上場審査に向けた企業が固定残業代制度導入(みなし残業)によるメリットを生かすためには

上場審査に向けた企業が固定残業代制度導入(みなし残業)によるメリットを生かすためには


労務管理は、上場審査における重点項目となります。特に未払残業代の有無の確認は重要です。そのため労働時間管理は必要不可欠です。この点、固定残業代制度(みなし残業)を導入する会社もありますが、このような制度導入にあたっては慎重な制度設計が必要となります。


要点
  • 固定残業代制度(みなし残業)については、慎重な制度設計を行うことが必要となる。それはなぜか。
  • 固定残業代制度の法的有効要件とは。また上場審査におけるポイントは何か。
  • どのような会社が、固定残業代制度を導入すべきか。


1. はじめに

労務管理は、上場審査における重点項目とされています。その理由として、労働に係る法令を遵守していない会社は、継続性や健全性が不安定であり、上場会社としてふさわしくないと判断されることが挙げられます※1。特に、未払残業代の有無については、会社にとって、大きな経済的不利益を与えるリスクがあることから※2、十分に注意を払う必要があります。

未払残業代をめぐっては、会社が、各従業員の労働時間を管理することが必要不可欠です。この点、いわゆる「固定残業代制度」(「みなし残業」と呼ばれることもあります。)を導入し、割増賃金を毎月計算の上支払うことに代え、固定手当として支払っている会社があります。

本稿では、「固定残業代制度」の法的有効性や、上場審査での確認事項について、検討を行います。


2. 固定残業代制度(みなし残業)とは

固定残業代制度とは、時間外手当などの割増賃金について、労働基準法に定める計算方法に基づいて支払う代わりに、毎月固定の残業代を支払う制度のことをいいます。ただし、固定残業代制度を採用する会社であっても、労基法に基づいて計算した場合の割増賃金が、固定残業代の金額を上回る場合には、その差額を支払って精算を行う必要があります。

一般に、この制度には、①基本給の中に含めて支払う方法(基本給組み入れ型)と、②一定額の手当を支払う方法(手当型)があります※3。固定残業代制度は、法律上に根拠があるわけではありませんが、判例において、一定の要件を満たしていれば適法であるとされています(高知県観光事件・最判平成6年6月13日労判653号12頁など)。

しかし、もし、会社の定める固定残業代制度が無効であるとされた場合、会社は経済的に大きな不利益を受けることになります。

第一に、当然ながら、当該固定残業代分の割増賃金は不払いであったことになります。

第二に、固定残業代部分は、割増賃金として認められない以上、割増賃金の計算基礎となる賃金(労基法規則19条1項)に含まれ、1時間当たりの単価が(会社が想定していたよりも)大きく跳ね上がることになります。

また第三に、未払賃金として裁判で争われ、敗訴した場合には、未払賃金のほかに、それと同額の付加金(労基法114条)の支払命令が下される可能性があります。

したがって、会社が、固定残業代制度を導入しようとする場合には、有効な制度となるよう、慎重な制度設計が必要になります。


3. 法律上の有効要件について

判例や下級審裁判例を整理すると、固定残業代制度が適法であるためのポイントは、①労使間での固定残業代の合意が成立していること、②①の合意が有効であること、③明確区分性であると考えられます※4
 

① 労使間での合意が成立していること

通常は、雇用契約書や就業規則上の規定(賃金規程)の有無によって、容易に判断できることが多いと考えられます。ただし、固定残業代制度についての定めがあっても、「手当型」の場合には、検討を要する場合があります。例えば、就業規則にて「基本給30万円」のほか、「固定時間外手当10万円」を支払う旨の規定がある場合は、固定残業代制度についての合意があると考えられます。

では、当該手当の名前が、「固定時間外手当」ではなく「業務手当」であった場合はどうでしょうか。会社としては、残業の生じやすい業務担当者に対して、固定残業代とする趣旨で、「業務手当」を支払っているかもしれません。このような場合、直ちに固定残業代制度としての効力が否定されるわけではありませんが、一義的に読み取れない以上、固定残業代制度の合意として認められないリスクがあるといわざるをえません※5

