経済産業省「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」の解説と実務上のポイント

経済産業省「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」の解説と実務上のポイント


2022年4月に経済産業省が公表した「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」。その策定委員を務めた株式会社アトラエ(以下「アトラエ」)の取締役CFOである鈴木秀和様をお招きし、EY新日本有限責任監査法人でIPOグループ統括を務める藤原 選と、策定当時に経済産業省に在籍していた同グループの安藤裕介が本ガイダンスの解説と、実務上のポイントを語ります。


要点

  • 外部株主を招き入れる目的と投資家の属性を考えた上でエクイティストーリーを構築し、それぞれの投資家とコミュニケーションをしていく必要がある。
  • IPO後、時間の経過とともに株式の流動性は枯渇していく。IPO時に投資家の投資スタイルや判断基準を踏まえて、流動性の確保をデザインしていくことがポイント。
  • いつ、どのようなKPIを設定し対外的に開示して、どう投資家とコミュニケーションを図りフェアバリュー(適正価値)を追求するか。IPO前からIPO後までの全体の流れを想定しておくことが重要。


株式会社アトラエ 取締役CFO 鈴木 秀和(写真中央)、EY新日本有限責任監査法人 企業成長サポートセンター IPOグループ統括 パートナー 公認会計士 藤原 選(写真左)、EY新日本有限責任監査法人 企業成長サポートセンター IPOグループ統括  マネージャー 公認会計士 安藤 裕介(写真右)

株式会社アトラエ 取締役CFO 鈴木秀和 
(写真中央)

2005年に早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、大和証券SMBC株式会社(現大和証券株式会社)入社。以後一貫して13年間、投資銀行部門で数多くの企業のIPO(新規株式公開)を含む資金調達やバリュエーション、エクイティストーリーおよびガバナンス構築を含む東証審査対応のアドバイザリー業務、ならびにIPO時のプライシング業務に従事。株式会社メルカリやラクスル株式会社などのIPOを主幹事証券のディールヘッドとして実現。2018年12月にアトラエ取締役CFO(最高財務責任者)に就任。

EY新日本有限責任監査法人 企業成長サポートセンター IPOグループ統括
パートナー 公認会計士 藤原 選

(写真左)

オーナー系企業やスタートアップを中心に20年以上にわたり多数のIPO業務を経験するとともにスタートアップの支援に注力。

日本医療ベンチャー協会理事(現任)、経済産業省「Healthcare Innovation Hub」アドバイザー(現任)、厚生労働省調査研究事業委員を務めたほか、経済産業省や早稲田大学などが主催するビジネスコンテストでの審査員経験も多数。主な著書(共著)に、「金庫株の資本戦略」「外食産業のしくみと会計実務Q&A」などがある。


EY新日本有限責任監査法人 企業成長サポートセンター IPOグループ統括
マネージャー 公認会計士 安藤裕介

(写真右)

2019年より経済産業省にて、『オープンイノベーション促進税制』の創設および延長拡充に関わるほか、機動的な資金供給を実現する新株予約権などの『「コンバーティブル投資手段」活用ガイドライン』、オープンイノベーションの1つの手段としての『大企業×スタートアップのM&Aに関する調査報告書』、経営者やCFOが長期的な成長イメージを持つことを目的とした『スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス』などの作成に携わる。2022年7月にEYへ帰任。




安藤 裕介

ガイダンス策定の趣旨・意図

 

安藤 策定の背景には、スタートアップのCEOやCFOが直面する3つの課題があります。1つ目として、スタートアップはアドバイザーや投資家と比較して、圧倒的な情報格差があること。2つ目は「資本政策は後戻りができない」と言われるように、IPO後の展開までを見据えて将来的な課題に備える必要があること。3つ目は、IPOへ向けたファイナンスに関する情報は書籍やインターネット上に数多く流通している一方で、多くの場合は著者の主観的な情報であるという点です。経済産業省は、これらの課題に対し、第三者的な立場でスタートアップのファイナンス全体像やポイントを取りまとめ、公共財としてのガイドライン策定することに至りました。

 

藤原 では、スタートアップの成長ステージごとに示されている課題の中から、いくつか代表的なものを取り上げていきましょう。


エクイティストーリー構築におけるポイント

安藤 「エクイティストーリーの構築」は、自社の企業価値をアピールするための有効な手段の1つですが、投資家とのコミュニケーションにおいては、自社の伝えたいことに終始するのではなく、相手が知りたいこと、つまり投資家の視点に立って説明することがポイントです。

鈴木 一口に投資家といっても、ステージごとに対象が変わってきます。IPO前はベンチャーキャピタル(VC)、IPO後は機関投資家など、それぞれ異なる関心事項があり、また市場環境によっても投資家が求める情報は変わります。そうした違いを意識しながら、いかに企業の魅力を伝えるかがスタートアップの適正価値を左右します。適正価値が変わると調達できる資金の額や既存株主が売却する金額が変わりますので、エクイティストーリーの構築に加えて、投資家が企業価値を算定する上で参考になる情報を提供することも重要です。


