EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
ロンドン駐在員 公認会計士 岡部 誠
2003年、当法人に入所。グローバル展開する日本企業の会計監査を中心に、決算早期化サポート、会計基準変更に伴うアドバイザリー業務にも従事。14年よりEYロンドン事務所に、現地日系企業担当として駐在。英国、およびアイルランドに既進出、進出予定の日系企業の会計、税務、法務、M&A関連業務などのサポート業務に従事。
本稿では、執筆時点(2016年10月中旬)において国民投票から4カ月弱が経過した現在に至る状況として、国民投票後における英国経済の動向、欧州連合(EU)離脱(Brexit)へ向けた今後の流れ、そのもたらす潜在的な影響を整理した上で、日系企業の動向と今後の課題について考察します。
国民投票前に多くのエコノミストは、離脱派の勝利は英国経済に重要かつ即時的な影響を及ぼすだろうと予測していました。しかし実際は、投票日直後における一時的なショック的影響はあったものの、為替市場における急激なポンド安を除けば、イングランド銀行による大幅な金融緩和措置もあり、現時点においては株価を含む多くの経済指標は国民投票前の水準まで回復しており、当初予測されていたほどのネガティブな影響は顕在化していないと言えます。
しかし、将来的な離脱に向けた政府の方針、具体的な動向、およびそれらの英国経済への影響については、予測が難しいリスクの存在から、翌年度予算における経済成長見込みが下方修正されるなど、将来に向けた見通しは不確実性が高いものとされています。
国民投票の結果を受けて、英国は直ちにEUを離脱するわけではなく、離脱に伴う法的手続きを完了するまではEU加盟国としてとどまることになります。英国政府は、離脱に関する唯一の取り決めであるリスボン条約第50条に基づき、欧州理事会へ正式な離脱通知を行い、当該通知から2年間の交渉猶予期間内に、離脱協定を締結しなければならないとされています。欧州理事会の全会一致での賛成などを条件に、交渉期間を延長できる旨の定めはありますが、期間内に離脱協定が締結されない場合、英国は将来の関係に関する枠組みが存在しない状況でEUを離脱することとなる可能性があります。
10月上旬に行われた保守党の年次党大会にて、英国のテリーザ・メイ首相は、EU離脱に向けた交渉を17年3月末までに開始する考えを示しており、もし交渉期間の延長がなければ、2年後の19年前半には英国はEUから離脱することになると予測されています。
今後の離脱交渉において、各論についてどのような離脱協定が締結されるかについて議論がなされていく予定です。Brexitが潜在的に影響を及ぼす項目としては、端的に言えば「ヒト・モノ・カネ・情報」の移動の自由を定めたEU諸規程からの離脱であることを前提とすると、一例にすぎませんが以下が考慮すべき代表的なリスク領域であると考えられています。これ以外にも、例えば、データ・プロテクション、クロスボーダーM&Aの規程などについて、交渉の動向が注目されています。
英国は現在、EU関税同盟に加盟しており、EU域内の関税や通関手続きは不要とされていますが、EU離脱後においてEU単一市場へのアクセスを確保できない場合には、EU域内の国々との貿易に新たに関税が課されることが想定されます。
付加価値税は、関税と異なり内国税との位置付けであるため、BrexitによりVAT関連規則が無効になるわけではありません。しかし、従来の域内、域外取引の定義の変更、および英国企業のEU各国におけるVAT課税事業者の登録などを新たに行う必要が出てくると考えられます。
前記の点において、離脱交渉の経緯次第では、英国企業に追加の手間とコスト負担を強いる可能性があります。
EUでの単一パスポート制度は、金融業がEU単一市場において自由に事業活動が行えるように導入されている制度です。英国が単一パスポートを失えば、英国内に拠点を置く金融機関は、EUでの営業継続のためにEU経済域内に拠点を移し、免許取得をしなければならない可能性があります。離脱交渉の経緯次第では、当該単一パスポート制度の取り扱いに重要な影響が生じる可能性があります。
EU市民は従来、就労ビザなしで英国にて就労が可能でしたが、離脱交渉の経緯次第では、EU市民の英国での就労に制限がかかり、結果として、英国企業において必要な人材の確保が困難になる可能性があります。
一部の業界では、例えば医薬品および医薬品安全性監視制度、原子力業界の安全性制度などの汎欧州での規制の恩恵を享受しているケースがあります。このような領域においては、離脱交渉の経緯次第では、代替的な規制を新たに策定しなければならなくなる可能性があります。
EU離脱に伴うボラティリティーは、税務、法務、サプライチェーン、人事などに至るまでその影響が広範囲に及ぶため、英国に事業拠点または欧州本社を多数有する日本企業グループにとっては、潜在的な影響を注意深く見守り、対策を打ち出す必要があります。また、セクター特有の規制やサプライチェーンの様態から、欧州におけるビジネスの在り方そのもの、例えば、英国製造拠点の再配置、および欧州調達戦略の見直しなどを再検討する必要が出てくるケースも想定されます。実際に、定性的なリスク分析にとどまらず、専門家のサポートを受けながら、複数シナリオに基づく定量的な側面からの戦略的な分析のフェーズに移行している事例も見受けられます。
今後の離脱交渉から生じ得る、将来における各種のリスクに対してどのように対処していくかについては、在英法人のみならず、本社レベルにおいても極めて重要性の高いアジェンダであると思われます。検討に際しては、英国が従前よりEU市場の玄関として位置付けられてきた優位性、例えば、言語的障壁の低さ、優秀な人材確保のたやすさ、金融インフラの充実などを十分に考慮し、Brexitから生じる影響を見極めていくことが重要となります。また、規制、税制の対応に加え、①収益性へのインパクト②ビジネスモデルおよびサプライチェーンの変更の要否③人材の確保④移転シナリオの考察と意思決定に必要な分析⑤取引先の行動予測、の観点からも、十分な検討を行うことが今後の課題であると考えます。