なお、固定残業代制度は、前記のとおり、支払った固定残業代が、労基法に従って計算した割増賃金の金額に満たない場合には、差額の精算が必要になります。裁判例では、固定残業代制度の合意の有無があるか否かを判断するにあたって、この精算についての雇用契約ないし就業規則上の定めが置かれているかどうかを重視するものもあり※6、特に留意が必要です。


② 上記①の合意が有効であること

民法上、当事者間で合意した契約であっても、その内容が公序良俗に反するものであれば、契約自体、無効となります(民法90条)※7

固定残業代制度は、あらかじめ、一定の残業を予定するものといえますが、例えば「月100時間分の固定残業代」とあまりに長時間の残業代を織り込むものであれば、長時間労働を恒常的に助長しかねない制度として公序良俗に反し、無効とされる可能性が高いとされています※8

また、基本給から固定残業代を控除した額を、所定労働時間で割って1時間当たりの単価を計算した場合に、時間単価が最低賃金を下回る場合は、最賃法違反により当然に無効となりますが(最低賃金法4条2項参照)、最賃法をギリギリ上回る水準にとどまる場合も、公序良俗の観点から無効とされる可能性があるとされています※9


③ 明確区分性

労働者に支給している賃金について、①通常の労働時間の賃金に当たる部分と②割増賃金に当たる部分とを判別する(①・②それぞれいくらかを計算する)ことが可能でなければ(明確区分性)、固定残業代制度は無効となります。

これは、固定残業代制度によらず割増賃金を計算した場合との差額の精算を可能にすべく、労働者によって、労基法に基づく割増賃金の計算を可能にさせるための要件だと考えられます。

具体的には、雇用契約や就業規則上、何時間分の残業代が、いくら含まれているかが明示されている必要があります。

主に「基本給組み入れ型」の場合に問題になるところ、例えば、以下のとおり整理できると考えられます。

雇用契約・就業規則の定め

可否(〇 ×)

「月給40万円(固定残業代も含む)」

×

「月給40万円(20時間分の時間外手当10万円を含む)」

「月給40万円(時間外手当10万円を含む)」

「月給40万円(20時間分の時間外手当を含む)」

△(※)

※ 時間のみを明示する場合については見解が分かれますが、労働者にとって容易に計算できないため、避けるべきと考えます※10


なお、一口に「割増賃金」「残業代」といっても、時間外手当のほか、休日、深夜、月60時間超の場合にそれぞれ異なる割増率で発生します。そのため、固定残業代制度を採用する場合、どの割増部分について、何時間分の割増賃金が含まれているかを明示する必要があります。


4. 上場審査での確認事項

固定残業代制度を採用している場合における上場審査での確認事項は、以下のとおりです。いずれも、上記した法的有効性の観点から要求される内容と、ほぼ一致するものと考えられます。

【上場審査での確認事項※11

  • 賃金(基本給や手当)に含まれる時間外手当を明確にし、それが何時間分の割増賃金に該当するかを就業規則及び雇用契約書に明示すること(*1)
  • 実際の時間外労働が賃金に含まれる時間を超える場合には、その差額を支払うことを就業規則及び雇用契約書に明示すること(*2)
  • 賃金台帳に固定時間外手当として計算された金額を記載すること(*3)
  • 基本給が最低賃金を下回らないこと(*4)


*1 固定残業代制度の明示について

上記のとおり、明確区分性の観点からは、少なくとも固定残業代の金額を明示する必要があると考えられます。また、どの割増賃金を対象として、固定残業代制度を採用するのか(時間外手当か、休日か深夜か等)も明示すべきです※12。時間数を明示する場合、何時間分とするべきかは、実態調査により、適切な時間設定を行うべきです。

また上記のとおり、あまりに長い残業時間を想定すると無効となるリスクがあります。この点については、労基法上の規制に照らし、月45時間以内(労基法36条4項)が1つの目安と考えられています※13

