EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
EY弁護士法人 弁護士 伊藤 多嘉彦
裁判官として4年、弁護士として約14年の経験を有する。独禁法、コーポレートM&Aを専門とするほか、近年は、IT・ライフサイエンス領域のスタートアップ支援にも力を入れている。EY弁護士法人への加入前は、英米の外資系法律事務所、日本の大手法律事務所に所属。
ビッグデータは、一般的には、Gartner社の定義を用いて、「新しい形の処理を必要とし、意思決定の高度化、見識の発見、プロセスの最適化に寄与する高ボリューム(Volume)、高速度(Velocity)及び/又は高バラエティ(Variety)の情報資産」と説明されてきました※1。最近は、正確性(Veracity)の確認が必要な情報資産という要素や、抽出の結果、価値(Value)を生む情報資産という要素を加えて説明されることもあります(<図1>参照)
あらゆるものがインターネットにつながるIoTの時代には、大量のデジタルデータがネットワークを通じて、あるいは、スマートフォンやIoT端末のセンサー等を経由して収集され、クラウド上の大容量サーバーにビッグデータとして蓄積されるようになります。そして、これらを高度なコンピューティングパワーやディープラーニング・AI(人工知能)技術を用いて解析することで、事業の劇的な効率化や、新たなイノベーションやビジネス価値を創出することが期待されています。
他方で、資金力を持つプラットホーム業者等が、こうしたビッグデータの収集・蓄積・分析・活用を行うことで、データのさらなる集積を進めて市場支配力を持ち、さまざまな市場を独占してしまうのではないかという、漠然とした不安も聞かれるところです。
この点については、各国の競争法当局や国際機関も関心を持っており、ビッグデータが競争に与える影響についての分析や調査も進んでいます。本稿では、経済開発協力機構(OECD)の競争委員会が2016年に公表した「BIG DATA:BRINGING COMPETITION POLICY TO THE DIGITAL ERA」(以下、OECD報告書)を基に、独禁法によるビッグデータ規制がどのような文脈で議論されているのかについて紹介します※2。
OECD報告書は16年11月29日に開催されたOECDの競争委員会における有識者ヒアリングのため、OECDの競争委員会の事務局が作成し、16年10月27日に公表したバックグラウンド・ノートです※3。
OECD報告書によると、従来、情報の収集、特にプライバシー情報の収集については、プライバシー保護法制及び消費者保護法制で規制を行えば足りるとされ、独禁法を適用する場面はあまり論じられてきませんでした。しかし近時、IT企業同士の大規模なM&Aを通じて、ビッグデータの保有が市場支配力をもたらし、競争上のインパクトを持つのではないかとの懸念に加え、ビッグデータが市場や消費者に及ぼす影響を理解したいという要請が強くなっています。そのため、ビッグデータを独禁法で規制するのが適切かどうかをOECDの競争委員会で検討するためのたたき台として、OECD報告書を作成したとのことです。
では、ビッグデータを用いたビジネスはどのような特徴を持っているのでしょうか。OECD報告書は、そもそもビッグデータの利用によって、旧来型の通常のデータを利用する場合と何か違う問題が生じるのかという観点からこれを論じています。
まず、OECD報告書は、ビッグデータを用いたビジネスモデルがデータ・ドリブン・ネットワーク効果(data-driven network effects)を持っていることを一つの例として挙げています。つまり、ビッグデータの活用によって、①多くのユーザーを持つ企業が大量のデータを集め、それを利用してサービスの品質を改善することで新しいユーザーを獲得できること(ユーザー・フィードバック・ループ)と、②多くのユーザーを持つ企業が、集めた大量のデータに基づいて広告ターゲティングを改善してマネタイズを行い、そこで得た資金を投じてサービスの品質を改善し、さらに新しいユーザーを獲得できること(マネタイゼーション・フィードバック・ループ)という二つのループが生まれ、その結果、ユーザーが勝者となった巨大なプラットホームに依存せざるを得ない状況が生じるというのです(<図2>参照)。
また、OECD報告書では、ビッグデータの量や種類の豊富さ故に、大量のビッグデータを収集・蓄積・分析・活用を進めた先発企業に後発企業は太刀打ちできないという先行者優位性、ビッグデータの収集・蓄積・分析・活用には事前に多額の埋没費用(サンクコスト)が必要な反面、いったん軌道にのると限界費用(マージナルコスト)はゼロに近づくため、資金力のある企業に有利であること、また、ビッグデータを構成する個々のデータはあまり有意なものではなく、大量に集めることで初めて役に立つことなども特徴として挙げられています。
