情報センサー

日本人は社会を信頼できるのか?


情報センサー2021年6月号 Column


作家・演出家 鴻上尚史

1958年愛媛県生まれ。作家・演出家。早稲田大学法学部出身。舞台公演の他にも、映画監督、小説家、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、脚本家などとしても活動。最新著作は『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)。『何とかならない時代の幸福論』(朝日新聞社出版)、『ますますほがらか人生相談』(朝日新聞出版)『親の期待に応えなくいい』(小学館)など著書多数。5月15日から6月13日まで、六本木トリコロールシアターにて、作・演出の『アカシアの雨が降る時』を上演。詳細は、サードステージのウェブサイトをご参照ください。


Ⅰ イギリス生まれの少年が見た日本

昨年、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)を読み、実に感動しました。一方的に感動していたら、NHKの『SWITCH インタビュー 達人達』にブレイディさんが出られることになって、対談相手に僕を指名してくれました(AERAdot.に連載している『鴻上尚史のほがらか人生相談』を読んでくれていたのだそうです!)。その後、番組に追加対談を加えて『何とかならない時代の幸福論』(朝日新聞出版)として2021年1月に出版したのですが、今回はその内容を元に書きたいと思います。

ブレイディさんは日本で生まれ育って、今はイギリスに住んでいらっしゃる方。『ぼくはイエローで~』は、中学生の息子さんのことを綴った内容で、教育についてとても興味深いことが書いてありました。イギリスではトニー・ブレア首相時代(1997~2007)に大胆な教育改革が行われ、“人と違うことがあなたの個性なんだ”と託児所でも積極的に多様性を教えたそうです。そんな教育を受けてきた息子さんが体験したことや感じることは僕にはとても新鮮に響きました。

中でも彼が、日本で起きた台風被害のニュースを見て、“日本人は社会に対して信頼がない”と言ったというのは衝撃でした。正確には、台風被害で住人の方を体育館に避難させた際、役所の職員がホームレスを追い出した出来事についての発言です。彼はそのニュースをイギリスで見ていて、不思議に思ったのでしょう。「なぜ?」と……。日本人からすると、その理由は読み取れます。すでに避難している人が、怖いとか臭いとか排除する“空気”を作り、それを受けて職員も使命感を持って追い出したと察します。ただ、イギリスで育った少年から見ると「ホームレスを追い出して、その人が死んだら職員は殺人を犯したことになるよ」と単純に思うわけです。職員は殺人を犯すことをわかって追い出したのだろうか?と。日本の“世間”を知らずに育った息子さんは当然、そういう発想になるわけです。この考え方を広げていくと結局、待ち受けるのは分断です。日本人は“世間”の人に対しては手厚く保護するけど、“社会”の人は無視する。だから「日本人は社会に対して信頼がない」と言ったというのを聞いて、僕の残りの人生でやることはコレだと方向が定まった気がしました。つまり、日本人に社会を信頼することの大切さを伝えることだと思ったんです。

 

Ⅱ “シンパシー”と“エンパシー”の違い

“シンパシー”と“エンパシー”の違いについての会話も貴重でした。解説すると、『シンデレラ』で、主人公のシンデレラをかわいそうだと思うことは“シンパシー”で、継母はなぜシンデレラに厳しく当たるんだろう?と考えるのが“エンパシー”。継母に“シンパシー”は持つ人は少ないけど、“エンパシー”の能力を持つことによって継母や姉妹がなぜシンデレラに強く当たったかを想像することができる。継母はシンデレラの父親と結婚する前、どんな生活をしていたんだろう?経済的に困窮していたからこそ、なんとかして自分の娘を王族にいれようと舞踏会に行かせたのかも……と考えられる。この能力があれば、シンデレラ自身も「なんで王子は一回踊っただけの、しかも靴のサイズが合っただけの私と結婚したのかしら?王子ってヤバい人かも」と気づく。日本の学校では自分がされて嫌なことは他人にするなって教えられるけど、これは実は“シンパシー”の能力。だけど、“エンパシー”の能力があれば、自分は嫌だけど、相手にとっては嫌ではないかもと感じられるわけです。これからの時代、“エンパシー”の能力を鍛えることが必要だと感じます。

 

Ⅲ 「tattle」と「telling」の線引きを学ぶ

もうひとつ。ブレイディさんとの会話でいい教育だなと思ったことがあります。どこまでを“校則”にするかの線引きについてです。日本は男女交際禁止とか、リボンの幅は何センチとか謎の校則があるけど、外国人から見るとびっくりするそうです。僕はNHKBSの『COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン~』で外国人の出演者たちと番組をやっていますが、彼らがいちばん疑問に思うのは“校則”について。もちろんアメリカにもあることはあるんだけど、ナイフや銃を持ってきちゃいけないとか、下着姿のような刺激的すぎる格好で学校に来ないでくれというくらい。じゃあ、いったいどこが線引きなのか?

アメリカの小学校には、「tattle」(告げ口)と「telling」(言わなきゃいけない情報)について教える授業があるそうです。隣の席のクラスメイトが教科書に落書きをしているのを目撃したとき、その行為を先生に言いますか?言わないでおきますか?と語りかけるんです。ちなみにこの問いの答えは「tattle」(告げ口)。誰に対しても害がないことだからです。だけど、そのクラスメイトのカバンの中に銃やドラッグが入っていたら、「telling」(言わなきゃいけない情報)だと。それは教師に伝えるべき情報になるわけです。銃やナイフを使った犯罪を未然に防ぐ情報になるのは伝えるべきだと教えるわけですね。その線引きを小学校から習っていく。いろいろな例題を繰り返すことで、子どもたちは自分で考え結論を出すことを学ぶ。これこそが健康的に自立させるいい方法だと思いませんか?大切なのは、大人になったときにどんな考え方でその答えを導くかです。校則はそのためにあるべきものだと思います。

 

Ⅳ 揉めたときこそコミュニケーションを図る

社会に出たときに大切なこととして、コミュニケーション能力も重要です。日本人は誰とでも友だちになれる人のことをコミュニケーションが上手いと思っていますが、それは違います。相手と揉めたときになんとかできる能力のある人のことをコミュニケーションが上手い人だというんだと思います。

演劇の場合で説明すると、役者同士が初日に揉めても次の日には幕が開くわけです。対立したからって簡単に「もういいよ!」とは言えない。そうなったときに、「さあ、どうしましょう」って考えるところがコミュニケーションのスタート。演出家の僕としては、お互いが同じくらい妥協して、同じくらい満足する落としどころを探っていかなきゃいけないわけです。諦めたら終わりだから、諦めずにやっていく。自分で言うのもなんだけど、ちゃんとしている演出家は「話し合う」んですよ。軍隊みたいに従わせる演出家にはいい俳優さんは来てくれないです。

日本はこれから好むと好まざるにかかわらず、どんどん多様化していきます。僕らはいかに対応していくかを社会全体で考えていかなきゃいけない。多様化から目を背けずに、うまく付き合うことができれば今よりもっと幸せになる。幸せになるのはいいことでしょう?みんなで幸せになりたいものです。(談)


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2021年6月号
 

※ 情報センサーはEY新日本有限責任監査法人が毎月発行している社外報です。