EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
Section 1
かつて産業革命が興隆した際には、機械に職を奪われると懸念した織物職人による打ち壊し運動が起こりました。自動車産業が生まれた時には、人々の主要な移動手段だった馬車の御者たちが職を失うことになりました。
では、デジタル化やグリーン化といった社会変革が進む今、何が起こる可能性があるでしょうか。少子高齢化の中でも多くの人が職を失うのではなく、成長産業へと労働力を移動することによって、国としての経済力を維持し、企業や個人にとっても価値を高める上で注目されているのが「リスキリング」です。
EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎は「日経リスキリングサミット」において「2050年の日本未来予想図から考える『社会課題解決としてのリスキリング』」と題して講演を行い、なぜ今リスキリングが求められているのか、そしてリスキリングのあるべき方向性について解説しました。
EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス
日本地域代表 パートナー
鵜澤 慎一郎
鵜澤はまず、EYピープル・アドバイザリー・サービスとオックスフォード大学のサイード・ビジネス・スクールが共同で実施した調査結果を紹介しました。調査のテーマは「人を中心にした施策は、企業変革にどのような影響を与えるか」で、日本も含めた23の先進国において、935名のCXO、1,127名の従業員を対象に行われました。
「企業変革時に人を中心とした施策をきちんとやっていた会社と、そうでない会社の変革の成功率には、実に2.6倍もの差があることが分かりました」(鵜澤)
さらに変革に成功した企業とそうでない企業を分ける6つの重要指標が存在することも判明しました。まずは「ビジョン」の有無です。そして、変革が失望期を迎えてもV字カーブを推進できる、つまり「エモーショナルジャーニー(感情面)をサポートできるか」もポイントです。さらに、ビジョンに対して適切に「テクノロジー」を提供できているかに加え、自立性を醸成し、試行錯誤や変化を推奨する「プロセス」と一連の取り組みを率いる「リーダーシップ」、そして一連の取り組みを継続していく「コラボレーション文化の醸成」という6つのドライバーが浮かび上がったそうです。
「変革を成功させるには、いかなるときにも、人に関わるこうした領域を無視してはいけないことが明らかになったことは昨今注目される人的資本経営の重要性を裏付ける結果とも言えます。」(鵜澤)
図1:変革の成功を促進する6つの主要ドライバー
ところで、なぜ「人」を中核に据えた人的資本経営には、さらにはその「人」を生かす「リスキリング」が必要とされているのでしょうか。この理由を端的に示す例が、日本を代表する優良企業であるトヨタ自動車と、アメリカで最も成長している企業の1つであるテスラの違いです。財務諸表や販売台数、従業員数や工場の規模といったサイズで見れば、圧倒的にトヨタが上回っているにもかかわらず、市場の評価である株価はテスラが上回っています。
鵜澤は「かつて経営資源はヒト、モノ、カネであったが、今やヒト、ヒト、ヒトである」という大前 研一 氏の言葉を挙げ「イーロン・マスクという天才的なリーダーのカリスマ性と、それに惹かれて集まってくる優秀でイノベーティブな人材が生み出す将来の付加価値が、テスラの株式市場における評価の高さにつながっています。人の価値を高めていくことが、企業として最も重要な時代と言えるのではないでしょうか」と述べました。
では、どうすれば自社の人材価値を高めていくことができるのでしょうか。
鵜澤はまず、市場で勝ち残るには自社個別性が重要であり、だからこそ他社のまねに終わるのではなく、企業の事業戦略と連動した形で人材戦略を立てるべきだと述べました。「よく『他社はどうなっていますか』と聞かれますが、他社をまねても何も価値は生まれせん。独自の中期経営戦略を持ち、それに合わせて人事戦略を立て、リスキリングしていくというストーリーが必要です」(鵜澤)
