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獨協大学 法学部教授 高橋 均
一橋大学博士(経営法)。新日本製鐵(株)(現、日本製鉄(株))監査役事務局部長、(社)日本監査役協会常務理事、獨協大学法科大学院教授を経て、現職。専門は、商法・会社法、金商法、企業法務。会社法等の専門家としての法理論と企業勤務経験に基づく実務面の双方に精通している。近著として『実務の視点から考える会社法(第2版)』中央経済社(2020年)、『監査役監査の実務と対応(第7版)』同文舘出版(2021年)、『監査役・監査(等)委員監査の論点解説』同文舘出版(2022年)。
ESG(Environment Social Governance)経営は、地球温暖化対策のための二酸化炭素削減やリサイクルの促進等、地球規模の課題である「環境」、人権の尊重・人材の多様性・女性活躍社会・労働問題等を扱う「社会」、贈収賄やマネーロンダリングなどの個別課題からリスク管理体制への対応に至るまでの「企業統治」について、自律的に企業経営を行う必要性を表しています。
株主は株式会社(以下、会社)に出資していますから、会社の所有者であるという株主主権という考え方があります。一方、会社には、株主のみならず、取引先、消費者、債権者、従業員、地域住民等多くの利害関係者(ステークホルダー)を大切にすべきであるという考え方も近時において主張されることが多くなっています。ESGへの対応は、世の中の潮流に沿った考え方であり、取締役は、その重要性を理解し、経営に活かしていくことが求められており、監査役はこのような取締役の取組みについてその適正性を監査する必要があります。
もっとも、ESGが扱う領域は広範であり、かつ、わが国においてはESGを直接規定するハードローが存在しないことから、監査役として、このようなESG経営について、日々の監査活動においてどのような対応を行ったら良いか戸惑うことがあるかもしれません。
そこで、本稿では、ESGへの対応と取締役の法的責任(損害賠償責任)の関係を確認した上で、監査役の対応について解説します。
会社がESGを無視した経営を行うということは、その結果、会社としての道義的責任のみならず、法的責任を負う可能性があるかどうかが論点となります。わが国においては、ESGを直接的に規定したハードローが存在していない現状においては※1、ESGに関して、取締役が直ちに個別の法令違反としての責任を負うことはないと考えられます。勿論、ESG関連を十分に考慮しない企業活動を行うことによって、結果的に外国の法令を含めた労働法や環境法等の法令に抵触すれば、個別の法令違反に問われることになります※2。
会社に対する責任は、会社と委任関係にある取締役が、その職務につき任務を怠ったことにより、会社に損害を及ぼした場合に、取締役は会社に対して損害賠償の支払義務が生じます(会社法423条1項)。もっとも、取締役にとって、ESGの遵守義務が拘束力のあるハードローによって法定化されているわけではないため、ESG違反により、取締役が会社に対して損害賠償の支払義務が直接的に生じることはありません。
しかし、ESGへの取組みは、会社の持続的発展(サステナビリティ)にとって重要であり、リスクの観点のみならず収益面でも大きな影響を及ぼす可能性があることから、ESGへの対応は「会社の競争力維持・向上」とも大きな関係があります。言い換えれば、会社にとって、ESGへの対応は、取締役としての善管注意義務を構成し得ると考えられます。この点が、ESGと取締役の義務・責任を考える上での重要なポイントとなります※3。
ESGへの対応が適切でなければ、投資家や株主、さらには一般消費者から、企業として社会的責任を果たしていないとの評価が定着して、株価下落による時価総額の減少を招くリスクも否定できません。また、児童等の若年者の強制労働による人権侵害は、不買運動などを招き、その結果として自社商品の販売不振による収益の悪化により企業価値が大きく毀(き)損することになり、会社の損害につながることも考えられます※4。これらの会社の損害に対して、取締役は会社に対する善管注意義務違反として、損害賠償の支払義務が生じる得る可能性があります。
ESGに関連して会社に損害が生じた場合には、予め策定した会社の基本方針と明確に異なる行為を行った取締役のみならず、その取締役の行為を監視・監督できなかった他の取締役にも法的責任が生じ得ます。
