EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
ダイバーシティ&インクルーシブネス(Diversity & Inclusiveness:D&I)は、人事マターではなく経営の重要課題であり、ビジネスを推進する上で必須の要件であるということに疑いの目を向ける経営者はもはや皆無ではないでしょうか。
日本においてはここ数年の間に、D&Iの重要性はますます高まっているといえます。背景として、デジタルトランスフォーメーション(DX)によるビジネスモデルの転換とそれによりもたらされる職場・働き方・求められる人材の変化、人員構成の変容(シニア層・若年層の二極化等)やCOVID-19パンデミックに起因する人の価値観の多様化、グローバル化による地域・国を超えた協働の増加等、企業を取り巻く環境の大きな変化が挙げられます。このような環境下では、企業は従来のやり方や行動様式・思考では対応できないことは自明であり、持続的成長を遂げるには、多様性を受容し活かすことにより新たな価値創造を生み出す組織に変革していく必要があります。
加えて、昨今、企業は財務パフォーマンスだけではなく人材価値を含めた非財務的価値の創出およびその情報の開示を求められるようになってきており、サステナブルな社会づくりに向けて、企業が期待される役割により一層注目が集まっています。人材価値を高めるという文脈においてはD&Iは必須の要素であり、その推進度合いの可視化と評価・検証および高度化に向けての活動は、機関投資家をはじめとする企業経営を取り巻く各ステークホルダーからの注目度も高い喫緊の課題です。本年6月に施行された改訂版「コーポレートガバナンス・コード」でも、これらの情報開示について具体的に言及されています。
わが国においてD&Iの重要性は、社会情勢やビジネスの変化、社会的要請などが折り重なりながら高まっているといえます。
ここで、いったんダイバーシティとインクルーシブネスの定義をあらためて整理します。
まず、ダイバーシティとは多様な人々が混じり合っている状態を指します。ここでいう「多様な」とは性別や障害の有無という外見的な違いだけでなく、さまざまな個性(思考、能力・経験、リーダーシップスタイル等)も含みます。
次に、インクルーシブネスとは組織としてより優れたパフォーマンスを達成するため、メンバーそれぞれの「違い」を活かすためのアクションと、その結果としてメンバー一人一人が尊重されていると感じ、その能力を余すことなく発揮している状態を指します。
D&I推進を経営成果に結びつけている企業について、経済産業省は「ダイバーシティ経営企業」と評しています。また、ダイバーシティ経営には5ステージあるとし、多様な人材の活躍を基盤にした経営により、成果/イノベーションが生まれている状態を第5(最終)ステージと定義しています(<図1>参照)。「インクルーシブネスがあってこそ、ダイバーシティが経営にとってメリットとなる」ということが、この定義から読み取れます。
次章からは、企業が経営課題としてD&Iに取り組む場合の目的について解説します。
前章で述べたとおり、昨今投資家をはじめとする各ステークホルダーは企業の「長期的価値(Long-term Value)」に注目し、従来の「結果」としての財務情報で表現される財務的価値だけでなく、将来の財務価値創出の要素となる、人材価値を含めた非財務的価値にも着目し、投資判断を行っています。従って、企業にとっては非財務的価値を可視化し、その創出活動も含め積極的に開示していくことが不可欠となっています。そして、D&Iというのは人材価値を高める非常に重要な要素であると位置付けられており、その推進活動の開示と成果の可視化が今、求められています。
非財務的価値や、ESG・SDGsなどの概念が企業経営における優先事項へ急速に変化していることは、グローバル資本市場におけるESG投資が拡大の一途をたどっていることからもうかがえます。また、日本においても公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が責任投資原則(PRI)に署名を行い、ESG指数を採用しています※1。ちなみにD&Iは、女性活躍推進や障害者雇用といった多様な人材を積極的に生かすという文脈より、主にESGのS(社会)に位置付けられています。
2021年5月に改訂された「コーポレートガバナンス・コード」では、サステナビリティ(ESG要素を含む中長期的な持続可能性)についての取り組みや人的資本投資等について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきであるとしています。
