EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社は2021年12月、ポストコロナの10 年先の予測を踏まえ、今後のツーリズム業界のビジネスチャンスを提示した「ツーリズムの未来 2022-2031」(日経BP刊)を発刊しました。同書では世界と日本のツーリズム市場の現状分析を基に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が市場に与えた影響を解説しています。さらに、ツーリズムを取り巻くデジタルサービスやモビリティなど、未来のツーリズムを支えるテクノロジーを分析し、IT、輸送、自動車、医療、農林水産、スポーツなどの周辺産業で新たに生まれるビジネスチャンスを提示しています。
同書の発刊を記念して「2031年、ツーリズムはこうなる:ウィズコロナ・ポストコロナを見据えたツーリズムの変化と未来の姿」と題したWebinarを2022年1月21日に開催しました。
本セミナーの前半では、トラベルボイス株式会社 代表取締役社長の鶴本浩司氏と本書を監修したEY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ディレクターの平林知高が、新型コロナウイルス感染症拡大による落ち込みからの回復期におけるツーリズムのトレンドや、10年先のツーリズムについて講演を行いました。
また後半では、本書の編集人を務めたオートインサイト株式会社 代表の鶴原吉郎氏、JTB総合研究所 執行役員 企画調査部長の波潟郁代氏も迎え、今後のツーリズムについてパネルディスカッションを行いました。
Section 1
新型コロナウイルス感染症の拡大により、ツーリズム発展の“潮目”は大きく変わりました。20年以上にわたり観光業界に携わる鶴本浩司氏は「今後は観光デジタルトランスフォーメーション(DX)が本格化する」と展望します。
トラベルボイス株式会社 代表取締役社長
鶴本 浩司 氏
観光地やリゾート地でテレワークを活用し、働きながら休暇を取る「ワーケーション」。この言葉が示す通り、現在は「旅行」と「日常生活」の境界線が曖昧になっています。鶴本氏は、現在の旅行業界で起きている現象の1つとして「勤務形態を含む生活と旅行の境界線の変化」を挙げ「テレワークの加速度的な普及により『どこで勤務するか』は意味を持たなくなりました」と指摘します。
新型コロナウイルス感染症の拡大以前から、欧米では在宅勤務が一般化していたものの、日本で在宅勤務を導入する企業は少数派でした。そうした状況は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で一変します。在宅勤務が「日常」になれば、「平日は都心で働き、休暇は観光地やリゾート地へ行く」という従来の旅行スタイルも変わってきます。
「2019年までは、『旅行は有給休暇を取得して行く』のが常識でした。それがテレワークの浸透で場所が意味をもたなくなった結果、有給休暇をとらないでも旅行できる時代が到来しています。極端に言えば、週末に旅先に移動して、平日の日中は仕事をし、週末は現地で旅行に出かけたり、平日も終業後に現地のナイトライフを楽しむといったライフスタイルも可能です。そうなれば旅行の概念も変わるでしょう。旅行調査会社大手の米フォーカスライト社は、日本の旅行市場が2024年には(新型コロナウイルス感染症拡大前の)2019年規模に回復すると予測1していますが、その旅行内容は以前と異なるはずです」(鶴本氏)
また新型コロナウイルス感染症の拡大は、旅行商品や観光地の過ごし方にも変化をもたらしました。例えば、レストランのメニューや観光地の案内などは、旅行客が自分のスマートフォンでQRコードを読み取るというシステムに切り替わっています。以前は旅の醍醐味(だいごみ)だったはずの“触れ合い”は鳴りを潜め、モノや人と触れ合わない“非接触”が付加価値サービスになりました。鶴本氏はデジタル技術の進化と共にこうした傾向は継続し、観光DXが本格化すると指摘します。
観光DXの分野は多岐にわたります。鶴本氏は近年成長しているカテゴリーとして、トラベルデバイスの多様化や電子決済などの「旅ナカ支援」、配車サービスやカーシェアリングなどの「陸上交通」、民泊などやスマートホテルといった「ホスピタリティ」、空港テックを駆使した「航空サービス」、オンライントラベルやトラベルコンテンツ、マーケットプレイスなどの「スマート・観光地想起・予約」の5つを挙げました。特にこれまでデジタル化が遅れていた「ホスピタリティ」や「スマート(デジタル化によるサービスの簡素化)」分野では、ベンチャー企業による新サービスが続々と登場しているといいます。
講演の中で鶴本氏は観光DXのイノベーション事例として、イスラエルの「Refundit」と米国の「Youtip」を紹介しました。
