EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
金融事業部 公認会計士 榊 正壽
グローバル企業や金融分野の上場企業や官公庁に関する監査・アドバイザリー業務に数多く従事。サステイナブル経営に関わる各種団体への助言業務を務める。ITサービス企業・関連団体のマネジメント経験およびITビジネスに関わる会計・監査に関する著書・論文・講演など実績多数。
ナレッジ部 公認会計士 猪熊 浩子
会計・監査分野の学術調査/研究に関するナレッジの企画・執筆・発信に従事。
共著に『できるCIOになるための「経理・財務」の教科書』(税務経理協会)、『クラウドを活用した業務改善と会計実務』(中央経済社)などがある。
経済を継続的な成長軌道に導くには、企業の国際競争力の強化が不可欠であり、そのためには企業の収益力を高め維持することは重要な課題です。長期的には、日本経済は人口減少時代を迎える中で、国富の維持・形成を目指し、企業の収益力の強化による持続的な価値創造(sustainable value creation)の実現、すなわちサステナビリティという観点が近年ますます注目されています※1。
この視点から持続的な価値創造をサポートする企業経営・投資の在り方、また評価の方法の検討が不可欠になるわけですが、近年では、単に利益追求のみならず、企業の社会的責任も合わせて検討される方向性にあります。つまり、企業が社会的に果たす役割については、単に企業利益や企業価値を最大化して社会へ還元するという考え方に加えて、社会や環境に関する課題に配慮して経営を行う企業は中長期的に持続的な成長を示すという見方が有力になってきているのです※2。
近年よく取り上げられるコンセプトに「ESG投資」があります。2006年には、国連による責任投資原則(Principles for Responsible Investment:PRI)が公表され、ESG投資の考え方がぐんと広がりました。PRIの前文に「環境上の問題、社会の問題および企業統治の問題(ESG)が運用ポートフォリオのパフォーマンスに影響を及ぼすことが可能であると考える」と明記されています(<図1>参照)。そして、PRIは機関投資家の投資意思決定プロセスに、ESGに関する課題(環境、社会、企業統治)を受託者責任の範囲内で反映させるべきとして、六つの原則を掲げました。とはいえ、ここで留意すべきなのは、ESG投資は環境や社会を良くすることを主目的に行う投資、というわけではないことです。結果として、ESGの要素の改善も期待される投資を意図しているのですが、ESG問題を意識して経営することは長期的リターンにも優れるという考え方に基づいています。
このESG投資については、安倍政権の主要経済政策と整合的ともいわれています。現実にESG情報と企業価値との関係性をみると、資本コストやリスクへの影響という点では優れているとの指摘がみられます※3。他にも、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は日本株の三つのESG指数を選定し、同指数に連動したパッシブ運用を開始するなどしています。ESGの要素に配慮した投資は、期間が長期にわたるほどリスク調整後のリターンを改善する効果が期待されています。
ここで着目しておきたいのは、「真」のESG投資の基本要件はサステナビリティにあり、その重要な要素として分配の適切性が挙げられます。これは、株主のみではなく、企業を取り巻く多様なステークホルダー全体に対する分配の適正性という広い概念です。株主以外のステークホルダーとして取り上げられるのは、企業の従業員・経営者、仕入先、顧客、そして企業を取り巻く地域社会や、より広くはグローバルにわたる地球全体までの広がりがあります(<図2>参照)。企業の株主主権論では株主に払う配当金や株価の維持に着目されがちですが、各企業が生み出す価値の創造(value creation)は、端的には付加価値として捉えられます。そして、この生み出した付加価値については、企業を取り巻くステークホルダーに適切に分配するプロセスまで見守ることが必要です。会社経営者や従業員であれば、役員報酬や給料、仕入先には適正価格による購買、顧客には安全で質の高い商品を適正価格で取引すること、地域社会には良き企業市民として、企業の雇用や納税、また公害対策に留意すること、地球環境にも配慮していく必要があります。
元来、企業は企業を取り巻くステークホルダーとのいわばネットワークの中でさまざまな財・サービスをやり取りをして存在していると言えます。そして、そのような中で企業がステークホルダーの要求に応えていくことにより、ステークホルダーとの取引関係を容易にし、結果として企業の円滑な財・サービスの生産に寄与することになります。長期的にみると、社会が企業に求める事項に応じていくことは、結果としてその企業の利益につながるのです。
とはいえ、決してこの見方は新しいものではありません。日本の伝統的な企業経営である近江商人の「三方良し」(売り手に良し、買い手に良し、世間に良し)は、まさにマルチ・ステークホルダーの考え方にぴったりです。
会社法の見地では、企業の持ち主が株主であるという考え方から、株主利益の最大化が主張されますが、合わせて「会社は誰のものか」※4という問いかけでよく比較されるのが、米国流の株主利益志向の経営と、ドイツ・日本流の従業員や会社を取り巻くステークホルダーを中心にした経営があります。日本の経営視点とマルチ・ステークホルダーの考え方は大変親和性が高いものなのです。
先ほど示した通り、「真」のESG投資の基本要件はサステナビリティであり、サステナビリティで重要なものに分配の適切性があるといわれています。このサステナビリティに関して、顕著な報告書がありますので、そのうち三つほど紹介します。
一つ目は、経済協力開発機構(OECD)ワーキングペーパー『所得格差の動向と経済成長への影響』(14年)です。ここでは、格差が成長を損なう主な要因は、貧困層の教育投資不足であると指摘しています。同推計によれば、メキシコとニュージーランドでは、格差拡大が過去20年間の成長率を2000年代後半の経済危機までに10%以上押し下げており、またイタリア、英国、米国では、所得格差が拡大していなければ累積成長率は6~9%高く、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーでも、低水準からではあるものの成長率はより高くなっていました。他方、スペイン、フランス、アイルランドの場合は、経済危機前の格差縮小が1人当たりのGDPの増加に寄与しているとの指摘でした。
