EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
3回目の「HRDXの教科書」出版記念セミナー。今回は電通 エグゼクティブ・アドバイザー 大内 智重子氏をゲストに迎え、企業における「Well-Being」をテーマに、テクノロジー×人の力で社員の活力を増進した取り組みについて、具体例を交えながら解説していただきました。
Section 1
電通は、心と身体の健康と共に、社員が前向きに生き生きと仕事や生活する状態を「バイタリティ溢れる状態」と定め、それを高める施策を打ってきました。ブランディングの観点と合わせた同社のチャレンジをご紹介します。
電通 エグゼクティブ・アドバイザー 大内 智重子 氏
「人それぞれの幸せのカタチが異なるように、企業のWell-Beingもそれぞれ異なる」という前提で、電通は2017年からWell-Beingに関する施策「バイタリティ・デザイン・プロジェクト」を始動しています。2年間のコロナ禍を経て、さらにWell-Beingの取り組みが経営課題として重要になりました。
人材が全ての電通にとって、本プロジェクトは社員一人一人の成長につながるもので、自社の未来を作り出す労働改革の一環として捉えています。プロジェクトを実施するに当たり、最初に「電通人にとっての幸せとは?」という点からスタートしました。もちろん健康経営は大切ですが、バイタリティに溢れる状況も幸せの中に含まれています。
大内氏は「バイタリティというと、根性や気合の体育会をイメージしますが、そうではありません。チャレンジ精神を失わず、働きがいを感じ、変化に柔軟で前向きに楽しめること。社会や人々とのつながりを感じ、人を巻き込むエネルギーに溢れている。これらが電通のバイタリティなのです」と力説します。
そこで本プロジェクトでは、このバイタリティ溢れた状態を実現するために、仕事環境やスキームを整えているところです。目指すゴールに向け、同社は「コンディショニング」という概念を取り入れました。良い仕事をするために、アスリートのように自身がコンディションを意識し、そのスキルを身に付けることが大きなポイントになります。
「プロジェクト推進のために発見・予防・増進というフレームを考えました。発見は個人・組織のバイタリティの可視化、予防はバイタリティが低下したときの意識や行動の環境改善、増進はバイタリティを高める施策で全体の底上げを図ることです」(大内氏)
このうちHRDXの観点で、同社は発見フレームにテクノロジーを活用しました。先端のポジティブ心理学の知見を応用した設問からバイタリティを可視化する「バイタリティノート」を独自開発して、全社に導入したのです。
これは3秒程度で答えられる簡単な問い掛けを、1日1問ずつウェブ上でランダム表示し、10問1クールとして自身の状態や傾向を可視化するものです。例えば、ポジティブ/ネガティブの経験として「最近よく笑っていますか?」「最近ぐっすり眠れていますか?」といったシンプルな質問を投げます。
答えもYES/NO形式でなく、「ニコちゃんマーク」と呼ばれる6段階の笑顔アイコンをクリックするだけ。それらの結果を自身の平均値と比較できます。もしスコアが低い場合は「成長実感を高めるために、こういうことをしては?」と改善Tipsも提示されます。
「また10個の項目が時系列のヒートマップで示され、全社の傾向や変化の激しいものを読み解けます。電通では、思いやりや人間関係のスコアが比較的高く推移していることが分かりました」(大内氏)
ただし、このようなHRテックを企業に導入する際は少し苦労するかもしれません。社員を管理・監視しようと思われることもあるからです。電通では、あくまでバイタリティノートをセルフコンディショニングのために、個人・組織・経営の「気付きツール」として活用している点を強調しました。今回のプロジェクトで、バイタリティ情報を収集し、新たな気付きや発見もあったそうです。
「可視化のためにデータやテクノロジーが大変役立つのですが、それだけで全てが解決するわけではありません。やはりデータと人の掛け合わせによるアプローチが重要になることを確信しました」と大内氏。
同社では、各局にて総合的なHR業務を行う専任のHRMディレクター(以下、HRMD)をこれまでに100名ほど任命しました。一定の権限を持ち、社員を指導・育成し、上司との緩衝材となる役割です。HRMDが組織を活性化する新たな取り組みなどを導入し、不調者やハラスメント防止への対応なども図っています。HRMDも、バイタリティデータを含め、さまざまな人事データ(HRテック)を活用しながら、実際に社員と向き合っています。
今、コロナ禍のリモートワークで働き方が変化し、若手社員の企業への帰属意識や成長機会の希薄化が大きな問題になっています。電通も早い段階でリモートワークを導入したため、現在の出社率は20%程度に抑えられています。
「この状況で、人のつながりや心理的安全性が阻害されています。従来までは周りの人に分からないことを気軽に尋ねられましたが、リモート環境では会議インビテーションを飛ばして設定する必要があり、相談しづらくなります。適切なOJTがしにくい状況です」(大内氏)