鈴木 秀和氏

適正価値での調達


藤原
 立ち上げ期やシード期での資金調達において、VCに高い持ち株比率を取られ、後に資本政策で困る企業が散見されます。

 

鈴木 適正価値を決めていくことは非常に難しいです。上場企業であれば時価は毎日変動しますし、スタートアップの未上場株式でもタイムラグを経て反映されるため、適正価値は変化します。スタートアップは変動要素が大きく、リスクマネーを調達していますので、投資家に対してIPOかM&Aという投資回収出口を用意する必要があります。そのことを視野に入れた事業計画やダイリューション(希薄化)を許容するタイミングなど、前提となるシミュレーションを行い、想定と乖離(かいり)した場合の次の想定を重層的に用意するべきだと思います。

 

藤原 資本政策はIPO後の想定も含めて、逆算して未来志向で作るべきだということですね。

 

鈴木 はい。IR戦略を含め、IPO後を視野に入れた準備ができるか否かが鍵ですね。


初期の株主層の形成

藤原 初期の株主層には、どのような投資家を入れるのが好ましいのでしょうか。投資契約については、表明保証条項の表現も気にすべき点だと思いますが、いかがですか。

安藤 「外部の株主を招き入れる」ことは、「自社の持ち分を出さなければならない」ということです。どの程度の持ち分を出すかによって経営の機動性も変わってきます。自社に不足している知見を持つVCや事業連携を想定した事業会社など、目的に応じて投資家の属性を考えていく必要があります。投資契約については、条項1つで機動性が失われるケースもあります。ガイダンスの策定メンバーの間でも丁寧に確認すべきとの意見が出されました。

鈴木 IPO直前であれば、株主にストラテジックパートナーを迎え入れることで、エクイティストーリーを強化する株主構成を戦略的に作っていくことも考えられます。リスクマネーの提供以外で投資家に期待することは、それぞれの企業の成長ステージによっても異なるはずです。


藤原 選

企業価値向上を実現するCFOチーム体制の整備

 

藤原 ミドルステージの「企業価値向上を実現する体制の整備」に関して、CFOは投資銀行やコンサルティングファーム出身者を据えるケースが目立つ時期がありました。公認会計士の視点から見ると、IPOへ向けた経理や開示の体制、内部統制なども整備すべき点ですので、CFOを支えるポジションである経理マネージャーなどに会計知識に長(た)けた人材を入れることも重要と考えています。体制に関してどのような議論がありましたか。

 

安藤 企業個々の課題に対して、その解決につながるスキルセットを持った人材が検討されることがありますが、企業のカルチャーに合った人物であるか否かも重要だという意見が出ました。

 

鈴木 CFOにはカルチャーのフィットもスキルセットも双方が求められますね。IPO準備段階の企業は、N-2からN-1、IPO時、IPO後、それぞれのステージでCFOチームに求められるスキルが変わるため、1人の人材で充足することは難しいと考えます。各ステージに対応できるチームをいかにしてつくり上げるかがポイントではないでしょうか。


成長に資する投資家の確保

藤原 レイター期・プレIPO期のステージでの「成長に資する投資家の確保」では、VCと機関投資家の志向や属性にどのような違いがありますか。

鈴木 VCと機関投資家は広義では同じ投資家でありながら、投資に対する姿勢や時間軸、ビジネスモデルの見方など、あらゆる点が異なります。例えば、VCのキャピタリストとは二人三脚で何年も一緒に投資に至るまで、さらには投資後も「壁打ち(事業計画を作り上げるための複数回にわたる意見交換)」や事業計画そのものに対するディスカッションを行っているケースが多いですが、機関投資家との関係性においてVCと同じようなスタンスで接してしまうと、場合によっては二度と面談できなくなる可能性があります。両者のスタンスの違いを理解することが大切です。また、私は投資銀行時代から「IPO前後ではエクイティストーリーとバリュエーション、販売戦略が三位一体である」とスタートアップにアドバイスをしてきました。この3つはバラバラではなく、全てつながっていますので、レイター期に限らず、IPO後もどのような投資家にどのように魅力を伝え、適正価値を追求していくのかを意識できれば望ましいと考えます。


効果的なIPOプロセスの実行

安藤 IPOプロセスに入るステージのタイミングからさまざまなプレーヤーが登場し、専門用語も飛び交う状況になります。その際、関係者間で使われる単語に異なる解釈が生じているケースが少なくありません。ガイダンスでは、専門用語の定義を行い、解釈の違いにより会話がかみ合わないなどのミスコミュニケーションが生じないよう配慮されました。