二つ目はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのディナルディ教授による15年の論文です。所得や富の格差が経済成長に悪影響を与えるという結果を示しています。
三つ目は国際通貨基金(IMF)のオストリ氏らの14年の論文です。こちらは当時のIMFの最新データを使った研究になり、所得格差の拡大は中期的に経済成長を低下させること、そして格差是正のための再配分政策は、経済成長に対してマイナスの影響はほとんどないとの見解が示されています。
配分方針には正解があるわけではなく、現実には、企業を取り巻くマルチ・ステークホルダーに対して、どのように配分するかという企業の方針がまずありきになります。
ただし、企業の方針を定める経営者もマルチ・ステークホルダーの考え方を無視するわけにはいかず、一定の配慮はなされているといえます。外部からみて客観的に分配の公平性を判断するに当たり、一定の主要業績評価指標(Key Performance Indicator:KPI)の活用が考えられますが、ここでKPIに求められる要素としてはどのようなものがあり得るでしょうか。
企業の長期的な目線を生かした、マルチ・ステークホルダーへの分配方針を検討するには、トップの姿勢、すなわち企業トップがなし得たいことを定量的に定義し、会社を応援してくれる人の確保(信頼力)や、企業の人材力の確保、そして人材育成力も不可欠です。
そのためには、純限界利益(限界利益-人件費)、経営者配分、税金(社会配分)といったものを開示するための会計情報やシステムの構築も求められるでしょう。顧客や取引先への適正評価のための会計情報のみならず、非財務情報も有効です。非財務情報の活用では、さまざまな軸、多様な要素での評価として事業ネットワークへの寄与度も考えられます。中長期的な企業継続という観点では、雇用の安定性(例えば離職、定着などアンケートで計測する)も重要な要素です。
とはいえ、一定の目標値を設定すると、指標の場合には分母・分子で調整しようというインセンティブが生じ得るので、より中立的な経営指標を複数取り入れることも肝要です。
従業員へのリターンを給料といった金銭面で測るだけではなく、職場環境や新たな「ものさし(測定尺度)」の設定として、従業員の職務満足度という観点も重要です。従業員が幸せに働いていることを測るべく、客観的な計測をするために生体測定などが検討されています。ひいては、会社の理念・コンセプト(会社によって異なる)についてフォーマットを定め、相対的な改善度を測定するという手法が考えられます。
他には、近年の100年企業というコンセプトにも通じる考え方として、少しずつ成長していくという樹木の年輪のような「年輪経営」の指標化も取り上げられています。連続的・安定的増収・増益、(適正な分配をした上で)自己資本が継続的に少しずつ増えている会社、また人の持続性として、ベア(一人当たり給料の上昇率)キープ、リストラしないという視点も重要です。安定的な経営を志向し、バブルに流されない視点も必要でしょう。競争が激しいといわれる欧米でも安定経営の方向性があります。
マルチ・ステークホルダーへの適切な分配を示すための経営指標を検討するに当たり、非財務情報としてのESG指標も一定の取り込みが必要です。ただし、ESGの「中身」については精査が必要になり、特に「G(ガバナンス)」については、マルチ・ステークホルダー全体への貢献につながらない可能性もあり得ます。マルチ・ステークホルダーへの分配の観点も踏まえた指標が中長期的な企業価値の向上につながることが説明できれば、長期投資指標として有効であり、短期志向ではない投資向けの経営指標としてのスタンダードとなり得るかもしれません。
公表数値による精度の高い主要業績評価指標算定、適切なESG情報収集のためのプラットフォームに向けての取り組みもなされています。
加えて、現在の財務諸表開示は、短期的投資向けの情報の比重が高いという指摘もあります。例えば、現行の会計基準の下ではM&Aなどの企業再編時にのみ、企業の知的資本(人材やノウハウなど)が財務諸表に表れることになります。結果として、企業の新陳代謝がないため、長期安定型の企業は不利になる傾向があるという意見があります。エンゲージメントツール(企業が能動的に情報を開示するためのプラットフォーム)の開発と普及というのも、今後の課題です。これらの課題を解決することにより、国際統合報告評議会(IIRC)が定義する「見えない資本」(知的資本、人的資本、社会関係資本など)が株式市場における市場価値と簿価を埋めるもの、すなわち付加価値を可視化する手だてになると考えられています。
【参考資料】
El Ghoul, S., O. Guedhami(2011)"Does Corporate Social Responsibility Affect the Cost of Capital?," Journal of Banking & Finance , 35, 2388-2406.
Friedman, Milton(1970)"The social responsibility of business is to increase its profits." New York Times Magazine , Sept. 13.
Hong. H and M. Kacperczyk(2009)"The Price of Sin:The effects of Social Norms on Markets," Journal of Financial Economics , Vol.93(1), July, pp.15-36.
※1 この観点で執筆された報告書に、経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」(2014年、伊藤レポート)、「持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会 報告書」(2017年、伊藤レポート2.0)がまず挙げられる。
※2 Drucker, P. F.(1990)The New Realities , Mandarin.
※3 El Ghoul et al.(2011), Hong and Kacperczyk(2009)
※4 岩井克人『会社はだれのものか』平凡社、2005年