2020年12月1日
メガトレンド

米中冷戦という『経済の戦争』において日本企業はどのようなインテリジェンスが求められるのか

執筆者 國分 俊史

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 チーフ・エコノミック・セキュリティ・オフィサー/ストラテジック インパクトリーダー パートナー

多摩大学大学院 教授、多摩大学ルール形成戦略研究所 所長。ルール形成戦略の第一人者として世界を飛び回る。趣味はマインドフルネスにつながるさまざまな活動の模索。

2020年12月1日

米国と中国の経済摩擦は過熱の一途をたどり、米国による中国企業への制裁は日本企業にも大きな影響を与え始めました。

こうした動きは経済ツールを活用して地政学的国益を追求する「エコノミック・ステイトクラフト」の一環であり、企業にも片手で経済安全保障政策というシールド(盾)を持ち、警戒心を以前よりも格段に高めて、もう一方の手でビジネスという握手をするような複雑な行動が求められます。

米国と中国の経済摩擦がエスカレートの一途をたどり、日本企業にも影響が出始めた現在、起きている地政学的な変化をどう読み解くべきか

戦後、半世紀続いた米ソ冷戦はソ連がまだ核兵器を開発できていないタイミングで始まり、水爆も誕生していなかったことから「大国間戦争もありうる」前提での冷戦でした。これに対し、現在の米中は核抑止の世界が定着した下での「軍事戦争はあり得ない」という前提で始まった冷戦です。軍事力ではなく「経済を使った戦争」が起きています。

しかし、「経済封鎖」のような全体的な制裁を加えると、相手国全体の経済が疲弊し、国民感情の高まりが政権の判断を先鋭化して軍事的な戦争に発展しかねません。そこで、該当する企業や政策関係者だけに的を絞って狙い撃ちにする政策がとられるようになりました。こうした経済ツールを活用して地政学的国益を追求する政策を「エコノミック・ステイトクラフト」と呼んでいます。近年行われた分かりやすい例は、ある国のある政党の軍事部長の金融資産だけを凍結したケースです。

米国の狙いは企業の「不当な方法による成長スピード」を遅らせることにあります。フェアな競争で成長した企業ならエコノミック・ステイトクラフトのターゲットにはなりません。しかし、米国にサイバー攻撃を仕掛けて最先端の技術を不当に手に入れた疑いがある、または、それらの技術を軍と共同研究している疑いがある場合、米国はこのような状況をフェアではないと考えます。

エコノミック・ステイトクラフトが日本企業に与える影響


日本の大手メーカーやベンチャー企業の中にも、米国が「脅威国に渡したくない」と考え、規制対象に既に加えている、もしくはこれから新たに加える可能性がある米国の技術を持つ企業が数多くあります。こうした状況を把握しないまま経営を行っていると、ある日突然、厳しい規制を課せられることになります。

米企業ではGDPの50%を占めるような企業が月に数回、FBI(米連邦捜査局)と国土安全保障省によって創設された場で会合を持ち、経済スパイ活動に関する情報交換をしていると言われています。多くの企業には「チーフ・リスク・オフィサー(CRO、最高リスク責任者)」などインテリジェンス(情報の収集と分析)を専門とする役職があり、各国の捜査機関やインテリジェンス機関と連携しながら地政学的なリスクを分析しています。こうした行動について日本企業の対応は重要性の認識やインテリジェンス機関との連携への馴染みのない組織文化など、多様な観点から大きく遅れていると言わざるを得ません。

米中の経済摩擦が激化する中、日本企業は中国での活動を控えるべきか

ルールが異なる国との関係は、片手にシールド(盾)を持ちながら、もう一方の手で握手をする形が望ましいでしょう。米国も中国との経済関係を全面的に絶とうとしているわけではありません。厳しい技術情報管理が求められ始めた新興技術分野に関係しない分野では能動的に日米中で関係を作っていくべきだと考えています。

例えば、日本が得意とするハイブリッド車の技術は軍事力の競争優位を変化させる危険な分野ではありません。既に日本メーカーはこの技術を中国に公開し、日中双方で環境問題解決と大きな雇用創出の機会につなげ始めています。

このように安全にビジネスができるフィールドを能動的に広げていくことが重要ですが、現在の日本企業の姿勢はある意味で無防備です。日本政府は中国との外交姿勢を「戦略的互恵関係」と位置付けていますが、企業の現場では「戦略的」が抜け落ちて「互恵」だけになっている感があります。

経済摩擦が続くことで世界経済が米国と中国に二極化する「デカップリング」を予想する声も

中国以外の国に適切な価格を実現する新たなサプライチェーンを構築していくことが必要になるケースも出始めています。欧米のスポーツ用品メーカーが取引をしていた中国の繊維加工工場で有害な化学物質が河川に放流されていることが、環境保護団体から2011年に批判されました。この時、欧米メーカーは2020年までに有害物質の工場からの流出をゼロにすることをコミットしました。結果、そのうちの1社であるドイツ企業は2018年に生産拠点をドイツに戻し、3Dプリンターを使ってスニーカーを適切な価格で作る方法を生み出しました。このような事例は、デカップリングを実現する適切なサプライチェーンの再構築をイノベーションの機会にしていく攻めの発想が必要とされる示唆となります。

またマグニツキー法(人権問題を起こした関係者のビザ発給禁止や資産凍結などを行う人権制裁法。米国で2012年に制定)の考え方は世界各国に広がっているので、人権問題を抱える企業はサプライチェーンから外さなくてはならなくなります。

中国企業の低コストに頼ってきた日本企業は困惑していますが、これはチャンスでもあります。高コストを質の高いマネジメントで補う日本企業の強みを発揮できる機会と捉えるべきです。安い人件費で世界に伸びきったサプライチェーンを日本に戻し、日本に雇用機会や固定資産税を支払う貢献ができる可能性に目を向けるべきです。

地政学が大きく変化する中で、日本企業に求められる戦略とは

米ソ冷戦は45年で終わりましたが、米中冷戦は50年続くかもしれません。日本企業に求められるのはその50年を生き延びる事業です。それを実現するためには、どこか一国に依存するのではない「マルチナショナル・ストラテジー」と、地政学的な変化を見逃さない「経済インテリジェンス」が必要になります。国に求められるのは中国を巻き込んだルール作りです。公平な競争をすべての国と企業が順守するルールを作ることが、平和につながるのではないでしょうか。

サマリー

米国政府による中国企業を狙い撃ちにした制裁は、経済ツールを活用して地政学的国益を追求する「エコノミック・ステイトクラフト」の戦略に基づくものと理解できます。安全保障と関わりのない部分ではこれまで通りにビジネスを拡大しながら、特定の政策、特定の企業に的を絞って攻撃する複雑な関係が特徴です。米ソ冷戦は45年で終わりましたが、米中冷戦は50年続くかもしれません。日本企業はそれを織り込んで変わり続ける各国の経済安全保障政策に準拠したマルチナショナル・ストラテジーを立てる必要があります。

この記事について

執筆者 國分 俊史

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 チーフ・エコノミック・セキュリティ・オフィサー/ストラテジック インパクトリーダー パートナー

多摩大学大学院 教授、多摩大学ルール形成戦略研究所 所長。ルール形成戦略の第一人者として世界を飛び回る。趣味はマインドフルネスにつながるさまざまな活動の模索。

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