藤原 例えば、カンファレンス、インフォメーションミーティング、プレヒアリング、ロードショーなど、さまざまな用語が出てきますね。

鈴木 それらの用語に共通しているのは、機関投資家とのコミュニケーション機会を指している点。スタートアップと主幹事証券会社がこれらの用語が示す概念について、何を目的とし、どのようなタイミングで行うことが最適かを理解した上で進むことが重要となります。似た表現であっても、目的が異なっている場合もありますので、初めてこれらを経験するスタートアップには、機関投資家とのタッチポイントに向けての準備や、VCではない投資家とのコミュニケーションにおいて注意すべきポイントを把握して臨むべきだと考えます。

藤原 証券会社を選定する際のポイントはどのようなものがありますか。

鈴木 自社のIPOやディールの特性を踏まえ、主幹事証券会社や担当チームに何を期待するかが重要だと思います。例えば、その担当チームに企業としてのトラックレコード(過去の実績)があり、当該企業の特性を踏まえた類似の論点審査を通過したことがあるかを見るわけです。もしくは新規性のあるエクイティストーリーが投資家から正しくない評価になり得てしまうケースにおいて、理解を浸透させるエクイティストーリーを構築し、適正なバリエーションを獲得することができた実績を有するチームが必要となる場合もあるでしょう。期待する内容に応じて証券会社の選定基準は大きく異なると考えています。

安藤 この章で「証券会社の役割」に言及した背景には、「共同主幹事」「事務幹事」などの用語の解釈に揺らぎがあり、定義と役割を明確化すべきとの意見が出されたことがあります。

藤原 主幹事証券会社を選定する際、複数を選定すべきか1社に絞るべきか、そのメリット・デメリットが議論になると思いますが、いかがでしょうか。

鈴木 メリット・デメリットはケース・バイ・ケースであるため、判断基準が難しいところです。1社より2社の方が競争原理によって、より良いものが出てくると期待しがちですが、そう単純なものではありません。スタートアップの経営陣が主幹事証券会社の健全な競争によって、より良い提案を引き出せるコミュニケーションを取れるか否かが前提となります。証券会社もパートナーであるため、コミットメントを引き出す関係構築が鍵だと考えます。


流動性の確保

安藤 レイター期、IPO前におけるポイントとして「流動性の確保」も挙げられます。いわゆる「チケットサイズ」に関して、機関投資家が取り扱う金額はとても大きいため、投資を行う最小単位を定めている場合がほとんどです。スタートアップの市場に出す株数(金額)が少ない場合、機関投資家の最小単位に届かず「買いたくても買えない」ということが起きかねません。また、IPO後、現在の株主が継続的に保有し続けるとなれば、市場に株が流通しないため、先ほどと同様に「買いたくても買えない」という状況が想定されます。これが流動性の重要なポイントになると考えています。

藤原 グロース市場からプライム市場に進む際、基準とされる流動比率はさらに10%上がることになっていますが、この点を含めどのようにお考えですか。

鈴木 IPO後、何もしなければ月日がたつにつれて流動性は枯渇していくのが一般的です。IPO時にさまざまな投資家の投資スタイルや判断基準を踏まえて、デザインしていくことがポイントになります。長期で保有する投資家(ロングオンリー)を中心に株を取得してもらう案にもメリットはありますが、仮にそのような投資家ばかりですと流動性は枯渇します。新しいロングオンリーの投資家などが買いたくても買えなくなってしまいます。このような現象に陥るのを避けて設計すべきだと思います。


IPO後の非連続な成長手段の確保

藤原 日本のIPOは時価総額が低くてもできますが、その後の成長性には課題があるようです。ガイダンスの中では、M&Aを活用する方法が記されていますが、どのような意図があったのでしょうか。

安藤 IPOは1つの資金調達イベントでしかなく、企業が永続的に成長するための通過点です。そのため成長手段の1つとしてM&Aに焦点を当てた事例を提示しています。

鈴木 IPOしたからには、資本市場でコーポレートアクションを行い、企業価値向上を目指していくことが大前提ですが、それができない企業も見受けられます。あるいはスタートアップの経営では、当初は有用だったKPIがどんどんずれていくことがあります。従って、IPO前からどのタイミングでどのようなKPIを出し、どう投資家とのコミュニケーションやフェアバリューを追求するかを想定しておくことが肝要です。一貫性が求められるIRでは、一度開示したものを引っ込めることは難しいのですから。

藤原 今回はガイダンス作成者の意図・趣旨を踏まえながら、IPOに関わる課題やポイントについて経験に裏打ちされた知見をお話しいただきました。このガイダンスはアップデート版が準備されていると伺っていますので、今後はその動向についても注目してまいりたいと思います。




サマリー

2022年4月に経済産業省は「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」を公表。シード期におけるエクイティストーリーの構築からIPO後の非連続な成長手段まで、ファイナンスのステージに応じた課題と検討のポイントについて、ガイダンス策定に携わったメンバーが解説。


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