また、原則2-4では「女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保」が明記されています(<表1>参照)。
また、補充原則2-4①では、企業の中核人材における多様性の確保について、下記内容の記述があります。
ここでのポイントは、女性・外国人・中途採用者の管理職比率を引き上げる活動(人材育成や社内環境整備)方針と進捗ちょく状況を開示していくべきと明記されている点です。管理職比率については、16年施行の女性活躍推進法に則って目標値を公表している企業も少なくないと思いますが、それらを引き上げる活動についての開示となると、施策それぞれにどのような効果を期待し、どういう状態になれば順調か、あるいは改善を要するのかを測るKPIが必要になってきます。なお、施策を検討する際には、多様性の確保に資するものになっているかという観点だけでなく、インクルーシブネスの実現、つまりその確保された多様性が組織力の向上およびビジネス成果に繋がっているかという観点が重要です。例えば、大手商社A社では、グローバル・グループで多様な「プロ人材」の適材適所および事業経営人材育成・活用を推進するという人材戦略を掲げ、「海外間異動実績」や「日本への育成目的の派遣実績」を中間指標としてウォッチしています。
これまでのように管理職比率という結果指標だけでなく、その中間成果を測る指標を明確にしていく必要性が高まっており、指標設定や活動を検討する際の構造的なフレームワークが今後求められると考えます。
ここまで主に、ステークホルダーの中でも投資家の視点で述べてきましたが、D&Iを積極的に推進する企業であるという「ブランディング」に対する社会(顧客、取引先、従業員、学生を含む採用ターゲット層等)からの注目が近年ますます高まってきていることにも着目する必要があります。
例えば、外資系ITデバイス製造B社では、サプライチェーンにおけるダイバーシティ強化を重点項目として掲げ、多様性を備えた企業(例えば女性、LGBTQ、障害者等のマイノリティの総数が全従業員の50%以上である企業)からの製品やサービスの購入を社内で推奨しています。同社のような調達方針を実践している企業は増えてきており、今や多様性を備えていない企業は取引先として劣位に立たされるという事態になりつつあります。官公庁入札においては、10年ほど前より、ワークライフバランスや女性活躍推進度に関する評価項目が設定され加点要素となっていることから、これらは官民一体となった動きであるといえます。
労働市場の目に対しても敏感になる必要があります。学生をはじめとした求職者は、SNSやクチコミ就職情報サイトを利用し、以前とは比較にならないほど大量の企業情報を瞬時に得られる環境下で企業を選別しています。筆者自身、新卒入社者対象に就職活動当時の状況をヒアリングしたことがありますが、「C社の中でもD部署はワークライフバランスが保てるが、それ以外の部署は厳しいようだ」「E社は全社の女性管理職比率は高めだが、企画系の部署にはほとんど女性管理職がいないようだ」といった企業の個別具体的な情報まで入手することができていたとのことです。そのような中では、D&I推進企業であると自社のウェブサイト上で発信することは最低ラインであり、中身の伴ったD&I推進活動を進め、あらゆるチャネルを使って発信していく必要があります。
そして、企業の持続的成長の要であるという意味では最も重要なステークホルダーである従業員について考えるとき、外してはならないポイントはミレニアル世代※2が組織の中核を担う年齢層に到達しつつあることです。企業の長期的成功を支える最も大切な価値観を「倫理観」と考える世代であり、D&Iに対する感度も非常に高いことが各種調査で明らかになっています。彼らは企業がD&Iをどのように捉え取り組んでいるかを注視しており、それがモチベーションダウンや転職の引き金になることも少なくありません。企業の中核人材であることを踏まえると、ビジネスへの負のインパクトは小さくないといえます。
企業のD&I推進について、各ステークホルダーからの注目が高まっていることをここまで見てきました。そのような状況下では、何のためにD&Iを推進しているのかというD&Iポリシーと、それをいかに実現するのかを示すD&I戦略を策定し、社内外ステークホルダーに開示していくことが非常に重要です。
D&I推進に関して「先進企業」と評される企業は、明確なD&IポリシーとD&I戦略を有しています。例えば、消費財メーカーF社は、D&I推進の目的を「世界190カ国で製品を使ってくれる消費者の多様なニーズに対応するため、利益ある成長を続けるため、公平で持続可能な未来を目指すSDGsの達成に貢献していくため」としており、下記D&I戦略を掲げています。