一方、ESG関連の損害は個別の法令違反に該当しないことから、経営判断原則の適用が考えられます。経営判断原則の適用要件である①判断の前提となる事前調査(フィージビリティスタディ)に重要かつ不注意な誤りがなく②判断の過程や内容に著しく不合理な点が存在しない場合においては、仮にESG関連で会社が損害を被ったとしても、取締役は善管注意義務違反には問われないことになります。もっとも、ESGに関しては先行している欧州におけるコーポレート・サステナビリティ・デュー・ディリジェンスに関する指令案に見られるように※5、欧州ではESG関連のハードローを制定する方向性を明確にしていますので、海外展開をしている会社にとっては、欧州諸国で制定されるハードローを遵守しなければ、個別の法令違反を犯したことになることには注意が必要となります。
会社経営にとって、留意すべきと思われる点は、通常であれば経営判断原則に該当し得る事象であっても、判断の前提となる事実の認識に関して、ESG経営の観点からは、他の事象と比較して調査の範囲が広範化し、また判断の内容についても、いっそう、社会全体の視点からの判断が求められていることにその難しさがあります。ESG経営においては、経営判断の要件の質的な高度化と相まって、取締役としては、より慎重な対応が迫られています。すなわち、ESG経営を行うにあたって、経営判断原則が適用になり取締役の経営の裁量が広範囲に認められるからといって、取締役の善管注意義務違反が免責されるという安易な意識は持たない方が良いと思われます。
ESG経営に関して、監査役として留意すべき点について、人権問題・環境問題・開示の個別テーマと社内における対応体制を考えてみます。
児童や若年層に労働を強要すること、人権侵害の実態がある企業との取引、長時間労働の強制などが問題となります。特に、2011年に国連人権理事会において「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合『保護、尊重及び救済』枠組実施のために」の決議が採択されたことを契機に、欧米の企業を中心に人権問題への取組みが加速しました。
従前は、人権の保護およびその推進は基本的に国家の責務との考えが強かったのに対して、近時は国家の問題にとどまらず、各会社がビジネスを展開する上で人権問題を重視しないと、不買運動に直結し、かつSNSにより、瞬く間に、世界規模で問題が拡散することになります。また、自社のみならず、グループ会社や提携先企業、さらには委託先企業で人権問題が発生すれば、サプライチェーンに影響が生じ、供給体制にも支障を来すことになります※6。不買運動やサプライチェーンの支障による原材料や部品供給の遅延や供給ストップは、操業停止などにつながり、会社収益に多大な影響を及ぼします。また、人権問題は、会社の社会的信用を大きく毀(き)損し、通常は短期間で問題が収束することは困難です。
したがって、監査役としては、会社として人権問題に対してどのようなメッセージを発しているのか確認または助言することが考えられます。例えば、人権を尊重する旨の「人権宣言」の公表は、企業として人権尊重の責任を果たすことを対外的に約束するものであり、企業としての明確なメッセージとなります。また、企業が多角化等を目的として、M&Aを行う場合において、人権問題に関して、被買収企業において人権侵害の実態がないか、買収する企業が十分に事前調査(デュー・ディリジェンス)を行った上で実施しないと、買収する側の企業の取締役の責任となり得ます。
また、当初は、人権尊重を遵守していたとしても、企業収益が悪化するなどの理由により安価な賃金の若年労働者に強制労働をさせたり、人身売買をしたりするなどの実態がある企業と取引を行うリスクも存在します。したがって、監査役としては、取締役以下執行部門が、人権宣言を策定して終わりとするのではなく、遵守状況の定期的なモニタリングを行っているか、人権侵害の予兆があるとの情報を入手した際には、事実関係の有無の調査を迅速に実施するとともに、仮に人権侵害の事実が確認できた場合には、直ちに是正措置と関係者の処分や公表、再発防止策の構築を行うようにしているかを監視することになります※7。
地球の温暖化が世界規模で問題となっている昨今の状況において、温室効果ガスである二酸化炭素排出等の環境規制を無視した企業活動を行うことやそのような企業に投資することは、企業の社会的責任の観点から問題視されます。さらには、再生可能エネルギーや物品のリサイクルなど自社で定めた環境関連目標に対して実績面で乖(かい)離が大きく、実行力の面で問題がある場合には、そもそも環境問題に対する企業の基本姿勢が問われる事態にもなり得ます。もっとも、人権侵害の実態が明らかになれば、直ちに不買運動やサプライチェーン問題等による会社や第三者への損害が明確となり、取締役の善管注意義務違反の有無が論点となるのに対して、環境問題に対する対応は、中長期にわたるものであり、取締役の法的責任の有無が問題となるのは、しかるべき期間を経過した後となる場合が多いと考えられます。したがって、取締役からすると、環境問題はESG経営の観点から重要であると認識していたとしても、日々の経営に注力せざるを得ない状況下で、現実的には、取締役の法的責任に対する観念が希薄化する可能性があります。加えて、取締役には、任期があり定期的な交代が考えられる中で、中長期的に一貫した環境政策を継続するには、環境問題に対する会社としての明確かつ揺るぎない基本方針が策定され、その理念が引き継がれていることが必要となります。