*2 差額支払の合意

固定残業代制度を採用する以上、労基法に従って計算した残業代との差額が生じた場合の精算は当然であることから、当該規定は必要不可欠な規定といえます。

*3 賃金台帳への記載

法律上の有効性の観点からは必須ではありませんが、労務管理状況を示す重要書類である以上、上場審査の観点から特に必要な項目といえます。

*4 最低賃金を下回らない

なお、最低賃金を下回る場合のみならず、ギリギリ上回る水準にとどまる場合も無効になるリスクがあることは、上記のとおりです。


5. 制度を導入すべき場合とは

固定残業代制度を導入するメリットは、一般に以下が挙げられます※14

(1) 給与計算事務処理負担の軽減として
(2) 長時間労働の抑制手段として※15
(3) 採用上の訴求力を高める(基本給を抑えつつ、手取り総額を上げる)

しかし、(1)事務処理負担の観点からは、固定残業代制度を採用するとしても、差額精算の必要が生じた場合に備え、依然として労働時間の把握は必要になるため注意が必要です。また、(3)採用上の訴求力を高めるために導入する場合には、明確区分性の観点から、契約上、固定残業代部分を明示する必要がある点に留意すべきです。

固定残業代制度を導入する場合には、上記した確認事項に十分留意した上で制度設計を考えることが重要です。その上で、リスクのない制度設計にした時に、固定残業代制度を導入しようと考えた当初の目的やメリットが果たされるかどうか、今一度考えてみることが有用ではないかと考えます。


※1 岩田合同法律事務所・有限責任あずさ監査法人編『IPOと戦略的法務-会計士の視点もふまえて』(商事法務 2015年)77頁

※2 労基法の改正によって、令和2年4月以降、未払賃金の消滅時効は、従来の2年から3年となったため、会社に与える影響はさらに大きくなったといえます。

※3 石嵜信憲編『割増賃金の基本と実務(第2版)』(中央経済社 2020年)123頁

※4 前掲石嵜128頁。なお、何が有効要件かについては、裁判例や学説の中でも、必ずしも考え方が統一されていません。例えば、荒木尚志『労働法<第4版>』(有斐閣 2020年)185頁は、①対価性、②判別可能性(≒本稿での「明確区分性」)を要件とします。

※5 日本ケミカル事件・最判平成30年7月19日労判1186号5頁

※6 東京地判平成25年2月28日労判1074号47頁など

※7 公序良俗に反するとは、様々な類型がありますが、個人の自由を極度に制限するもののほか、不正行為を助長する契約など正義に反するものや、暴利行為、愛人契約などの倫理に反するものなどが挙げられています(山本敬三『民法講義Ⅰ総則(第3版)』(有斐閣 2011年)266頁)。

※8 イクヌーザ事件・東京高判平成30年10月4日労判1190号5頁では「月80時間相当の固定残業代」が無効とされました。

※9 前掲石嵜145頁

※10 前掲石嵜151頁

※11 一般社団法人日本経営調査士協会編『これですべてがわかるIPOの実務<第5版>』(中央経済社 2022年)300頁。なお(*1)~(*4)は筆者による。

※12 この点、上記確認事項では、通常の時間外手当のみを固定残業代制度の対象とすることを前提としています。なお、これとは別に、複数の割増率が異なる残業代を制度の対象にする場合、割増率が異なるため、金額及び時間の両方を示すことはできないことに注意する必要があります(前掲石嵜153頁)。

※13 前掲石嵜140頁。また峰隆之編『定額残業制と労働時間法制の実務』(労働調査会 平成28年)167頁も参照。

※14 前掲峰169頁

※15 前掲峰169頁では、例えば月の残業が45時間を超えることが殆ど無い会社において、45時間分の定額残業代を支給する場合、45時間以内の残業である限り、残業が10時間でも40時間でも、貰える給与の額としては同じであるため、生活残業としての居残りをしようというインセンティブを削ぐ結果となると説明されています。


【共同執筆者】

伊藤 貴則
EY新日本有限責任監査法人 企業成長サポートセンター スタッフ

※所属・役職は記事公開当時のものです。


サマリー 

固定残業代制度を導入する場合、法律上有効となるように慎重な制度設計が必要です。また、この制度を導入したとしても、会社として労働時間の管理が不要になるわけではありません。固定残業代制度を導入することによるメリットを正しく理解し、導入の要否を検討することが肝要であると考えられます。


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