Ⅰ サステナビリティ情報開示を「プレッシャー」ではなく「マネジメントマター」と認識しているか
馬野 2022年11月にCSRD(企業サステナビリティ報告指令)が欧州議会と欧州理事会によって承認され、欧州ではより広範なサステナビリティの取組みが求められています。しかし日本では、サステナビリティの取組みをコスト要因として捉えている企業があるように思います。そうした現状につきまして、北川先生のご見解をお聞かせください。
北川 CSRDやSFDR(サステナブルファイナンス開示規則)など、日本企業から見ると、欧州のサステナビリティ情報開示の動きは早く、次々と課題を押し付けられるというプレッシャーを感じる経営者も少なくありません。おおむね日本企業はサステナビリティ情報開示に関して様子見の時期が長かったこともあり、欧州は10年ほど先行しています。特に、欧州と関係が深いライフサイエンス業界では、国内の親会社のビジネスにも大きく影響してきますから新しい波が押し寄せてくるプレッシャーを強く感じてしまうのです。ライフサイエンス、あるいは飲料・食品業界は日本企業の中では比較的感度が鋭い会社が多いという印象がありますが、それでもまだ欧州とのギャップは大きいと言わざるを得ません。各企業においてはさまざまな努力をされていますが、単にサステナビリティ関連の部署を設置すればいいというものではなく、一番の遅れの要因は企業体制です。言い換えると、経営陣の意識、すなわち取締役会で議論すべきマネジメントマターと認識しているかどうかなのです。業界トップシェア企業の場合はかなり認識されてきています。なぜなら、そうした企業の経営陣は、欧州の現状と比較して自分たちがまだまだ遅れているという問題意識が強いからです。
経営陣が問題意識を持たない企業の場合、サステナビリティ部門で働く方々は非常に気の毒で、次々に押し寄せる課題に対して予算も人員も時間も不足している状況です。「内なる敵」という言葉がありますが、外部のステークホルダーと良好な関係を築くために、内なる問題を解決しないと進めない厳しい状況に置かれています。そこに情報開示に対する、企業間の意識の分断があります。欧州と密接なビジネスを展開するライフサイエンス業界の場合は3分の1程度、それ以外の業態ですと5分の1程度の企業が危機感をもって情報開示に取り組んでいると私は見ています。
そこにどのような意識の差があるかというと、サステナビリティ、あるいはダイバーシティなどの経営課題を所与のものとして受け取っているかどうかです。いまさらこれらの課題に意味があるかどうかを議論することなど、欧州や米国ではもはや考えられない話で、まずそれらは既定の「常識」なのだという経営者の意識革命が必要です。日本国内で話題になっている男女の賃金格差の問題など、欧米の企業は10数年前から取り組んでいます。議論だけではなく、具体的にどのように努力しているのかが見えなければ、その企業は世界中の投資家から見放されてしまいます。
私は、指導する大学院生に欧米企業のアニュアルレポートや統合報告書を調べてもらったことがあります。「ダイバーシティ」というワードでテキストマイニングを行ったところ、2カ所のみでした。一方、日本企業で行ったところ、40カ所以上出てきました。これはなぜでしょうか。欧米企業では「ダイバーシティ」は常識なのでほとんど書く必要がないのです。ところが日本の企業ではまだ対応が不十分なので達成目標を掲げ、一生懸命になって投資家を説得しようとするわけです。この意識のギャップは、経営者の認識の差から生じたものです。前述のとおり、ライフサイエンス業界の約3分の1の企業は、幸いグローバルにビジネスを展開していることから、今後、欧米とのギャップは早期に埋まっていく可能性を感じています。買収した欧州の企業から逆に「日本の親会社は何をやっているのだ」と課題を突き付けられるケースもあり、そうした声に耳を傾けられるかということが経営者に問われています。私は危機意識を持った企業が、今後サステナビリティ情報開示の分野で日本企業全体をけん引してほしいと思っていますし、それができると信じています。