監査役としては、環境問題は、中長期的に取り組まなければならない課題であると十分に認識した上で、中期経営計画に省エネルギーなどの数値目標が設定され、かつ単年度でその実行状況について、取締役会等の重要会議の場において取締役からの報告のみならず、期中の業務監査においても、各事業部門が全社の方針を理解し実行しているかについて、監査することになります。
ESG経営に対する適切な開示※8も監査役にとっては、注視すべき項目となります。自社で定めた人権宣言や具体的な行動指針とは異なる経営行動が行われていたり、環境関連であれば、ESG投資の前提となるリサイクル率や二酸化炭素削減率等の重要指標そのものに虚偽記載があったりする場合は、開示の問題となります。
もっとも、現状の実務においては、ESG関連の報告は、企業にとって年次報告書や統合報告書における自主的な開示となっています。しかし、自主的な開示であっても、結果的に虚偽記載であったとすれば、株主や投資家等のステークホルダーからの信頼を毀損することとなり、特にESGへの取組みを評価していた株主や取引先にとっては、虚偽記載が明らかになったことよる株価下落や消費者からの圧力により取引を停止せざるを得ないことによる損害も発生し得ることになります。開示に対しては、ESGに限定した問題ではありませんが、単に会社の利害関係者にとどまらず、社会全体から会社の姿勢が問われることになる点に注意が必要です。
いずれにしても、監査役としては、取締役が常にESG経営の基本方針とその実行状況を検証し、必要に応じて改善するとともに、取組み状況を適時適切に開示する姿勢を堅持しているかについて、監査を通じて確認することが大切となります。
ESG経営に対する基本方針やその実行状況のモニタリングを行う独立した専門部署が組織化されていることが理想です。もっとも、多くの会社では、ESGの重要性は認識しつつも、コーポレート部門の担当者と兼務させたり、総務部等の部署にESG検討グループを置いたりすることからスタートしているものと思われます。しかし、ESG経営への取組みは、二酸化炭素削減等の個々の施策から、会社全体としての取り組み状況の開示および株主や投資家への説明に至るまで、多面的かつ広範囲の業務を行わなければなりません。全ての事項を1つのグループが行う必要はないものの、ESG全体をとりまとめる統括的な部門がなければ、ESGへの取組みについてどうしても総花的な寄せ集めの印象は免れません。
このためには、やはり、ESGを専門に担当する独立した部門を設置することが考えられます。例えば「サステナビリティ推進部」等のような部単位の大きな組織からチーム・グループ単位の小規模な組織がありますが、各社の事業規模や社員数に応じて最適な組織となっているか、監査役としても必要に応じて意見を述べるべきです。その際、当初はチームレベルで活動を開始した後、ESGへの取り組み状況が拡大するに従って、チームレベルから課や室レベル、さらには部組織とすることを提案することが考えられます。
また、ハード組織を立ち上げたとしても、その構成員が他の部署からの兼務者ばかりであっては、活動の実効性は疑問となります。兼務者は、どうしてもその時々の目先の業務を優先することにならざるを得ないことから、ESG経営という中長期的な課題への取組みは後回しになる懸念があります。社内事情により兼務発令をせざるを得ない場合には、少なくとも、職務規程でESG関連とそれ以外の業務とを明確に区別しておくこと、ESG経営について、各事業年度で具体的な計画を策定し、その実行状況を定期的に取締役会や経営会議等で説明・報告する実務を定着させることが必要です。また、ESGを推進する組織長には、専任者を配置することも考慮すべきです。
監査役としても、執行部門の推進体制を監視しつつ、必要に応じて意見具申をすることになります。
ESG経営には、専門的な幅広い知見が必要とされることから、担当者もそれなりの研鑽(さん)を積んで専門性を修得する必要があります。もっとも、全てを社内で完結させる必要性はなく、社外役員(社外取締役・社外監査役)の加わった任意の諮問委員会を設置することが考えられます。その際に「ESG 委員会」とするか「環境委員会」「人権委員会」「ガバナンス委員会」等の名称の個別の委員会を設置するかについては、社外取締役の員数に加え、兼任発令された委員会の事務局にどれだけ社内の従業員を従事させることができるかによります。
