EY新日本有限責任監査法人 河村正一
1. 役員向け株式交付信託のスキームの概要
役員向け株式交付信託とは、役員への企業価値向上のインセンティブ付与を目的として、自社の株式を受け取ることができる権利(受給権)を付与された役員に信託を通じて自社の株式を交付する株式報酬をいいます。
役員向け株式交付信託の一般的なスキームは以下のとおりです。
図:株式交付信託のスキーム
※「研究報告第15号【図表9】」を元に作成
①株式交付規程の制定 |
企業は、株式交付規程を制定し、役位、在籍年数、業績達成度等に基づく役員へのポイント付与の基準を定める。 |
②企業による金銭の信託 |
企業は、株式交付規程に基づく株式交付に必要と見込まれる株式総数の取得原資となる金銭を信託に拠出することで、一定の受益者要件を満たす役員を受益者とする信託を設定する。 |
③信託による企業の株式取得 |
信託は、②で信託された金銭を原資として企業の株式を、株式市場を通じて、又は企業の自己株式処分を引き受ける方法により取得する。 |
④企業から役員に対するポイントの付与 |
企業は、株式交付規程に基づき役員にポイントを付与する。 |
⑤信託から役員に対する企業の株式の交付 |
株式交付規程に基づく支給条件が成就し受益者要件を満たした役員に対して、信託から企業の株式が交付される。 |
2. 会計処理
(1) 会計処理の考え方
従業員向け株式交付信託の会計処理に関しては、実務対応報告第30号「従業員等に信託を通じて自社の株式を交付する取引に関する実務上の取扱い」(以下「実務対応報告第30号」という。)が公表されています。この実務対応報告第30 号の適用範囲には、役員向けの株式給付型株式交付信託は含まれていません。役員向け株式交付信託は、役員等へのインセンティブ報酬を目的とする点において、従業員への福利厚生を目的とする株式給付型の従業員向け株式交付信託と異なります。
ただし、役員向けの制度であったとしても、そのスキームの内容に応じて、実務対応報告第30号の定めを参考にすることが考えられるとされています(実務対応報告第30号第26 項)。この場合には、例えば以下の点を検討したうえで、個々の取引スキームの法的な有効性を法律の専門家等に確認し、また、詳細な内容を十分に理解して、実務対応報告第30号の取扱いを参考にして処理することが適切であるかについて慎重な判断を行う必要があります。
- 実務対応報告第30号第4項の定めにあるスキームとの類似性があるかどうか
- 対象となる信託が同第5項の要件を満たすかどうか
- 企業に追加負担の可能性があるかどうか
なお、実務対応報告第30号は、「従業員持株会に信託を通じて自社の株式を交付する取引に関する会計処理」(第5項~第9項)及び「受給権を付与された従業員に信託を通じて自社の株式を交付する取引に関する会計処理」(第10項~第15項)の2つの会計処理を示していますが、役員向け株式交付信託は、後者である「受給権を付与された従業員に信託を通じて自社の株式を交付する取引に関する会計処理」に類似し、会計処理を参考とすることになると考えられます。
(2) 具体的な会計処理
実務対応報告第30号を参考とした役員向け株式交付信託の会計処理について、設例を用いて解説します。
[前提条件]
- A社(決算期3月末)は株式給付規程を設定し、A社役員は1ポイントにつきA社株式を1株受け取ることができる。役務提供期間は×1年7月~×3年6月の2年間とする。
- A社は信託の株式取得原資として2,400を信託に拠出する。
- A社の保有するA社株式の帳簿価額は1株当たり50、X1年7月のA社株式の時価は1株当たり60とする。
- ×1年7月にA社は信託に対して時価60で、自己株式40株の処分を行い、金銭2,400を受け取る。
- 役員への1年当たりのポイント付与総数は20ポイントとする。
- ×3年6月に信託からA社役員にA社株式40株を交付する。
なお、この設例では、A社から信託への配当や信託に関する諸費用について、簡略化のため、発生しないものとしている。
① A社から信託への拠出
信託への拠出は信託設定のためのA社株式の取得に用いられることから信託口とします。
② A社から信託への自己株式の処分時(X1年7月)
自己株式処分差額は、信託から役員への交付時ではなく、自社(A社)から信託へのA社株式の処分時に認識します(実務対応報告第30号第11 項及び第7項)。
③ 総額法の適用
- 信託の財産をA社の財務諸表に計上(×2年3月)
- 信託元本と信託口の相殺
実務対応報告第30号第5項(1)及び(2)の要件(下記参照)をいずれも満たす場合、信託の決算は総額法※と呼ばれる方法によって企業の決算に取り込むことになります(実務対応報告第30号第8項及び第 10 項)。この場合には、信託の貸借対照表項目はそのまま合算し、一方で損益計算書については、純損益相当を負債(純利益の場合)又は資産(純損失の場合)に計上します。
※総額法とは
一般的に、総額法は、信託の資産及び負債を企業の資産及び負債として貸借対照表に計上し、信託の損益を企業の損益として損益計算書に計上することを意味する。ただし、本実務対応報告では、信託における損益が最終的に従業員に帰属する点を考慮し、信託が保有する株式に対する企業からの配当金及び信託に関する諸費用の純額が、正の値となる場合には負債に、負の値となる場合には資産に、それぞれ適当な科目を用いて計上する会計処理を定めている(実務対応報告30号 注6、第8項(2)及び第14項(2))。
なお、この設例では、簡略化のため、A社から信託への配当や信託に関する諸費用は発生しないものとしている。このため、純額の負債あるいは資産の計上仕訳は生じない。
総額法の適用要件(第30号第5項(1)及び(2))
5. 対象となる信託が、以下の(1)及び(2)の要件をいずれも満たす場合には、企業は期末において総額法を適用し、信託の財産を企業の個別財務諸表に計上する。
(1) 委託者が信託の変更をする権限を有している場合
(2) 企業に信託財産の経済的効果が帰属しないことが明らかであるとは認められない場合
- 信託の保有するA社株式は総額法の適用(実務対応報告第30号第14項(1))により、自己株式に振り替え、純資産の部における株主資本の控除項目とする(企業会計基準第1号「自己株式及び準備金の額の減少等に関する会計基準」第7項)。
④ A社による役員へのポイント割当時(X2年6月)
役員にポイントが割り当てられたときには、ポイントに対応する株式数に、信託が自社の株式を取得したときの株価を乗じた金額を基礎として、費用及び対応する引当金を計上します(実務対応報告第30号第 12 項)。また、事後的に株価が変動したとしても、引当金の見直しは行われません(実務対応報告第30号第53項参照)。
1年当たりのポイント付与総数20ポイント(=20株式※)×A社から信託へのA社株式処分時のA社株式の時価60=1,200
※1ポイント当たりA社株式を1株式受け取ることができる
⑤ A社による役員へのポイント割当時(X3年6月)
※×3年6月の総額法の処理は③と同様のため省略
⑥ 信託による役員への自社の株式の交付時(X3年6月)
信託の保有するA社株式2,400を役員に交付し、引当金2,400を取り崩します。
(3) 連結財務諸表における取扱い
実務対応報告第30号を適用する株式交付信託のスキームを実施する際には、信託について、子会社又は関連会社に該当するか否かの判定を要せず、個別財務諸表における総額法の処理を、連結財務諸表作成上、そのまま引き継ぐことになります(実務対応報告第30号第15項)。
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