次のポイントは、長期的世界観を持ち、長期的な時間軸で計画を立てることです。「戦略を変えることは簡単で、すぐにできます。しかし人材がすぐにデジタル人材・グローバル人材になれるかというと、そう簡単には変わりません。いかに長期的な時間軸で人材に投資していくかが重要です」(鵜澤)
そして、人材をヒューマン「リソース」や「コスト」ではなく、ヒューマン「キャピタル」として捉えること、具体的な方向性や施策を示すこともポイントだと述べました。漠然とした言葉ではなく、スキルや人材の質の見える化を図り、具体的な施策を示すことがまず重要だ、というわけです。
その上で、既存のスキルの延長線上にある「アップスキリング」ではなく、既存スキルの飛び地領域を学ぶ「リスキリング」によって、新しい付加価値を生むことができると述べました。「例えば、経理担当者が国際会計基準を学ぶのは既存のスキルの延長線ですが、機械学習言語のPythonを学ぶのは飛び地です。会計にデジタルを掛け合わせることによって、新しい経理人材になれます」(鵜澤)
Section 2
続けて鵜澤は、世界の中における日本のあり方というマクロな視点からもリスキリングの必要性について触れました。
1960年代からの高度経済成長、1990年代からの失われた30年という具合に、日本ではおおむね30年周期で大きな変革トレンドが起こってきました。では、次の30年はどうでしょうか。「2050年までのこれからの30年を、どのような新たな繁栄の30年にしていけるかは、日本社会とって非常に重要なポイントになります」(鵜澤)
いくつかの数字を見ると、悲観的にならざるを得ないのも無理はありません。例えば日本のGDPはずっと横ばいで、世界の中のシェアは縮小するばかりです。2050年には世界における日本のGDPの存在感は、1960年と同じ3.2%になると予測されています。人口となるとさらに縮小傾向は大きく、世界の人口が約100億人に達すると言われる2050年、日本の人口は約1億人、わずか1%にとどまります。「日本はこれまで、国民の規模の大きさに起点を持つ経済力・人口力によって繁栄しましたが、間違いなく、それが通用しない時代になっていきます」(鵜澤)
しかし、鵜澤は、決して悲観する必要はないとも述べました。むしろこれからの30年は、「新しい日本の形に作り替え、違う形の繁栄の姿を考えていくチャンスがあると期待しています」と言います。
その鍵を握るのは、1人当たりのGDP、付加価値です。日本の経済規模はGDPで見れば確かに減少傾向にありますが、1人当たりのGDPで見ていくと2050年もまだ先進国グループとしての位置を維持できる可能性があります。
図2:2050年までの主要国1人当たりGDPの推移(PPP, 2010年 米ドル)
ただそれには、労働生産性の向上が不可欠です。これからの30年、労働人口と年間総労働量時間を掛け合わせた分母が減っていく中、いかにして付加価値と労働生産性を上げていくかという「ウルトラC」が求められます。鵜澤は、それを実現する可能性が2つあると指摘しました。
1つはデジタルトランスフォーメーション(DX)です。今まで人間がやっていた仕事を、機械やAIといった高度なテクノロジーを生かし、人以外のものにやらせ、自動化することで付加価値を高めることができます。
そしてもう1つが、雇用流動性を高め、リスキリングを通じて衰退産業から成長産業へと人を移すことにより、付加価値を高めるアプローチです。
「日本の労働人口の半数以上はサービス業、つまり小売りや流通、介護と言った労働集約型のビジネスにシフトしました。しかも非正規雇用が増え、付加価値の高い成長産業に移せるだけのリスキリングをしていないため、雇用流動性を高めると、どんどん下流に落ちていき、誰もが不幸になっていきます。ですので、企業としても社会としても個人としてもリスキリングをし、付加価値を上げていくことがとても大事なポイントになります」(鵜澤)
