ、グリーンの基準を満たさないものの、ネットゼロへ向かい成果に貢献する活動をトランジション活動として特定しているだけでなく、経済活動全体がカーボンバジェットに整合するように、2030年以降はこれが不適格活動に原則切り替わるところが、類似のASEANタクソノミー23などと比較しても、画期的なものとなっています。
前述の商品ガイドラインの直近の改訂(2022年7月)においては、グリーン性の判断基準の明確化を実施すると共に、グリーンプロジェクト、評価指標(KPI)、ネガティブな環境効果の例について一覧表を付属しています。これが本邦でグリーン活動のタクソノミーとして広く用いられるようであれば、本邦で言うトランジション・ファイナンスを、このような海外のトランジション活動の個別明示化に関する動きと共存させるのに、ひと手間必要となるでしょう。資金使途を特定し、対象事業の脱炭素移行としての正統性を科学的に疎明したり、アウトカムをKPIにて適切に表現し、顧客に実効的なインセンティブをもたらす商品条件とひも付けることで、トランジション性の対外的な透明性を、これまで以上に高めることができるものと考えられます。
これまでの金融機関の気候変動に関連する機会の認識は、顧客による「緩和」への対応を主に念頭に置いたものとなってきました。例えば、再生可能エネルギーの導入、生産工程・サービスにおけるGHG排出の削減、販売製品のGHG排出の削減、森林保全や植林等によるCO2吸収などが、緩和の取り組みの例として挙げられます。一方で、気温上昇に起因する、気候や自然環境、経済・社会の変化に対する、表1に示すような、顧客の「適応」行動がもたらす金融機関への機会の検討については、これまでの適応の取り組みが公的セクター中心だったこともあり、まだ途についたばかりです。
類型 |
適応策の例 |
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1. 生態系の保全、生物多様性の保持 |
植林、森林再生、湿地保全、シードバンク、乱獲のコントロールなど |
2. 森林・緑化 |
植林・造林、森林再生管理、保全林業、グリーンインフラ(都市の緑化)、山火事の低減と野焼きなど |
3. 水資源管理 |
海水淡水化、灌漑・浄水・節水技術の高度化、水道料金調整、貯水設備、その他水資源の多様化 |
4. 技術開発による代替・効率化 |
品種改良、代替食・代替繊維開発、食品保存施設、エネルギー効率化、スマートグリッド、EV用充電ステーション他 |
5. 都市計画とインフラ強靭(きょうじん)化 |
洪水地域の治水管理、堤防・防波堤・護岸施設、運輸・道路インフラの災害耐性強化、排水施設など浸水対策、避難設備、その他都市計画 |
6. テクノロジーやデータによるリスク回避 |
気象モデリング、物理的リスクの測定・管理システム、ハザード分析、脆弱(ぜいじゃく)性評価、リモートセンシング、予報精緻化、災害早期警戒など |
7. 経済制度や金融によるインセンティブ |
災害保険、カタストロフィボンド、マイクロクレジット・インシュランス、外部性への課金や税金・補助金、災害救助基金など |
8. 社会的セーフティネットと公共サービス |
フードバンク、水・衛生設備などのサービス、ワクチン接種プログラム、救急医療サービス、予防接種、在宅介護・ホームケア他社会的セーフティネット |
9. 教育と情報共有 |
適応への伝統的知識の共有、参加型アクションリサーチ・社会的学習、知識共有・学習プラットフォーム、各種制度・媒体を通じた学習・意識向上 |
国連環境計画(UNEP)の「適応ギャップ報告書24」では、適応対策の実施のために自力で資金調達することが困難な発展途上国において、資金不足が深刻な旨を報告しています。適応への取組みに資金供給したり、リスクをヘッジしたりすることにより、不確実性を抑制しつつ安定的なリターン獲得の確度を高める、「適応ファイナンス」のもたらす機会も、さらに現実味をもって語られるべきかもしれません。形態としては、トランジション・ファイナンスの一類型として、グリーンボンド・ローンやサステナビリティボンド・ローンとなることはもちろん、インフラ強靭化のプロジェクトに資金使途を限定する気候レジリエンスボンド、気候災害による損失を直接ヘッジするカタストロフィボンドなど、適応戦略を支援するファイナンス形態全般が含まれ得ます。
気候変動適応法の下で策定されている、わが国の気候変動適応計画25では、金融分野における潜在的なインパクトとして現状挙げられているのは損害保険分野のみであり、適応のための経済社会全体の資金調達の問題や、水害をはじめとする物理的リスクの金融資産への影響などには、まだあまり触れられていません。しかしながら、金融機関にとっても、将来の気温上昇と物理的リスクの高頻度化・激甚化を、より現実的な経営シナリオとして取り入れていく中で、自らの気候レジリエンスを高めていくような施策は、少なからず必要となるでしょう。こうして、顧客が財務的に被る物理的リスクの認識や、リスク軽減とビジネス機会を兼ねた、適応ファイナンスを通した顧客への適応支援策などの、自身の適応戦略にまつわる検討が、今後より深まっていくと考えられます。
化石燃料からの脱却にまつわる分断により、ネットゼロに至る経路は国や地域でさまざまとなる可能性があります。顧客の脱炭素移行のための資金支援を、「ウォッシュ」と誤解されないようにすること、また、将来の気温上昇に備え、物理的リスクへの対策を適応ファイナンスの形で後押しすることが、金融機関経営の気候レジリエンスを高める上で今後重要となってくると考えられます。