Refunditは、海外旅行者のVAT(付加価値税)免税手続きを簡素化するサービスです。専用アプリでレシートの写真を撮影し、アプリ経由で免税申請をすると、15分後にはクレジットカードなどを介して返金される仕組みです。これまでの免税手続きは手順が煩雑であり、旅行中に多くの時間を割かねばなりませんでした。しかし、Refunditを利用すれば、そうした手間は一切なくなります。また、免税手続きをする政府にとってもこれまでの紙作業からデジタルデータでのやり取りとなるため、作業が大幅に短縮できるメリットもあります。
もう1つのYoutipは、チップの支払いをデジタル化したソリューションです。レストランやホテルといったチップを受け取る側はYoutipのアカウントを作成するだけで、顧客からのQRコードによる支払い(チップ)を受け取れます。
Youtipが普及している背景には、決済のキャッシュレス化が進んだことで旅行者が現金を持ち歩かなくなった一方で、サービス業に携わる従業員だけがチップというキャッシュを必要としていたことが挙げられます。Youtipを利用すれば、旅行者は簡単にキャッシュレスでチップを支払えます。
「Youtipはチップ支払いの簡素化だけでなく、(チップ獲得による)従業員のモチベーション維持や、チップ管理(収入管理)の効率化にも貢献しています。(Youtipを利用する)すべての人にとってイノベーティブなサービスになっているのです」(鶴本氏)
最後に鶴本氏は「観光DXは始まったばかりですが、RefunditやYoutipのようなFinTechサービスの登場は、観光DXを加速させる一翼を担うでしょう。10年先の2031年に向けてこうしたサービスが続々と登場すると予測しています」と述べ、講演を締めくくりました。
Section 2
加速するツーリズムの変化を迅速に捉え、そのメガトレンドを的確に把握するにはどのようなポイントに留意すべきでしょうか。EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社の平林知高が解説しました。
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ディレクター
平林 知高
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、国内の観光消費額は大幅に落ち込みました。観光庁が2021年11月に公開した「旅行・観光消費動向調査」「訪日外国人消費動向調査」によると、2019年に26.8兆円だった国内観光消費額は、2020年には10.7兆円にまで減少しました。平林は「今後はデジタル対応、サステナビリティ(持続可能性)、オーバーツーリズムへの対応などが急務です」とした上で、ポストコロナ時代にはビジネスモデルの転換を受け入れない観光地やツーリストは市場から排除される可能性があると警鐘を鳴らします。
ポストコロナ時代では、以下の3つのパラダイムシフトに留意すべきであると平林は説きます。
ツーリズムの概念の変化としては、観光地への移動が大前提だったこれまでのツーリズムから、デジタルによる疑似ツーリズムの増加が挙げられます。また、ツーリストがツーリズムに求める価値基準の変化では、安さと利便性を重視していたツーリストが、今後は一定の対価を払っても、衛生面を含めた観光地の安全・安心を重視する方向にシフトしていくといいます。さらに、ツーリストと観光地のパワーバランスの変化では、観光地域外からツーリスト誘致を優先する「ツーリスト優位」の傾向から、「ルールを守らないツーリストを拒否する」という「観光地優位」になることも想定されると平林は説明します。
では、こうした変化は、どのようなメガトレンドを生み出すのでしょうか。平林は「ポイントはツーリストとツーリズム関連事業者、そして観光地の3者の関係が、従来よりも密接になっていくことです」と説明します。
例えば、ツーリストとツーリズム関連事業者の関係は、「疎」から「密」に変化していくといいます。ツーリストに対して、事業者が一時的かつ一方的にサービスを提供する「疎」から、ツーリストがサービスを受けるかたわら、事業者に労働力やノウハウを提供するなど、持続的かつ双方向の関係が構築された「密」に変化するというのです。
また、ツーリズム関連事業者同士の関係も、今までの「同業他社はライバル」と捉えて、一事業者で収益を最大化するといった発想から、地域内・業界内で事業者同士が連携する方向に向かうといいます。多様化・個別化するツーリストのニーズに対応するには、「地域全体最適化」の発想が必要であるというのがその理由です。
