EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
アシュアランス・イノベーション・ラボ 統括責任者
公認会計士 加藤信彦
製造業や小売業の会計監査に従事した後、現在は金融機関における会計監査、アドバイザリー業務に従事。当法人 企画本部にてEY Globalのアシュアランス(保証)業務のイノベーション活動に参画した後、2016年11月に設置されたアシュアランス・イノベーション・ラボの統括責任者に就任。主な著書(共著)は『Q&A コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コード』(第一法規)。公認会計士、米ニューハンプシャー州公認会計士。
2016年は世界中で予測不能な事象が多く発生しました。2月には日本でマイナス金利が導入され、6月には英国で欧州連合(EU)離脱派が勝利し、11月には米国で反支配層を掲げたドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利しており、世界および日本の経済の不確実性はますます高まっているといえます。また、企業のビジネスの拡大や複雑化に合わせ、会計監査においても経済環境などのマクロ的な観点を含む監査リスクの分析がこれまで以上に重要になり、会計監査に対する期待は着実に変化してきています。当法人の目指す監査品質は「被監査会社のビジネスを理解し、ビジネスリスクに対応した深度ある監査を実施すること」であり、監査品質を向上させるためにも、顕在化しているビジネスリスクの変化や潜在的なビジネスリスクがどのように監査リスクに影響を及ぼすか、監査のプロセスの中で分析しておく必要があります。
囲碁の世界では、昨年3月にDL(ディープラーニング)と呼ばれるアルゴリズムを用いたAI(人工知能)がトッププロ棋士に圧勝しました。DLは12年に国際的な画像認識コンテストで圧倒的な性能で優勝して以来、産業におけるAI活用のブレイクスルーとして注目を浴びています。また、仮想知的労働者(Digital Labor)と呼ばれるRPA(Robotics Process Automation)※1の仕組みが、ホワイトカラーの生産性向上のため日本企業に導入されるようになりました。そのほか、農業や物流におけるドローンの導入や金融業界におけるブロックチェーンの実証実験など、AI以外にもさまざまな先端技術を産業に実装する動きが加速しています。このような第4次産業革命の波に乗った新しい技術の誕生に、財務・非財務データが入手しやすくなったことやコンピューターの計算処理速度が飛躍的に高まったことも相まって、大手監査法人や提携するグローバルアカウンティングファームにおいても、先端技術を監査業務へ活用する取り組みや研究が既に始まっています。
昨年3月、会計監査の在り方に関する懇談会の提言「会計監査の信頼性確保のために」が公表され、企業不正を見抜く力の向上や高品質な会計監査を実施するための環境整備として、監査におけるITの活用が問われています。12月には「監査法人の組織的な運営に関する原則」(監査法人のガバナンス・コード)(案)※2が公表され、原則2指針2-2では、会計監査に対する社会の期待に応えるため、業務の効率化と深度ある監査を実現するためのITの有効活用の検討整備が示されています。
監査業界としても、昨年3月、日本公認会計士協会がIT委員会研究報告第48号「ITを利用した監査の展望~未来の監査へのアプローチ~」を公表しました。将来的にITが全面的に利用されている企業環境において、精査的な手法および統計学的アプローチに比重を置いた監査のアプローチへの展望、また25年頃の社会を想定した監査のアプローチの例示をまとめています。
当法人では、昨年7月より監査におけるデータ分析の本格導入(本誌16年12月号掲載)やAIの要素技術である機械学習のアルゴリズムを組み込んだ不正会計予測モデルの運用(本誌17年新年号掲載)に取り組んできました。本稿では、EY Globalと当法人が共同で取り組んでいる、監査の品質と付加価値向上に向けたさらなるイノベーションの取り組みを紹介します。