① ジェンダーバランスを改善する(特に管理職)
② 障害のある人々およびLGBT+のインクルージョンを進める
③ 有害なステレオタイプや社会規範をなくす
筆者が着目するのは③で、当該企業はD&Iを自社の課題としてだけでなく社会的な課題として捉え、その解決に向けて事業・組織の観点から取り組んでいます。
また、医薬品メーカーG社では、グローバルのD&I責任者が率いる「Global D&I leadership team」が全てのビジネスユニットとリージョンにおけるD&I推進を担い、各ビジネスの責任者と連携をとっています。D&Iが経営アジェンダであることを明確にし、グローバルで取り組んでいることが特徴です。
D&Iポリシーおよび戦略を有することは、D&Iを推進する企業としてのブランド認知・拡大に資することとなります。さらに、その必要性の高まりは、企業が事業や組織を通して社会的な変革をもたらすことに対する期待が、グローバルレベルで高まっていることが背景として挙げられます。
そして、D&I戦略を着実に実行するための鍵となるのは、体制の整備とモニタリングの仕組み構築であると考えます。
D&I戦略に関する意思決定、施策検討、施策実行、KPIモニタリング等について、D&I推進管掌部門だけでなく、経営層や事業部も巻き込み、役割を設定することがポイントです。取締役会の監督のもと、D&I推進コミッティー(D&Iの方向性に関する意思決定およびモニタリング機関)を立ち上げ、事業横断でD&Iを推進できるような体制を構築することが望ましいです。
D&Iポリシーを明確にし、経営戦略とアラインしたD&I戦略を策定し、推進体制を構築し実行していくことで、顧客・取引先や労働市場、従業員、投資家の期待に応えていけると考えます。
ここまで、変化の激しい環境下において企業が持続的成長を遂げるためには、D&Iを実現することで新たな価値創造を生み出す組織に変革していかなければならないこと、D&Iを積極的に推進する企業であることに対する社会からの注目が非常に高まってきていること、そして企業は人材価値のような非財務的価値の創出および開示と評価を求められるようになっていることについて述べてきました。加えて、D&Iも含めた人材価値を示していくには、結果指標だけでなく中間成果を測る指標を定義する必要があることも述べてきました。
そこで、EYが開発した「Long-Term Value(LTV)フレームワーク※3」について少し紹介したいと思います。「LTVフレームワーク」は、企業の長期的価値創出の源泉となる価値ドライバーおよび評価指標を四つのカテゴリー(財務的価値、クライアント価値、人材価値、社会的価値)で体系化されたものです。そこでは人材価値の主要分野である「人的資本の配置」(<表2>参照)において、多様性を測る指標として「リーダーシップ(経営陣・取締役会)の多様性」が、ナラティブ情報開示について「多様性活用の状況、インクルーシブネスを巡る主な傾向、従業員総数と職務別比率、さまざまな雇用形態の内容」が提言されています。D&I推進についても構造的なフレームワークによる検討が必要だと先に触れましたが、このような検討アプローチを採ることで、現在の立ち位置と在るべき姿を明らかにすることができ、在るべき姿に向けた活動の進捗を測るKPIを設定することが可能となり、ひいては企業の人材価値を高め、長期的価値を創出していく近道となります。
企業がD&I推進を加速化し、その長期的価値を高め、持続的成長を遂げていくことを願ってやみません。
※1 平成29年7月、GPIFは日本株の3つのESG指数を選定し、同指数に連動したパッシブ運用を開始した。環境(E)・社会(S)・ガバナンス(G)のESG全般を考慮に入れた「総合型」指数2つと、社会(S)のうち女性活躍に着目した「テーマ型」指数1つを選定した。
※2 ミレニアル世代とは、1981~1996年の間に生まれた世代を指す。
※3 EYは金融市場に非財務的価値を示す新たな指標を作ることを目標に、Embankment Project for Inclusive Capitalism(以下、EPIC)を立ち上げ、EPICを通じて「Long-Term Valueフレームワーク」を開発した。EPICは、Coalition for Inclusive CapitalismとEYが中心となり、大学教授の知見を得ながら、企業、アセットマネジャー・アセットオーナーの総勢31社の外部有識者による「長期的価値を測り、投資家などのステークホルダーにそれを具体的に分かりやすく表明するための新たな指標」を見出すためのプロジェクトである。