EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
EY弁護士法人 弁護士 伊藤 多嘉彦
裁判官として4年、弁護士として約15年の経験を有する。独禁法、コーポレートM&Aを専門とするほか、近年は、IT・ライフサイエンス領域のスタートアップ支援にも力を入れている。EY弁護士法人への加入前は、英米の外資系法律事務所、日本の大手法律事務所に所属していた。
「破壊的イノベーション」とは、新しい市場及びバリューネットワークを創り出し、最終的に既存のマーケット及びバリューネットワークを破壊するイノベーションと定義され、顧客の要望を取り入れ既存製品・サービスの改善・改良を積み重ねていく「持続的イノベーション」と対比されます。インターネットやデジタル技術の発展により、「破壊的イノベーション」によってマーケットの構造が短期間に根本的に変化する場合が増えてきており、本稿では、このような破壊的イノベーションに対する独禁法の考え方を概観することにしたいと思います。
独禁法の目的には、「公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んに」することにより「一般消費者の利益を確保する」ことが含まれています(独禁法第1条)。各国の独禁法や当局の実務においても、イノベーションは、一般的に、性能・機能の改良やコストダウンを可能にし、競争を促進することで消費者の福祉に資するもの、つまり競争にとって良いものであると肯定的に捉えられています。このことは、「持続的イノベーション」のみならず「破壊的イノベーション」にも等しく適用されるべき原則といえます。
既存業者にとっては「破壊的イノベーション」は自らの現在の地位を脅かす存在です。そのため、既存業者は「破壊的イノベーション」への対抗策を取ることが考えられます。
例えば、既存業者が「破壊的イノベーション」を駆使する新規参入業者を排除するために、①原価を下回る著しく低い価格で製品やサービスを提供する②サプライヤーや顧客に対して新規参入業者との取引を制限する③新規参入業者と競合する製品・サービスを既存業者の主力製品・サービスと抱き合わせで販売する、というような対抗策を講じた場合、当該マーケットの環境や既存業者の地位いかんによっては、日本でも「不公正な取引方法」や「私的独占」に該当する可能性があり、海外でも独禁法違反となることがあり得ます。
別の対抗策として、既存業者が「破壊的イノベーション」を実践する新規参入業者を買収することも考えられます。「破壊的イノベーション」を自社のものとして継続・促進することもありますが、買収後に「破壊的イノベーション」の研究開発を停止したり、買収により競合他社が「破壊的イノベーション」へのアクセスを阻止したりすることで自社の地位を守るということもあり得ます。買収による競争上の懸念に対しては、各国が企業結合審査制度を設けていますが、まだ売上規模が小さい(あるいは当該国で売上のない)場合には、そもそも届出基準に該当しないこともあります。また、「破壊的イノベーション」によりもたらされる新しい製品・サービスに関するマーケットの画定や、買収後の市場支配力についての判断が難しい場合も多く、いかにして適切な捕捉・審査を行うかが当局の課題となります。
独禁法の観点からは、優れた製品やより効率的なコスト構造等、公正な競争の結果生まれたマーケットにおける自然な参入障壁が問題にされることはありません。ただし、不当な方法で参入障壁を構築し利用する行為は、日本でも海外でも独禁法違反に問われる可能性があります。そして、自然に存在する参入障壁が「破壊的イノベーション」により克服されることこそが、健全かつダイナミックな競争であると考えられています。
それでは、政府規制はどうでしょうか。政府規制は消費者の生命・身体・財産の安全を守るために設けられることが多いのですが、新規参入業者から見ると、規制や許認可・登録の要件が参入障壁となり、イノベーションに熱心でない既存業者を保護し、新たに生まれかけている競争を阻害している場合があります。逆に、既存業者から見ると、新規参入業者は「破壊的イノベーション」を標榜(ひょうぼう)しているものの、実際には規制の対象外であるという立場を利用して規制を遵守している自分たちより優位に立っており、それ自体が公平な競争環境とはいえない場合もあります。
もとより、政府規制には一定の政策目的があり、また、合理的な規制があってこそ、公正かつ健全な競争が行われるという面もあるのですが、「破壊的イノベーション」による変化の極めて早い時代においては、これまで以上に政府規制の合理性や必要性について実証的な根拠が求められます。独禁法とは少し異なりますが、日本を含む諸国の政府が導入している「規制のサンドボックス」制度※も、このような文脈で捉えると、「破壊的イノベーション」がもたらす競争と規制のバランスを取るために実証実験を行う制度と考えることができます。
ここまでは「破壊的イノベーション」が競争を促進するという観点から述べて来ましたが、新規参入業者が「破壊的イノベーション」を駆使して、あっという間にマーケットを席巻して市場支配力を持つということも十分にあり得ます。
市場支配力を持つこと自体は独禁法に違反する訳ではないのですが、市場支配力を利用して排除行為をした場合には独禁法違反となります。
ただ、デジタル経済における市場支配力とは何か、どのような状況になると市場支配力により競争を排除できるのかという点は、まだまだ先例が十分ではなく、未解明な点も多く残されています。独禁法の執行に当たっては、「破壊的イノベーション」による競争阻害は規制しつつ、将来の「破壊的イノベーション」の芽は摘まないようバランスの取れた対応が求められることになります。
筆者が数年前に独禁法関連の国際会議に参加したとき、米国連邦取引委員会(FTC)の議長がライドシェアに言及し、新しい形の競争が生まれて来ているので、その競争が今後も確保されるよう注視していくという趣旨の発言をしました。日本においては、政府規制がある以上、規制遵守ということをまず念頭に置くことが多いと思われますが、既存の政府規制が必ずしも時代に即さなくなっている可能性があり、それにチャレンジする会社が現れた場合には、競争当局としては、むしろそれを歓迎するポジションを取るというこのスピーチに米国の活力の源泉を感じました。日本において公正取引委員会が同様の発言をすることは考えにくいですが、本文中に述べた規制のサンドボックス制度も含め、日本においてもイノベーションを促進するための規制の見直しという動きがゆっくりと、でも確実に出てきていることを感じます。今後、日本においても独禁法が「破壊的イノベーション」を促進するためのツールとして活用されていく日が来るでしょうか。
【参考文献】
"The Impact of Disruptive Innovations on Competition" Executive Summary and Summary of Discussion( OECD), 5 October 2016
Remarks of Assistant Attorney General Makan Delrahim at the Federal Telecommunicaitons Institute's Conference in Mexico City, 7 November 2018
※ 新たな技術やビジネスモデルが出現した場合において、一定の手続の下、対象となる規制が適用されない実験環境の下で社会実験的な実証を行うことを公的機関が認める制度をいう。システム開発において、本番環境と異なる実験環境をサンドボックス(元々は幼児が遊ぶ砂場の意)ということから、「規制のサンドボックス」制度と呼ばれている。