また偶然の創発が失われた点も課題でした。業務の有無にかかわらず雑談が非常に重要なのですが、コロナ禍で機会が減ってしまったからです。働く満足度や誇りも若手社員の方が低くなっています。そこでHRMDの密なコミュニケーションで孤立を防ぎ、心理的安全性を担保しました。またHRMD同士の横連携で、ベストプラクティスも共有しています。
バイタリティの高い組織・チームの秘訣を聞くと「コミュニケーションが密な組織は免疫体質を磨く」「雑談をデザインする趣味スレッドを立ち上げた」「リモート局会の開催」「組織の見守りと人同士のクロスアサイン」といった施策が得られました。
また2021年からYouTubeで「15MIN」(https://15-min.net/)も開始。顔の見える電通人に注目した動画マーケティングで、他薦で選ばれた電通社員の暗黙知や実践知を15分で発信していく施策です。社員同士、社会とのつながりを深める試みなので、社員のモチベーションも上がり、「すてきな社員の想いを理解できた」と好評を博しています。
不確実性が高い時代のキャリア論。新領域を開拓する「タコ足打法」とは? - 眞鍋亮平 / 15MIN
誰もが作り手になれる今の時代に持つべき意識とは?海外映画祭受賞監督が語る - 長久允 / 15MIN
このように電通では、今回のプロジェクトによって、組織・社員のバイタリティを可視化するHRDXツールを導入し、データを活用しながら、各局と現場のHRMDが活躍しています。さらに電通らしいブランディング施策を打ち、コロナ禍の厳しい状況を乗り越えようとしているのです。
大内氏は「アイデアは現場で生まれています。データは社員を管理するものでなく、新たな気付きや未来への活用を行うもの。どう活用するかという点が鍵です。またWell-Beingは人事施策でなく、経営哲学を見直すことであり、ますます経営に重要なファクターになると考えています」と纏めました。
Section 2
トークセッションでは、大内氏の講演を受け、EYの鵜澤 慎一郎が質問を投げ掛けました。世代間や性差による課題、個人情報のデータ管理、経営アジェンダとしてのWell-Beingなど、重要な問いが取り上げられました。
EYアジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎
まず鵜澤は「現在のコロナ禍で、人のつながりが希薄になるだけでなく、さらに世代間ギャップも広がっているようです」とし、電通の状況について伺いました。
大内氏は「世代間ギャップの解消には、相互の思い込みをなくすことが大切。そのために一緒に何かをする機会を増やすことが必要です。私たちの場合は、HRMDが架け橋になり奔走しています」と打ち明けました。
これに対し、鵜澤は「電通のHRMDは、デイブ・ウルリッチ氏が提唱するHRターゲットオペレーティングモデル(センターオブエクセレンス組織/HRBP組織/オペレーション組織)におけるHRBP的な役割ですが、ビジネスの特定部門に各担当が閉じずに、部門横断的に情報やナレッジをシェアしている点が優れた運用だと思います」と付け加えました。
また世代間のみならず、女性のバイタリティを高める施策も重要です。大内氏は「女性にはライフステージが変化することに起因した働きづらさもあります。一時的に休職しても次に復帰したときにその方への期待を表明すること、女性くくりでなく一人の社員として見ることが、バイタリティを高めることにつながります」とアドバイスしました。
リモートワークで社員の熱量が下がる中、鵜澤は「特に単身者が孤独になり、Well-Beingを心配する声があります。どう解決すべきでしょうか?」と問いました。
この点については「事前の人間関係で状況が変わるケースもあります。実際の事例として人と結び付きを強くするために、外出できるときに社員同士でキャンプに出掛けるなど、趣味を通じて人とつながることが解決策になったようです」と大内氏。
HRDXでWell-Beingを図るときは、個人情報のデータ管理も重要なテーマです。鵜澤は、HRDXを活用する際の注意点として、プライバシー情報の取り扱いを指摘しました。
「実はこれが一番大変で、導入時は個人を特定できない形にしました。組織でバイタリティスコアが下がったら、HRMDがメンバーをサポートしました。その後アクセス範囲の権限を再整理し、個人の事前同意を得る形に変更しました。そうすることで直属上司を介さずにHRMDが閲覧できるといった運用が可能になりました」(大内氏)
個人情報の保護は特に欧米で厳しいのですが、それでは相対的なことは分かっても、個別の課題解決にはつながらず、データも十分に活用できません。
鵜澤は「個人の同意を取った上で情報の開示範囲を示し、第三者が活用できるアプローチは有効で実践的です。事前に個人の退職予兆なども分かるので先手が打てます」と評価しました。
これまでWell-Beingというと人事の福利厚生のイメージが強かったのですが、経営アジェンダとして認識することも重要な視点です。この点に関する課題も伺いました。
大内氏は「私たちは最初からWell-Beingを全社的な労働環境の改革と捉え、トップが舵を取って推進したので経営アジェンダになりました。継続的な推進にはトップの発信力と、事業側の担当者に入ってもらうことが大切です」と強調しました。