加えて、ビッグデータを用いたビジネスの分析に当たっては、その取引関係の複雑さをきちんと理解する必要があります。例えば、検索サービス、ソーシャルネットワークなどのプラットホーム業者のサービスは、無料サービスの提供と引き換えに消費者のデータを収集し、消費者の特性に応じたターゲット広告枠を他の業者に販売することなどを収入源としています。さらに、消費者向けのサービスは異なっていても、広告枠の販売やその他のレイヤーのサービスにおいては競合している場合や、逆に一部では協力関係にある場合もあることにも留意が必要です。
以上を踏まえた上で、ビッグデータを用いたビジネスに対して、独禁法の適用を考えるに当たっては、どのようなことを考慮する必要があるのでしょうか。
第一に、データが重要な役割を占めるビジネスでは、データの収集・蓄積・分析・活用によって寡占化が進んだ結果、競争者を排除したり、顧客をロックインして地位を強化したりすることは、一応観念できそうです。もっとも、データ自体は比較的簡単かつ安価に入手できるようになってきていること、データそのものに大きな価値はなく、分析及び予測アルゴリズムとの組み合わせで初めて価値が生まれること、データの収集・蓄積・分析・活用については大企業同士がしのぎを削っていること、今後イノベーションによる新規参入者も考えられることから、ビッグデータを保有していることだけから市場支配力を認定することは困難と思われます。また、ビッグデータの活用によって効率化が進み、競争が促進されている面があることも忘れてはいけません。従って、今後は、ビッグデータを用いたビジネスについて、どのような場合に市場支配力が認定でき、どのような場合に独禁法違反が認定できるのかという点に議論の焦点が移っていくものと思われます。
第二に、ビッグデータを用いたビジネスに関して競争上の影響を検討するに当たって、多くの場面では従来の理論や実務を適用できそうですが、以下のようにそのまま当てはめることがやや困難な場面も出てきています。
独禁法上の分析においては、まず競争が行われている「市場」を画定した上で、その「市場」における競争状況を分析するという手法が一般的ですが、無料サービスについて値上げが観念できない場合には、市場画定に用いられるSSNIPテスト※4がうまく適用できません。そのため、当該業者が提供するその他の有料サービスでの価格引上げが事業全体の収益に与える影響を考慮したり、価格引上げではなく、品質の低下等を基準とすることも指摘されています。
そもそも、ビッグデータが競争に与える影響が議論されるようになったのは、実際に行われたIT企業同士の大規模なM&Aが一つの背景にあります。買収対象の企業のサービス自体は高いシェアを持っていて、極めて多額な対価で買収されても、まだ十分な売上が上がっていなかったり、サービス自体は無料のため、価格への影響がなかったりするので、関係企業の売上を届出基準とする伝統的な枠組みでは、そもそも売上が届出基準に達さずに企業結合審査の対象から漏れたり、企業結合審査の対象となったとしても価格引上げの可能性がないために競争への影響はないと判断されることがあり得るからです。
前者の売上基準の点については、取引額基準を導入することが一つの方法として考えられます※5。
また、後者の実質的な審査においては、競争分析において、プライバシー保護の観点を独禁法が考慮すべきかどうかについて見解が分かれていますが、企業結合の結果、無料サービス継続の条件として、追加で個人情報を要求したり、第三者への提供を示唆したりすることができるかを、市場支配力の有無の判断要素と捉える競争法当局も出てきているようです。そして、競争があることによって、消費者が価格条件のみでなく、種類、イノベーション、品質等の非価格条件も選択できるように保証するのが独禁法の役割であり、非価格条件の中にはプライバシー保護も含まれるという見解も有力に主張されています。この点を考慮するか否か、考慮する場合にどの程度考慮するかは、企業結合を承認するか否かにおいて今後大きな影響が予想されるポイントです。
独禁法は、その強固な規制が注目を集めることが多いですが、本来は競争を保護し、イノベーションを促進することをその使命としています。ビッグデータを用いたビジネスが競争に与える影響をどのように評価するかに当たって、独禁法の理論及び実務の一部においてもイノベーションを迫られているのは、独禁法実務に関わる筆者にとって大変興味深い事象です。
※1 www.gartner.com/it-glossary/big-data
※2 その他参考文献:
公正取引委員会「『データと競争政策に関する検討会』報告書」(17年6月6日)
経済産業省「『第四次産業革命に向けた競争政策の在り方に関する研究会』報告書」(17年6月28日)
※3 one.oecd.org/document/DAF/COMP(2016)14/en/pdf
この他に、16年11月29日のヒアリングにおける有識者のプレゼンテーション及びヒアリングの結果も公表されている。
※4 「小幅ではあるが、実質的かつ一時的ではない価格引き上げ」を行った場合を想定して、顧客が移行できる代替商品・サービスがなければその範囲で市場画定を行う手法
※5 米国やメキシコの届出基準において既に取り入れられていたこの基準は、実際にドイツの届出基準に取り入れられることになった。