劇を知ると人生が楽しくなる

劇を知ると人生が楽しくなる


情報センサー2021年10月号 Column


作家・演出家 鴻上尚史
1958年愛媛県生まれ。作家・演出家。1981年に劇団「第三舞台」を結成し、以降、作・演出を多数手がける。これまで紀伊國屋演劇賞、岸田國士戯曲賞、読売文学賞など受賞。舞台公演の他には、エッセイスト、小説家、テレビ番組司会、ラジオ・パーソナリティ、映画監督など幅広く活動。また、俳優育成のためのワークショップや講義も精力的に行うほか、表現、演技、演出などに関する書籍を多数発表している。桐朋学園芸術短期大学特別招聘教授。昭和音楽大学客員教授。近著に『何とかならない時代の幸福論』(朝日新聞出版)、『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)、『演劇入門 生きることは演じること』(集英社新書)」など多数。

Ⅰ 演劇への理解の総量が少ない

コロナ禍で上演作品の中止が相次ぎ、存外に時間ができました。そんなに時間ができたのは劇団を旗揚げした20代前半以来初めてのこと。そこで何をしようかと考えたとき、幸いにも僕は演出家でもあるけど、作家でもあるので、ずっと考えていたことを『演劇入門 生きることは演じること』(集英社新書)としてまとめました。

なぜこの時期に書いたかには理由があって、当時、飲食店や劇場が休業を余儀なくされる中、いろいろな方たちが自粛要請と休業補償はセットでやるべきだと声をあげていました。ですが、演劇界に関しては「お前ら、好きなことをやってるのだから何言ってるんだよ」とバッシングされたんです。スポーツや音楽、演劇はコロナ禍においては不要不急かもしれないけど、それぞれの人には、かけがえのないものだと僕は思っています。例えばサッカーが好きな友人が「無観客試合で観に行けないんだよ」と嘆いたらサッカーに興味のない人でも「大変だねえ」と言ってくれると思います。それはスポーツに対して理解の総量があるからだと思うんです。ですが、演劇ができないと言うと、バッシングされる。それは、演劇に対する理解の総量が少ないからじゃないかと僕は思ったのです。だったら、もっと演劇のことを知って貰いたい。理解して欲しいと思い『演劇入門 生きることは演じること』を書きました。
 

Ⅱ 演劇とは何か?

演劇とは何か?演出家のピーター・ブルックは『なにもない空間』(晶文選書)でこう書いています。

「どこでもいい、なにもない空間-おれを指して、わたしはハダカの舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる-演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」

行為をする人と見る人がひとりいれば“演劇”は成立すると言っているのです。詳しい説明は省きますが、この考え方を広げていくと、自分という存在は、日常からいろんな役割になって演じていると分かります。父だったり母だったりビジネスパーソンだったりご近所さんだったり友達だったり夫婦だったり。つまり私達は、いろいろ演じるものだという前提で考えたほうがいい。なので、演劇的な知恵を持つことで人生をラクに生きられるんじゃないかと思うのです。

要は、演じることは悪いことじゃなくて、僕たちが生きる為に普通にしていることが人生の役に立つという考えです。例えば、重要な会議やプレゼンのときに緊張してあたふたしちゃうことがあると思います。だけど、それをあえて“シーン1 プレゼン”とか“新入社員Aの挨拶”というようなシチュエーションを作って演じると思えば、かなり落ち着くんじゃないでしょうか。俯瞰(ふかん)で見ることができるから、緊張したとしても冷静に対応できるようになると思います。試しに明日の会議でやってみてください。

Ⅲ 演劇ならではの特性を知る

演劇の特性を知ることで見えてくるものもあります。小説、新聞、映画、テレビ……メディアによってその特性はそれぞれ違います。僕は演劇の演出家ですが、映像の監督もします。両方やってみるとその違いがよく分かるのですが、演劇と映像では作り方が違います。映像はその日のスケジュールを逃してしまうと撮り直しができません(例外を除いて)。30日間撮影日があったら毎日の積み重ねで1本の作品を作る。ですが、演劇の場合は30日間稽古があったら30日間何回も何回も繰り返しながら最後に1本の作品を作る。そこが大きく違います。僕は演劇の発想をしてしまうので、映像の現場では未だに戸惑うことがあります。OKを出した後に、撮り直したくてもスケジュール的に厳しいので「ごめん、ごめん。さっきのもう一回やってくれない?」って場合です。小説、マンガ、演劇、映像……それらの特性を知った上で、それぞれに楽しむというのがいいと思います。

話は変わりますが、スマホが登場する以前、演劇はとても早いメディアといわれていました。なにしろ演劇は、水準さえ問わなければ一週間後に場所を借りて上演することができるわけです。映画や本にするよりも早く多くの人に伝えられるメディアだったわけです。ところがスマホとインターネットが登場し、「より早く、より正確に、より多く」という方向に時代を変えてしまった。それに関しては否定しません。便利なものは便利ですから。ですから演劇は速度を競うメディアではなくなったのです。では、演劇はこれからどこを目指すのか?「より親密に、より着実に、より創造的に」だと思います。速度を求める人がいる一方で、じっくり考えたい人もいる。それが、演劇的価値でしょう。古来より3千年も続いて滅びない意味は、この速度の時代に「あなたは何を失いましたか?」と問いかけるのが演劇だと思います。

Ⅳ 演劇の知恵を知り人生に活かす

最初に、日本では演劇に対する理解の総量が低いと書きましたが、首相会見などを見ていてもそう思います。あらかじめ決められた記者が、決められた質問をして、総理は用意された文章を読む。演劇では「段取り芝居」(気持ちが入っていなくて決められた手順をこなす芝居のこと)といいますが、見るたびに悲しい気持ちになります。首相を支える側に芝居好きな人がいれば、「総理、もっと気持ちを込めてセリフを言ったほうがいいですよ」と演出できるだろうに……。その差を顕著に感じたのはロンドン五輪の開会式です。エリザベス女王をジェームズ・ボンドがエスコートするオープニング映像はカッコ良かったです。あれはまさに映画への理解の総量がデカいからこそできたことでしょう。あそこでしょぼいことをやったら英国民はみんな怒ったはず。わが国の記者会見を見るたび、演劇に対する理解がもっと深まればなあと思うのです。

いろいろ語りましたが、みなさんが観劇をするときはどう観て貰ってもいいと思います。それこそ俳優さんを見るのもいいし、衣装のきらびやかさに感激してもいい。演劇を観るということはみなさんが同じ空間にいるということ。同じ空間で何に感動するかは人それぞれだし、違って当然。俳優さんがターンした瞬間の美しさ、暗転から照明が点いたときに鳥肌が立つ衝撃。それらは同じ空間にいればこそ味わえること。それを劇場で感じて欲しいです。

『演劇入門』はサブタイトルに<生きることは演じること>と付けました。もちろん演劇に興味がある人に読んで貰いたいのですが、他にも演劇的な知恵を教育やビジネスに活かしたいとか子育てに使いたいとか、そもそも自分は普段から演じながら生きているぞという人にも読んで貰いたい。演劇をもっと有効に使って欲しいのです。その為の知恵をいっぱい書きましたので興味があれば『演劇入門 生きることは演じること』を手に取ってみてください。(談)


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    情報センサー
    2021年10月号
     

    ※ 情報センサーはEY新日本有限責任監査法人が毎月発行している社外報です。

     

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