EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
企業経営者が今注目すべき世界の情勢や、背景を踏まえて政治や経済のさまざまな動きを読み解くポイントなどについて、元NHKワシントン支局長で、外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一氏にお伺いしました。さらに手嶋氏とEY Japanのプロフェッショナルがディスカッションしました。
イベント登壇者(敬称略)
■手嶋 龍一
外交ジャーナリスト・作家/元NHKワシントン支局長
■増 一行
EY Japan株式会社 シニアエグゼクティブアドバイザー
■小林 暢子
EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 EY Asia-Pacific ストラテジー エグゼキューション リーダー
■宮川 朋弘
EY Japanアシュアランスマーケッツリーダー EY新日本有限責任監査法人 パートナー
外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一氏は、元NHK政治部記者、ドイツ支局長やワシントン支局長を歴任。2001年に発生した米国の同時多発テロの際は最前線で取材を行い、刻一刻と変化する状況とともに、鋭い視点に立ったリポートを現地から中継で伝えました。
インテリジェンスについて手嶋氏は「一言で言うと、国家や企業が生き延びるため、分析し抜かれ、彫琢され抜かれた、情報の最後のひとしずく」と述べ、講演では、豊富な取材経験に基づいて読み解いた世界の動きを伝えました。
21世紀の今、地政学上のリスクに対する考え方は、かつてとは様変わりしていると言います。手嶋氏は「地理的な制約条件はもちろん、宇宙空間やインターネット空間、経済ファクターなど幅広いインテリジェンスを動員することが重要」と話し、ウクライナ情勢やハマスとイスラエルの衝突に対する米国・中国の動きを読み解き、重要な戦略物資、先端半導体をめぐる各国の動きなどについて解説しました。
手嶋氏が注目するポイントの1つは、台湾と中国の情勢です。2022年5月、米国のバイデン大統領は、岸田首相との首脳会談の後の記者会見で、台湾を守るために軍事的に関与する意思があるかという記者からの質問に「Yes.」と答え、世界中で大きなニュースとなりました(参考:"Remarks by President Biden and Prime Minister Kishida Fumio of Japan in Joint Press Conference" THE WHITE HOUSE <2024年3月14日アクセス>)。
中国は「一つの中国」政策、すなわち台湾の独立を認めない方針を堅持してきたのに対して、米国は台湾を軍事力で防衛するか否か「あいまい戦略」をとり続けてきました。
1972年に発表された上海コミュニケ(米中共同声明)は、米中の劇的接近を演出するため、台湾問題の落としどころを見出だしたのです。手嶋氏は「外交ジャーナリストから見ても、東アジアに関する外交上の文書で、これほど精緻な、かつ、ガラス細工のような、知恵がこもった文書を他に知らない」と話します。
ところがバイデン大統領の発言は、上海コミュニケの米国のあいまい戦略の半ばを覆すものでした。台湾問題に対する米議会の姿勢が厳しくなっている情勢を映したものなのでしょう。
「上海コミュニケ」の存在もあって、半世紀を超えて波穏やかに保たれてきた日本周辺の海域は俄に厳しいものになりつつあります。
手嶋氏が注目するもう1つのポイントとして言及したのが、先端半導体をめぐる各国の動きです。「半導体は重要な戦略物資であり、熊本県に半導体最大手・台湾のTSMCを招へいし、西側陣営は地政学的なリスクを減らそうとしている」と言います。TSMC本社がある台湾・新竹サイエンスパークの地理的な特性についても解説しました。
「世界の動きをひもとくためには、歴史的な背景を踏まえ、物事の本質を捉える必要があります。実業の世界で社会をけん引している皆さんにはぜひ、インテリジェンスを通じて世界を変革するような企業を育て、日本を、そして東アジアを世界に冠たる地域にするようリードしていただきたいと思います」(手嶋氏)