監査の全体像と先端技術の適用例を<図1>に示しています。会計監査を開始する際に監査計画を立てますが、被監査会社を取り巻く経済環境や会社内部のガバナンス構造などを把握するとともにビジネスモデルや商流を理解することで、どのようなビジネスリスクが存在し、財務報告の虚偽表示にどのようにつながる可能性(虚偽表示リスク、以下「リスク」)があるか見極めることが重要となります。まず、前期の監査で入手した全取引データ(会社内部の財務データ)からEY Globalで開発したデータ分析ツール(<図1>フェーズ1)を用いてリスクの可視化を行い、リスクの高いエリアにフォーカスした監査計画を立案します。同時に品質管理本部では、当法人の開発した不正会計予測モデル(<図1>フェーズ2)で抽出された企業の監査チームに対して注意喚起を行います。今後は構造化されていない非財務データを用いて、AIにより顕在化したビジネスリスクの変化や潜在的なビジネスリスクを把握し、リスクへの影響を分析する研究(<図1>フェーズ3)に取り組んでいきたいと考えています。
リスク評価手続が終了すると、識別したリスクに対応した手続を立案・実施して、その結果を監査報告書として取締役会と監査役会・監査(等)委員会に報告することになります。監査手続の実施や入手した監査証拠の適切性に監査人の判断が大きく介入するか否かで、監査業務を便宜上二つに分けて説明します。
まず定型取引の監査業務には、入手した仕訳、取引、在庫などの財務データの取り込みや財務データと経常的な業務プロセスから生じる取引の外部証憑(しょうひょう)や残高確認書との突合などが含まれますが、既に多くの監査業務でデータ分析ツール(<図1>フェーズ1)を導入しています。また、EY Globalでは一部の監査業務にCoE(Center of Excellence)と呼ばれる業務集中化の仕組みを導入し、有価証券の時価検証の支援、監査調書作成の支援、データ分析ツールへのデータ取り込みにRPAを活用する取り組みや実証実験(<図1>フェーズ3)を行っています。
次に非定型取引や見積項目の監査業務には、M&A時の一連の取引の検証やのれんの減損判定、貸倒引当金や受注工事損失引当金の妥当性検証が含まれますが、既に一部の見積項目に対する検証手続に当法人の不正調査の専門家と担当する監査チームが共同で開発したFDA(Forensic Data Analytics)ツール、EY Globalが開発した業種別のデータ分析ツールのほか、銀行の監査には信用リスク・ITの専門家と担当監査チームが共同で開発したデータ分析ツールの活用(<図1>フェーズ1)が始まっています。今後はデータ分析を多面的かつ効率的に行うために、AIの要素技術である機械学習を活用して分析を高度化(<図1>フェーズ3)していく予定です。
これまでも被監査会社から財務データを入手した上で、CAAT(Computer Assisted Audit Techniques)と呼ばれるITを利用した監査は行われてきました。では、現在進めているデータ分析やAIを活用した監査と何が違うのでしょうか。
これまでは入手した財務データから金額的に重要性の高い取引や無作為に抽出した取引を抜き出して検証する試査が中心でした(<図2>過去の監査手法)。最近では、試査に加え全財務データから勘定科目間の相関や財務データと非財務データとの相関を分析して異常点を抽出する監査手法を一部導入しています(<図2>現在の監査手法)。ただし、財務数値における異常値の抽出に用いる統計手法が単純であることで、多くの取引が異常なものとして抽出されることもあります。そのため、過去の不正・誤謬(ごびゅう)の事例などのリスク事象や監査人の知見により、本質的にリスクの高い異常な取引か否かの判定を行う必要があります。今後、過去のリスク事象や監査人の知見を機械に学習させ異常値を定義づけることが可能になれば、効率的にリスクの高い異常な取引を抽出することが可能となり、業務の効率性と深度ある監査の双方に貢献するものと考えられます(<図2>未来の監査手法)。
前述したような先端技術を監査業務に導入するには、幾つかのハードルを乗り越える必要がありますが、EY Globalの取り組み事例を紹介します。まず、財務情報や非財務情報を整理し、分析可能な状態にする必要があります。例えば、紙媒体の契約書について文字認識技術を利用しデータ化することで、文書解析が容易になると考えられます。また、構造化されていない非財務データの分析も課題ですが、大量の構造化されていない契約データをデジタル化し、売買契約書やリース契約書の検証に役立たせる研究を進めています。このほか、棚卸資産の立会検査へのドローンの活用、ブロックチェーンが被監査会社へ与える影響やブロックチェーンによる取引を監査する場合のテクノロジーの開発など、先端技術適用における監査実務への影響を調査・研究しています。今後は、AI×RPAやAI×ドローンなど先端技術の組み合わせにより監査の自動化が進む日も、そう遠くないかもしれません。