これに対して、鵜澤は「Well-Beingの取り組みは、当事者が自分事か傍観に回るかでバラつきがあります。全社的に取り組むにはどうすべきでしょうか?」と問い掛けました。
「HRMDの連携が効果的でした。定期的な会議で施策を横展開し、アンケート回収率などもHRMD間で把握できるため、社内で健全な競争関係が生まれて全体の底上げができるようになりました」(大内氏)
また「Well-Beingは会社でサポートするべきか?」という根本的な質問もありました。
大内氏は「Well-Beingは健康管理ではなく、あくまで個人の成長、ひいては企業成長の話。ビジネスに直結することです。企業哲学としてWell-Beingを重視しているのであれば、『Well-Being』は、選ばれ続ける企業であるために重要な施策になります」と纏めました。
Section 3
続く第二部では、Well-Being Initiativeのメンバーとして中心的な役割を果たす電通 新聞局 ソリューション・プランニング2部プロデューサー藤井統吾氏とEYの松尾竜聖が登壇し、Well-Beingの意義やEY内の具体的な取り組みについて紹介しました。
電通 新聞局 ソリューション・プランニング2部 プロデューサー 藤井 統吾 氏
まず藤井氏は「Well-Beingには主観的(個人)と客観的な見方があり、両者には乖離が見られます。日本はGDPで世界3位ですが、幸福度は62位(2020年調査)。一人一人が充実しているわけではありません」と指摘しました。
世界の傾向を調べると、例えば英国でWell-Beingが下がり、BrexitでEUを離脱したのは2016年のこと。エジプトも2006年にWell-Beingが下がって「アラブの春」が起きました。そこでWell-Beingは国の経済や混乱にも関係があることが分かります。
「そういう意味では、国だけでなく、企業も同様に質的な面で主観的なWell-Beingが重要になっています」と松尾も同意しました。
昨年発表された日本政府の「骨太の方針」でも、Well-Beingというキーワードが登場しています。岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」では、Well-Beingは最終目標の1つになり、国会で「GDPに並ぶ考え方としてGDWを指標化すべき」との意見も出ました。
そこでWell-Being Initiativeでは、社会的にWell-Beingを浸透させるべく、企業発信や世論醸成など多岐に活動しています。目標はポストSDGs、2030年からグローバルでWell-Beingをアジェンダにすることです。
EYは、Initiativeの初期メンバーとして、Well-Beingの活動で成果を上げています。私たちのパーパス(存在意義)である「Building a better working world」(より良い社会の構築を目指して)という理念と長期的価値(LTV)の視点で、ビジネス維持にWell-Beingが位置付けられるため、その推進は当然であるという見解です。
「Well-Beingは『身体的、精神的、社会的に健康であること』とWHOで定義されていますが、この社会的という点で働きがいや社会貢献の実感が求められます。EYでは働き方や職場環境の改善だけでなく、従業員のエンゲージメントや、より良いカルチャーを実感できる変革を進めるために、Well-Beingのプロジェクトを始めました」(松尾)
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 シニアマネージャー 松尾 竜聖
同社では、働きがいの阻害要因としてコミュニケーションを挙げる社員が多く、前提として信頼文化の醸成が重要と認識しました。
「言行一致と、互いを知る・尊重する土台のもと、心身の健康やコミュニケーションの施策を打ちました。その結果、エンゲージメント調査の数値が35%も向上し、コロナ禍の企業評価ランキングも2位*になりました。数字以外でも、パーパスをベースに自発的なアクションや交流が生まれました」(松尾)
主観的Well-Beingに影響を与える要因として、最近の研究で言われるのは「働き方やキャリア、貢献機会の選択肢があっても自己決定に踏み出せないこと」です。この決定に影響を与える社会的寛容(女性の権利、LGBTQ+、国籍、年齢、能力など)も求められます。
これを踏まえて松尾は「前提となる経営陣の言行一致はもちろん、エビデンスベースの正しさと楽しさを両立させる施策が必要です。また多様性のあるチームビルディングや、活動を浸透・継続していくために、HRDXで仕組み化することも重要です」と、Well-Beingを組織に実装する際のポイントも説明しました。
*出典:Diamond Online「コロナ下で社員からの評価が上がった企業ランキング2020【全30位・完全版】」、diamond.jp/articles/-/257868(2022年1月5日アクセス)
Well-Beingは単なる福利厚生や健康管理と捉えられがちですが、実は「企業の成長や存続のために必須の経営課題解決方法」です。Well-Beingが存在する場所からしかイノベーションは生まれないという認識のもと、電通のような成功事例を参考に、人事と事業が連携しながらWell-Beingを推進していくことが今後の経営にとって重要になります。