世界の政治や経済が大きく変わる中で、企業のマネジメントが情報をどのように集め、考え、判断するのか、手嶋氏を囲み、EY Japanの3人のプロフェッショナルと共に、交わされた議論の一部を抜粋してお伝えします(以下敬称略)。
宮川:最初に、企業として、そして国家としての地政学リスクへの対応について考える上で、三菱商事でCFOを務められた増さんに、ロシアにおける天然ガス資源プロジェクト、サハリン2についてお伺いしたいと思います。投資の意思決定を行った当時と、その後の現在に至るロシア情勢は全く異なっていると思いますが、当時の経営者、あるいは関係者が、地政学リスクについてはどのような想定を行い、検討されていたのか、教えていただけますか。
増:ウクライナの情勢で、突然注目を浴びたサハリン2プロジェクトですが、投資の最終的な意思決定を行ったのは20年ほど前、さらに恐らくその10年くらい前から検討を行っていた案件です。当時、今のようなリスクを予想し得たのかがポイントとなります。
「いくつか懸念すべき点がある」という意識はありましたが、20年、30年後に今回のような状況に至ることまではとても想定できません。
また他の例でも、つい2、3年前までは、中国に進出しない企業なんてあり得ないとさえ言われていました。そうした情勢の変化になかなかついていくことができないという現実が、地政学リスクにはあると思います。
宮川:その時々の意思決定者がどこまで先を読んで決定できるのか、当然限界もありますし、また、企業として、リスクだけに注目するのではなく、むしろ果敢に機会を求めてチャレンジすべきといった視点もありますね。
続いて小林さんにお伺いしたいと思います。ウクライナ情勢をはじめ、近年のさまざまな地政学リスクの高まりに対し、企業がどのような課題を感じ、そしてどのように対応を行おうとしているのか、この点についてコンサルタントの立場からお話しいただけますか。
小林:戦略コンサルタントとして、私は個人的に地政学とビジネス戦略の交差点に興味を持っていたのですが、それが正面からプロジェクトになる、地政学的な動きを経営戦略に反映しようという動きは、実は非常に最近の現象なのです。やはりウクライナ情勢の緊迫化があってから急に増えたような気がします。
今、増さんがおっしゃったように、長期的で正確な予測は不可能なので、プロジェクトでは、複数シナリオを作ります。シナリオに応じて、想定される機会とリスクの両方を導き、今ある地理的なポートフォリオが、各シナリオに耐え得るものなのかを検討します。また、それぞれシナリオの予兆として、どんな事象や数値をモニターするのかを特定することも大切です。
宮川:手嶋さんにお聞きしたいのですが、これまでの日本の地政学リスクへの対応は、私としてはうまく機能している部分もあると思うのですが、昨今の情勢変化に伴ってその前提が機能しにくくなっているのではないでしょうか。過去の日本の対応としてうまく機能してきたこと、そしてそれが機能した理由、さらには今後、それがうまく機能するのか、この辺りのお考えを聞かせていただけますか。
手嶋:これまでうまくいっていたというのは、事実その通りなのだと思いますが、それはたまたまうまくいっただけで、日本が独自に戦略を立てて乗り切ったのではないのではと思います。
米国という超大国と安全保障条約を結んだことによって、日本列島は相当恵まれた環境にあり、その中で専ら経済成長に集中して尽力することができたという背景があります。
これは結果としては非常に良かったと言えますが、過去70年間続いてきたこうした状況が今後70年間も続くのか、これに対して、「続きます」と断言できる人は皆無だと思います。米国も、かつてと現在とでは明らかに状況が異なっており、米国だけに頼るわけにいかなくなってきます。かといって中国に頼ることも難しい。そうすると、戦略、環境を、今後はまさに自分たちで作っていくことになります。それを担うのは企業の経営者であり、一線の方々であり、そして政治のリーダーですが、そういう人がいるのかというと、心許ない深刻な状態にあると思います。
ただし、皆さんは、その深刻な現状を認識しており、深刻だと認めることこそ改革の第一歩です。その点は、日本の強みと言えるのではないでしょうか。
宮川:多面的な難題に対して知恵を振り絞り、自らの存亡をかけて、いかにそのインテリジェンスを使って勝ち抜いていくのか、本当に緊張感のある時代に差しかかっているのですね。