先端技術が監査業務に実装されるようになると、監査実務を担うヒトの役割はどのように変化するのでしょうか。定型的な取引の監査業務は自動化され、非定型な取引や見積項目の監査業務として高度な分析を実施することが可能になります。そのため、被監査会社の多様化するビジネスをより深く理解する時間が増え、データ分析で識別したビジネスリスクの変化やリスクの高い異常な取引を監査における専門家として判断・分析した上で、被監査会社とコミュニケーションの機会が増えることが想定されます。
日本において少子高齢化が進む中、政府は働き方改革に本腰を入れて取り組んでおり、生産性向上が急務となっております。監査における生産性を向上させるための一つの施策が、前述したRPAの活用による監査の自動化ですが、このほか監査業務の集中化や海外人材の活用も考えられます。EY GlobalではGDS(Global Delivery Service)と呼ばれるシェアードサービスセンターをインド、中国、フィリピンなど世界5拠点に設置し、22,000人のメンバーが、監査やアドバイザリー業務などのクライアントサービスのほか、秘書業務やシステム開発などのアカウンティングファームの間接業務もサポートしています。日本でも、セキュリティに最大の配慮を行いながら一部の業務への導入を検討しており、将来的な人材不足への対応に取り組んでいきます。
また、古くて新しい議論としてナレッジマネジメントがあります。過去の監査人の判断過程に関する情報は、他の専門家の業務、例えば弁護士業務と同様に、守秘義務の関係で個別の監査チームのほか品質管理部門や意見審査部門限りとなっているため、監査人の暗黙知を形式知にする上での工夫は、これまでの組織内での知見の共有と同様、人工知能を組み入れたツール開発でも重要だといえます。現在は個別の監査業務ごとに不正調査や信用リスクの専門家、コンピューター・サイエンティストやデータ・サイエンティストが監査チームに参画して、監査人や専門家の知見を再現可能にするツールの開発に取り組んで対応しています。
さらに、監査におけるヒトの役割の変化に合わせ、私たち監査人はビジネスの深い理解力、コミュニケーションスキル、分析力や判断力をより高めていく必要があります。そのために、EY Globalが開発したコーチングプログラムを活用したり、さまざまな経験を持つ外部有識者を講師として招聘(しょうへい)したりするなど、人材育成のイノベーションに取り組んでいるところです。
先端技術の活用により、顕在化したビジネスリスクの変化や潜在的なビジネスリスクをこれまで以上に把握しやすくなると考えられますが、リスクに影響を及ぼす場合は、経営者や監査役・監査(等)委員に明確に伝える必要があります。また、会計監査で実証された先端技術を備えたリスク分析や検証手続の手法は、企業のリスク管理や内部監査などにも広く応用できる可能性を秘めています。先端技術と監査人や多様な専門家の知見を組み合わせた深度ある監査によって、被監査会社の財務報告の信頼性を担保するだけでなく、将来の企業価値の毀損(きそん)リスクを事前に経営者や監査役・監査(等)委員に伝えることができれば、会計監査人として守りのガバナンスの機能を十分に果たし、資本市場の信頼性確保に貢献することができるといえるのではないでしょうか。
AIやRPAなどの先端技術は、会計監査人の仕事を奪うのではなく、会計監査人が被監査会社に提供する価値を変えることになるので、監査業界でも、5年後、10年後を見据えた次世代の監査人育成や海外人材の活用に本気で取り組む必要があると考えています。今後も当法人は、より良い社会の構築に向け、監査プロセスに新しい技術や考え方を組み入れたイノベーションを持続的に行っていきます。
※1 バックオフィス業務の自動化のみならず、最先端のデジタルチャネル、レガシーシステム、現行の最新システムとデスクトップ作業の統合を柔軟かつ安価に実現することができるソフトウエアロボット
※2 執筆日現在、最終化未了