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速くなるコツは「愛される選手」になること

2022年5月31日 PDF
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情報センサー2022年6月号 Column

スポーツキャスター 宮下純一

1983年、鹿児島県鹿児島市生まれ。5歳から水泳を始め、9歳のときに背泳ぎの選手に。2008年の北京オリンピック競泳男子100メートル背泳ぎ準決勝で53.69秒のアジア・日本新記録(当時)を樹立。決勝では8位入賞。同400メートルメドレーリレーでは日本チームの第一泳者として銅メダルを獲得。現在はスポーツキャスターとして活動する一方、(財)日本水泳連盟競泳委員として選手指導・育成にも携わっている。

水泳教室に指導に行くと、よく親御さんや生徒から「どうすれば速く泳げますか」という質問を受けますが、それは僕が一番知りたい答えです。さまざまなタイプの選手がいて、答えが1つではないからです。183センチの僕がいて、178センチの北島康介さんがいる。身体の硬い僕がいて、柔らかい入江陵介さんがいる。よくいわれるのが、「美しい泳ぎはあるけど、速い泳ぎはない」ということです。

では、どうやって速い泳ぎをするかというと、自分の身体をいかに操るかということになります。肩の可動域が硬いという課題が見えたとき、身体が硬い子が身体の柔らかい入江さんの真似をしても、決して速くはなりません。練習メニューを自分にどう落とし込んでいくかが大事なのです。

僕がコーチとして伝えるのは、基礎の基礎です。自転車に乗りたての子に、いきなり手放し運転を教えても意味はありません。まず、自転車にしっかり乗れるようになることが大切です。ベースができればできるほど、成長後に基礎が上手く生きてくる。キックや腕の掻き方はどうすればよいですかと聞かれますが、キックのテクニックを練習する前に、まずブレずに泳げるようになることをしっかりやっていこうと最初に伝えます。そもそも、身体がグネグネした状態で泳いでいると、強いキックを打ったときに推進力を水に伝えることができません。まっすぐ泳げば25メートルのところを26メートルかけて泳いでいるかもしれないのです。

Ⅰ スイミングスクールで学んだ「社会」

水泳は個人競技だと思われがちですが、チームで練習する意味は大きいと考えています。泳いでいるときは水の音しかしなくて、自分の世界に入り込んでいく競技ですが、だからこそ周囲に同じベクトルに向けて頑張る仲間やコーチの存在は必要です。先輩や後輩、男子や女子、そしてコーチや監督がいる「チーム」で練習することで、個々の目標は違っても一緒に泳ぐことで練習効果が上がると思っています。

僕がスイミングスクールに入ったのは幼稚園の頃ですが、「選手コース」にシフトしたのは小学3年生のときでした。水泳から競泳へ。選手人生の第一歩をそこで踏み出したわけです。「選手コース」になってはじめてチームを意識したのですが、3レーンしかない場所を先輩や後輩たちと譲り合いながらどうやって自分のポジションを確立するか。小さい社会の中で自分がどう立ち振る舞えばいいのかをスイミングスクール時代に学びました。

Ⅱ 愛される選手になるには

母は「愛される選手になりなさい」とよくいっていました。僕もそれを意識していましたが、コーチに恵まれたことも大きいと思います。高校時代、僕のコーチは水泳出身ではなくて、柔道出身の方でした。当時、全国から有望な選手が集まる合宿に呼ばれるようになっていたのですが、そのコーチから「俺も分からないことが多いから、いろいろな人に話を聞いて一緒に成長していこう」といわれました。この言葉は嬉しかったです。事実、コーチは僕の知らないところで強豪校のコーチに「宮下を速くしたいので、アドバイスしてください」と頭を下げてくれていたのです。その話を知り、それまで以上にコーチを信頼しました。強豪校のコーチにアドバイスをいただいた後は、自らそのコーチに「メニューをやってみました」とか「メニューに取り入れましたが、僕には合いませんでした」と挨拶に行くことを心掛けました。すると、大会などで再会したときに「最近どうだ」と気にかけてくれるようになったのです。高校時代に急成長できたのは、そのような環境を作ってくれたコーチの教えがあったからだと思います。

Ⅲ 仲間がいるからあと一歩頑張ることができる

高校卒業後、上京して筑波大学に進学しました。大学の水泳部は僕にとっては家族といえる場所でした。今でも大学時代の先輩・後輩とよく集まります。筑波大学の水泳部は、基本的に800メートルや1,500メートルを泳ぐ長距離チーム、200メートルや400メートルを泳ぐミドルチーム、50メートルや100メートルの短距離チームと3つのグループに分かれていて、それぞれのコーチが作成したメニューで練習します。オリンピック候補生だからといって特別なコーチがつくわけではなく、チームとしての活動です。それは僕にとってとても良い効果があったと思います。例えば、ウェイトトレーニングなどキツい練習ではみんなで「落ちてきてるぞ」って煽(あお)り合いをします。野次(やじ)られると「もう少し頑張れるぞ!」と、あと一歩踏ん張ることができるのです。自ら煽り合ってあと一歩の力を出すことで自分の言葉にも責任をもつことができ、一人で練習するよりも成果が上がりました。大学卒業後、一人で苦労したことを思うと、水泳部の仲間たちにはずいぶん助けられました。

Ⅳ やっぱり特別だった日本代表チーム

一方で、日本代表チームに入ったときは驚きました。やはり代表チームは特別でした。それぞれの選手には代表チームに入るまで二人三脚でやってきたコーチがいますが、全員のコーチがオリンピックに帯同できるわけではありません。30名の代表選手がいたら、コーチの枠は約10名。代表チームのコーチにはメダルを獲得できそうな選手のコーチから選ばれていきます。僕の時代であれば、まず、北島康介さんの平井伯昌コーチ、次に入江陵介さんの道浦健寿コーチが入る。選手に合わせたグループ分けがあり、コーチが手分けして僕らを指導します。当たり前ですが、コーチによって練習メニューが違うので、それまで自分が取り組んできた練習とは違います。新しい指導方針を受け入れる柔軟性が非常に大事でした。自分が何を吸収し、どのように本番に臨むかを考えなくてはなりません。選手の中には代表コーチと指導方針が合わなくて、本番で力を出せなかった選手もいます。僕は積極的にコーチとコミュニケーションを取り、「愛される選手」でいようと心掛けていたのをよく覚えています。

今思うと、2008年の北京オリンピックの代表チームは北島康介さんという大きなリーダーがいたというのもあり、一体感があったと思います。代表として活躍して、代表チームというファミリーの一員でいたい。また、みんなの顔を見るために頑張ろうという気持ちで泳げていたような気がします。良いチームというものはそういう気持ちにさせてくれるのではないでしょうか。昨年、東京オリンピックが終わり、これから日本代表チームも新たに始動します。新しい代表チームも一体感を持って盛り上がっていってほしいと思います。(談)

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