日本社会全体を考えても、衰退する産業から成長産業へのシフトは必須だと言います。「GDPや人口といった量の観点で言うと、日本は先進国から脱落する運命は避けられません。しかし質の観点、労働生産性や付加価値の観点では世界で勝負できる可能性があります」と鵜澤は述べ「これからの30年を繁栄につなげるには、DXはもちろん、一人一人の付加価値と雇用流動性を高め、成長分野に移していくしかない」と呼びかけました。
「リスキリングは人事の問題ではありません。個人の問題でもありません。日本経済や社会の命運を握る最も重要な社会課題の1つです」(鵜澤)
Section 3
リスキリングの意義をこのように位置付けた上で鵜澤は、リスキリング関連のプロジェクトをうまく推進していくためのポイントにも触れました。
まず大事なのは、人事主導ではなく経営主導で考えることです。リスキリングに人事部が関わるのは必然ですが、人事部単体で進めては、従来のリカレント教育やコンテンツの焼き直しと捉えられかねません。そうではなく、中期経営計画をはじめとする自社の戦略と連動させ、「われわれは5年後、10年後、この分野にベットするのであり、そこで必要な人材と質と量は何か、というところからリスキリングを始めなければいけません」(鵜澤)
そして1点目と関連しますが、個人主導ではなく、会社主導で計画を立てて進めることも重要だとしました。自己啓発と位置付け、プラットフォームやコンテンツを用意して、後は個人に任せて終わり、では、何も変わりません。会社や上司が「われわれはこういった人材を何人作る計画で、あなたのキャリアにはこのスキルが必要だ」といったメッセージをきちんと発することがポイントになります。
3つ目は、リスキリングを終えた後の処遇を先に考えておくことです。残念ながら今のところ、せっかく新たなスキルを身につけたにもかかわらず、部署も、やっている仕事も変わらないままというケースがほとんどですが、それでは意味がありません。経営と人事をリンクさせ、リスキリング後には異動させること、あるいは同じ部署でも新たなことに取り組ませることを前提に考えて進めていく必要があると言います。
「ラーニングでインプットしても、本当に学んで成果が出てくるのはやはりOJTです。実践なくして成長はありません。あるメガバンクでは、RPAの内製化技術を学んだ後、自分の部署で業務を効率化するロボットを最低でも1つは作ることをルールにして成功を収めています」(鵜澤)
4つ目は長期的な目線で考えることです。当たり前ですが、人材に投資しても、成果が出るには時間がかかります。リスキリングのプロジェクトも、短くても半年から1年は必要であり、それを我慢して待つ必要があります。
最後は、ターゲットバイアスを持たないこと、つまりすべての社員を対象にリスキリングを行うことです。「文系出身でDXをリードしている方もいれば、50歳以上のベテラン社員でリスキリングに成功している方もいらっしゃいます。バイアスを取り、全社員のリスキリングを考えていくことが求められています」(鵜澤)
図3:リスキリングプロジェクト推進のポイント
鵜澤によると、機械学習やメタバースのように、最初は歓迎されていたどんな新しい技術やムーブメントにも「失望期」は到来します。リスキリングも例外ではないでしょう。「今でこそリスキリングが盛り上がっていますが、来年以降、いろいろな施策を打ち始めると失望期が来ると思います。しかし、そこからV字カーブで本格的なリスキリングを進め、日本の社会課題解決につながるかどうかが重要なポイントになるでしょう」(鵜澤)。こうした動きを促進し、成功事例を増やしていくために、さまざまな情報発信も進めていくそうです。
「リスキリングについてはどの会社も試行錯誤ですが、『やらない』という選択肢はあり得ません。なぜならリスキリングは、個人の問題でもなく、人事部の問題でもなく、経営課題であり、2050年に向けたこれからの30年で、日本が成功していくための社会課題だからです」(鵜澤)
2022年10月12日に開催された日経リスキリングサミットにEY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎が登壇し「2050年の日本未来予想図から考える『社会課題解決としてのリスキリング』」と題した講演を行いました。