「特に観光地が重視する価値は、大きく変化します。これまではツーリストの短期的な価値を優先するあまり、観光地域の住民との間でひずみを生じさせてしまっていました。これがオーバーツーリズムの原因の1つです。しかし、今後は観光地域とツーリスト双方の便益を両立しながら『持続可能な観光』を実現することが求められます。サステナビリティを重視しない観光地は地域の価値が低下し、ツーリストから選ばれずに生き残れなくなると予測しています」(平林)
さらに平林は「ツーリズム自体が、すべての社会経済活動の『礎』になる可能性を秘めています」と指摘します。
ツーリズムには運輸や宿泊、観光施設、飲食、コンベンション業など、幅広い産業が関わっています。さらに今後は農業や製造業、金融を含めた、あらゆる業界がツーリズム産業に参入してきます。すなわち、ツーリズムに関するあらゆる取引がデジタル化されれば、産業や消費に関する巨大なデータベースを構築できます。そのように蓄積したデータを利活用して新たな産業やサービスが創出できれば、ツーリズムをきっかけに社会全体が活性化するといいます。
最後に平林は「ツーリズムの本質は互いの文化や歴史、思想などの『異』を理解することです。日本はツーリズムを通じて人間形成に取り組むことで、世界の中でプレゼンスを発揮し、社会経済活動に貢献できると考えています」と総括しました。
Section 3
セミナー後半のパネルディスカッションでは、新型コロナウイルス感染症が社会に与えた影響と共に、モビリティやメタバースといったデジタル技術によってツーリズムがどのように変化していくかを議論しました。
(写真)右から:トラベルボイス株式会社 代表取締役社⻑ 鶴本 浩司 ⽒
株式会社JTB総合研究所 執⾏役員企画調査部⻑ 波潟 郁代 ⽒
オートインサイト株式会社 代表技術ジャーナリスト・編集者 鶴原 吉郎 氏
モデレータ
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社ディレクター 平林
知高
日本で最初に新型コロナウイルスの感染が確認されたのは2020年1月です。当時、新型コロナウイルス感染症の影響が2年以上続くと予測した人は少数でした。新型コロナウイルス感染症感染拡大の長期化で、日本社会はどのように変化したのでしょうか。波潟氏は「公共交通機関がダイヤ改正を余儀なくされるなど、社会に与えた影響は大きい」と指摘します。
波潟氏が企画調査部長を務めるJTB総合研究所では、2020年2月から約2年間、10回以上の生活者意識調査を実施しています。そこから明らかになったのは、「若者層のデジタルに対する捉え方の変化」だといいます。最初に緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出が制限された直後は「リアル(現実世界)に戻りたい」という声が大半を占めたものの、調査を重ねるにつれて「デジタルで合理化できる部分はデジタルを活用し、リアルでしか体験できないことはリアルにこだわる」というマインドに変化したというのです。
鶴本氏も「新型コロナウイルス感染症拡大の長期化で、ツーリズムに占めるデジタルの影響は重要になっています」と指摘します。
これまで「旅行」は人が移動するものでした。しかし、デジタル技術の進歩と新型コロナウイルス感染症拡大の長期化で、人々の行動は変容しました。例えば、教育現場での国際交流でも渡航は制限されているため、直接人と会うことはできません。しかし、オンラインであれば、簡単につながることができます。鶴本氏は「『オンラインで交流しているから直接会わなくてよい』ではなく、オンラインでできる交流はオンライン上で実施し、『続きは現地で(直接会いましょう)』という時代が到来すると予測しています」との見解を示しました。
デジタル技術は移動手段にも大きな影響を与えています。MaaS(Mobility as a Service)や自動運転自動車が今後のツーリズムに与える影響を問われた鶴原氏は「(自動運転自動車の台頭で)これまで公共交通機関では行くことができなかった地域へと行動範囲が広がれば、それは一種の“革命”だと思っています」と語ります。
「例えば、高齢者が観光地を巡る際、歩行補助ロボットや自動運転機能が備わった車いすがあれば、行動範囲はさらに広がります。デジタル技術が旅行に与えるポテンシャルは大きいのです」(鶴原氏)
もう1つ、デジタル技術で注目されているのがメタバースです。仮想空間上で自分の分身(アバター)を自由に移動させられるメタバースは、どのようにツーリズムに取り入れられるのでしょうか。
鶴本氏は、「仮想空間で旅行できれば人は現地に行かなくなると言う人もいます。しかし、旅行の醍醐味は気温や匂いなど、現地でしか味わえない空気を全身で感じられることです。メタバース上での体験と実際の旅行では得られるモノが異なります」と説明します。モデレータを務めた平林も「両者の果たす役割は異なるため、うまい形で『すみ分け』ができるのでは」との見解を示しました。
Section 4