これらの任意の諮問委員会は、通常、代表取締役又は取締役会から諮問され、委員会内で審議した結果を代表取締役らに答申するスタイルをとります。委員会は、決定・決議機関ではなく、諮問された内容を検討・意見交換を行った上で、諮問元に提出することが役割です。その際、委員会の構成メンバーには、社外役員さらにはESGを専門にしている有識者がメンバーに加わることも検討に値します。
監査役は、諮問委員会のメンバーに加わったり、仮に参加したりしないのであれば、諮問員会の審議の内容について報告を受けることなどの要請を執行部門に申し入れると良いと考えます。
近時、ESGについて関心が高まりつつありますが、2021年6月11日におけるコーポレートガバナンス・コードの再改訂で、社会・環境問題をはじめとするサステナビリティを巡る課題に積極的・能動的に取り組むべきと示されたこと(補充原則2-3①)を1つの契機として、企業にとって現実的テーマとなりました。
近時、株主総会において、ESGに関する定款変更議案等の株主提案も行われていることから、企業として具体的な対応に向けて実行に踏み出すことが重要です。特に「ビジネスと人権」「ビジネスと地球環境」「ESGと開示」の項目への対応を怠ることは、取締役に善管注意義務違反を問われるリスクの可能性が高まるものと考えられます。
ESGへの対応は、企業にとって社会的責任を果たすための重要な課題となっています。この重要課題に取締役は自らの管掌領域を超えて会社全体の問題であるとの認識をもった上で、会社の全ての利害関係者の負託に応える必要があります。したがって、監査役としても、取締役以下執行部門の取り組み状況をリスク管理の一環として捉えて、各事業部門における業務監査のヒアリングなどで、積極的に確認する姿勢が求められていると認識すべきです。
※1 人権・環境のように、内容が多岐にわたるテーマでは、包括的にハードローで規制することは難しい(神田秀樹=久保田安彦「対談・サステナビリティを深く理解する」(旬刊 商事法務2302号、2022年)12ページ)ことが現実であると考えられる。
※2 例えば、奴隷労働や人身取引に関する規制強化を目的とした英国の現代奴隷法(Modern Slavery Act )に違反すれば、個別の法令違反として法的責任を伴う。
※3 「企業の社会的責任」や「企業の社会的貢献」に関する取締役・執行役の裁量の幅が大きい(江頭憲治郎『株式会社法(第8版)』(有斐閣、2021年)23ページ)ことから、取締役らは、株主利益の最大化を短期的に見るのではなく、中長期的視点から判断する必要がある。
※4 人権侵害により、ナイキ社の商品に対して、世界中で不買運動が発生したために、ナイキ社は、1998年から2002年までに121億8,000万ドルの売上減少となったとのことである(大塚章男「ESGとコーポレートガバナンス」(月刊監査役727号、2021年)12ページ)。
※5 欧州委員会のコーポレート・サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令案(2022年2月23日公表)は、サステナビリティの観点から、人権のみならず環境問題についても、デュー・ディリジェンスを求めている。実際、ドイツでは、サプライチェーン・デュー・ディリジェンス法が2023年1月1日から施行されることになっている。欧州指令案は、Proposal for a Directive on corporate sustainability due diligence and annex (Brussels, 23.2.2022)。
※6 サプライチェーンにおける強制労働への対応について、欧州委員会等が定めたガイダンス(Guidance on Due Diligence For EU Businesses to Address the Risk of Forced Labor in Their Operations and Supply Chains) も参考になる。
※7 経済産業省が主導して「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を公表した(令和4年9月13日)。本ガイドラインでは、サプライチェーンを含めた人権デュー・ディリジェンスの実施や海外法制の紹介等を内容としていることから、企業実務における影響も大きいと考えられる。
責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン(PDF)参照。
※8 情報開示の基準作りのために、国際会計基準(IFRS)財団が、2021年11月に国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)を設立していることも注目すべき点である。詳細は、IFRS - International Sustainability Standards Board参照。