手嶋:おっしゃる通りだと思います。戦後の日本というのは、米国のCIAのような対外的なインテリジェンス機関を持っていません。国家としては持っていないのですが、世界で事業を行う企業は、ある意味で優れた情報を集める術を持っているのではないかと思います。
先ほど、小林さんがシナリオ分析についてお話されていましたが、インテリジェンス機関も、それから欧米の優れた企業も同じようなシナリオ分析を行っているのです。日本ではそこまでの考え方を持って実践しているところはないと思っていたのですが、先ほどのお話を伺って、日本でもそうした動きがあるのかと驚きました。
宮川:地政学リスクにどのように対処していくべきか、あるいは現在どう対処しているのかといった観点で、皆さまからコメントをいただきたいと思います。
最初に増さんに、三菱商事の地政学リスクの管理体制についてお聞きしたいのですが、世界のあらゆる地域、そして非常に幅広い領域でビジネスを展開されていることから、リスク管理についてもかなり幅広く努力をなさっているのではないかと思います。実際にどういった体制で管理し、そのリスクをどのように識別、そして評価なさっているのか、この辺りを教えていただけますか。
増:端的に言うと、最悪の事態に備えるというやり方です。どの国はどこまで大丈夫という判断はとても企業の力ではできないので、最悪のことが起きたときには全部を失う可能性があるという前提で、1カ国あたり、どこまでリスクを取ることができるか、自己資本とのバランスで考えるというような切り口で取り組んでいました。
宮川:続いて小林さん、各企業がどのような地政学リスクへの対応の課題を抱えていると思いますか。
小林:冷戦後は、世界が民主化へ向かうのではないかという幻想を持ち、多くの企業がグローバリゼーションを進めてきました。積極的に海外投資を行い、グローバルにバリューチェーンをつなぎ、縦横無尽に事業を展開し、それに伴い日本企業も非常に発展してきたと言えると思います。
しかし近年は、逆回転とは言えないまでも、グローバリゼーションに、気楽に乗るわけにはいかない状況となっています。これまでの仮定が根本から覆されるところに来ていて、経営陣としてマインドセットを大きく変えなければいけないというのが、大局的な課題の背景かと思います。
宮川:少し広い質問になりますが、今後に向けて、皆さんが今、注目されていること、インテリジェンスの観点でこれからの企業経営に大事だと感じていることはどのようなことですか。
手嶋:国家に限らず、各企業の場合も、やはり失敗を客観的に内在化して次なる決断に結びつけているかどうかが、大事なポイントだと思います。
インテリジェンスにおける未来予測という意味においても、やはり自らの失敗を含めた歴史を踏まえながら、新たに情報を生かす仕組みを整えていくことが必要なのではないかと思います。
増: 私から申し上げたいのは、リスクを全て考えていると、企業として何もできなくなってしまうということです。リスクのないところには利益もないので、どうすればいいかということを、企業は絶えず悩みながら事業を行っています。特にカントリーリスク、地政学リスクは不透明で、どんなに勉強しても予測できないことが起こり得るため、どうしても先に目をつぶってしまうところがあるかと思います。
そんな時に、小林さんのような立場の方に再度よく見るように言っていただけると、もう少し良い対応ができるのではないかと感じます。
小林:恐らく私たちができることは、確実な予測をすることではなく、もしこうなったらこうしましょうという心の準備を一緒にしておくことです。もしもの事態が起きてしまってからでは遅いので、その一歩手前で判断をする。そして判断するためにどのようなシグナルを見ていくとよいかを考えて常に用意を行っておけば、何かが起きてもそれほど慌てることはない、そんな心持ちでアドバイスをさせていただいています。
宮川:今回は地政学リスクというテーマで展開してまいりました。手嶋さん、小林さん、増さん、貴重なお話をありがとうございました。
本稿は2024年3月14日に開催したセミナーを基に編集しました。
世界の動きをひもとくためには、歴史的な背景を踏まえ、物事の本質を捉えること、すなわちインテリジェンスがますます重要となります。世界の政治や経済が大きく変化する中で、インテリジェンスを通じて世界を変革するような企業を育て、日本を、そして東アジアを世界に冠たる地域にするようリードする企業経営者が増えることが期待されています。