2031年に向けたインバウンドで重要になるのは、「情報開示」と「地域社会との共存」だといいます。では、唯一無二の観光コンテンツを絶やすことなくサステナブルなツーリズムを実現するには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。
株式会社JTB総合研究所 執⾏役員企画調査部⻑
波潟 郁代 ⽒
ポストコロナ時代は、インバウンド需要の変化も予想されます。波潟氏は英国・オーストラリア・中国の旅行者を対象にした調査結果を発表しました。それによると、中国の旅行者は観光地が安全対策を講じているかを重要視します。一方、英国やオーストラリアの観光客は「安全性に関する情報をしっかりと提供すること」を求め、その情報を基に自分たちで判断しながら自然の中でリラックスしたいという傾向があるといいます。
情報開示の重要性は、鶴本氏も指摘します。その背景にあるのが「脱炭素と旅行の両立への関心の高まり」です。
「世界では日本が考えている以上に、脱炭素の取り組みに対して厳しい目を向けています。例えば、旅行者がホテルを選択するときも、環境に配慮したサステナブルなホテルなのかを宿泊条件の1つに入れています。ですから、日本の宿泊施設は環境配慮の取り組みを積極的に公開すると同時に、(環境への取り組みが)差異化のビジネスチャンスと捉え、旅行者のニーズを反映させていく必要があります」(鶴本氏)
ただし、気になるのがコストの問題です。旅行者にとって「安さ」は重要な選択要素ですが、宿泊施設側にとってサステナブルな取り組みはコストがかかります。この点について鶴本氏は「“ストーリー”があれば旅行者は対価を払います。宿泊施設側は『なぜ価格が上がったのか』という自社の取り組み(=ストーリー)を明確に説明すること。それに対して旅行者が納得すればお金を払いますし、(旅行者はお金を支払うことで)自分もサステナブルな取り組みに貢献していると実感できます。こうした取り組みが付加価値となるのです」と説明します。
サステナビリティの観点から、旅行者は移動手段にも関心を寄せています。また、新型コロナウイルス感染防止の観点からも、3密を避けながら自宅の近場を観光する「マイクロツーリズム」が注目されています。こうしたトレンドに対して鶴原氏は、「(小型電動カーなどの)パーソナルモビリティに対するニーズは高まっています。そしてパーソナルモビリティは観光地の課題を解決する手段の1つとして注目されています」と指摘します。
オートインサイト株式会社 代表技術ジャーナリスト・編集者
鶴原 吉郎 氏
観光地が抱える課題に、観光客が引き起こす自動車渋滞がありました。多くの観光客がマイカーで押し寄せることで、地元住民の生活道路が渋滞し、住民の生活に支障を来してしまうのです。鶴原氏は「道路が狭い観光地で、パーソナルモビリティや自動運転自動車を活用できれば、オーバーツーリズム解決の一助となります」と説明します。
例を挙げると、自家用車で観光地の近くまで移動し、そこから先は環境負荷の少ないパーソナルモビリティを使えば、観光地域の環境や自然景観といった「地域資源コンテンツ」を保護できます。そもそも自然環境が破壊されてしまえば、観光地は二度と自然環境を利用して観光客を誘致できません。鶴原氏だけでなく波潟氏と鶴本氏も「自然環境との共生は、サステナブルツーリズムの根幹です」と声をそろえます。
パネルディスカッションの最後に「将来のツーリズムのあり方」について問われた波潟氏は「旅行に行かない人と旅行者をつなぐモノ」であるとし、以下のように総括しました。
「今後はメタバースから得た体験も、『旅行』としてツーリズム市場に包含していくことになるでしょう。私は『旅とは未知なるものに接することで、自分の内面を見直し、人間力を高めるもの』だと捉えています。ですから旅を『消耗品』として終わらせるのではなく、旅には(仮想空間でも現実世界でも)想像力をかき立てるような存在であってほしいと考えています」(波潟氏)
出典:
1."Two key developments in Japan's travel market", Phocuswright, June 2021, https://www.phocuswright.com/Travel-Research/Research-Updates/2021/two-key-developments-in-Japans-travel-market(2021年2月8日アクセス))
本セミナーを通して強調されたのは、「ツーリズムを再定義する必要性」です。新型コロナウイルス感染症の拡大によって普及した「ワーケーション」というライフスタイルは、ツーリズムを日常化しました。また、メタバースに代表されるデジタル技術の台頭は、旅行に“行く”という概念を根底から覆す可能性を秘めており、オンラインとオフラインで重層化するツーリズム概念への対応が求められます。