EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
EY総合研究所(株) 未来社会・産業研究部 主席研究員 小川高志
経済産業省(旧通商産業省)入省、産業技術総合研究所、東京工科大学での勤務などを経て、2013年にEY総合研究所(株)入社。少子高齢化、健康長寿、観光・おもてなし、スポーツ成長戦略等課題解決や新産業創造のためのICT活用を中心に研究するとともに、大企業やベンチャー企業によるオープンイノベーションを支援。
2016年8月、リオ五輪閉会式で、ゲームキャラクターに扮(ふん)した安倍晋三首相がサプライズ登場し、五輪旗が小池百合子都知事に引き継がれました。1964東京五輪は人口増加の中で開催され、その後の高度成長期を支えるインフラが整備されましたが、2020東京五輪を契機としたスポーツ振興は、人口減少に向かう日本にとって、2020年以降の経済社会を支えるものとなることが期待されます。2020東京五輪まであと3年半となるこの新春に、スポーツの価値を活用した日本再興への道を構想したいと思います。
「スポーツの価値」には、「スポーツそのものの価値(value of sport)」と「スポーツを通じて生み出される価値(value through sport)」の両面があります。スポーツそのものの価値とは、スポーツの実施を通じた心身の発達を指し、わが国では、長い間、スポーツそのものの価値が重視されてきました。他方、スポーツを通じて生み出される価値には、スポーツの実践による健康経営の構築、スポーツ観戦によって生じる感動や人々の絆による経済効果などが挙げられます。しかし、これらの多様な価値はこれまで十分利用されておらず、こうした「スポーツの潜在力」を、今後、経営や地域づくりに活用していくことが期待されます。
こうしたスポーツの価値や潜在力を生かすための具体的な取り組みに当たっては、スポーツのステークホルダー間の関係強化が重要です。すなわち、スポーツのステークホルダーは「スポーツをする人」「観る人」「支える人」の三者で構成され、支える人としての企業による支援は「企業の社会的責任」(CSR)の観点から側面的な支援にとどまっていたものが多かったのですが、スポーツの潜在力に注目することで、スポーツがビジネス活性化に直接効果があることに気付く企業が顕(あらわ)れてきています。
2020東京五輪が、わが国にもたらす経済効果に関する多くの試算が発表されていますが、スポーツイベントの効果は、大会期間中にとどまりません。国際オリンピック委員会(IOC)によれば、五輪が開催後に残す遺産(レガシー)として、①スポーツレガシー②社会レガシー③都市レガシー④環境レガシー⑤経済レガシーなどを挙げており、近年の五輪ではいかにレガシーを残すかが、大会計画段階からの重要事項となっています。またEYでは、2012ロンドン五輪、2016リオデジャネイロ五輪、ラグビーワールドカップ2015イングランド大会への支援実績などを踏まえ、スポーツイベントがビジネスや経済にもたらす価値をまとめています(<表1>参照)。
スポーツの価値はイベント開催時だけのものではありません。2015年10月にはスポーツ庁が発足し、教育行政の中に位置付けられていたスポーツを、稼ぐ力を持つスポーツビジネスへ転回していこうという機運が出てきています。こうした中、「日本再興戦略2016」には、「官民戦略プロジェクト10」の一つとして「スポーツの成長産業化」が明記され、併せて、スポーツ市場規模などに関する目標が設定されました。スポーツ庁からの依頼を受けてEY総合研究所(株)が試算協力をしたスポーツ市場規模に関する試算については、2012年に5.5兆円であったスポーツ市場を、東京五輪が行われる2020年には10兆円、2025年には15兆円へと拡大させていくとの目標が示されています(<表2>参照)。
スポーツ市場規模の拡大のためには、スポーツ市場を構成するスタジアム・アリーナ投資、アマチュア・プロチームの強化、他産業との融合に向けた需要をそれぞれ拡大させることが必要です。以下、これらの項目の背景となる需要拡大の考え方と、必要な政策の方向性を示します。
スポーツ観戦について、家計調査における2人以上世帯の年間支出をみると、直近3年間の平均値は年間667円となっています。一方、都道府県庁所在地のうち上位20%では、スタジアムなどの施設整備がされているため、1,416円の支出と、平均値の2.12倍になっています。スタジアム・アリーナなどの整備がより進展し、地域スポーツ観戦の底上げが図られれば、家計消費も2倍超の水準になると見込まれます。このほか、大学スポーツについても、米国では4大プロスポーツ※1に対して3割程度の市場があり、わが国でも日本版NCAA(National Collegiate Athletic Association:全米大学体育協会)の創設などにより、プロスポーツに対して3割程度の大学スポーツ市場を誕生させる潜在力があるといえます。
また、スポーツ実施率の面では、現在約4割の水準にとどまっていますが、生活習慣病などの健康長寿対策としての運動奨励、障害者・女性のスポーツ奨励などによって、2025年に65%まで引き上げることができれば、人口減少を考慮してもスポーツ実施人口は1.3倍を超えることとなるでしょう。スポーツ実施率の引き上げについては、医療費抑制の観点からも積極的な対策が必要です。
法人消費については、GDP統計上、日当・宿泊、交際費、福利厚生費で構成されますが、このうち交際費については、欧米先進事例に学んで、スポーツホスピタリティプログラムの形成に取り組むことが期待されます。特に、法人向けプレミアムプログラムを開発することで、既存のスポーツ観戦需要の3割以上にも及ぶ「コーポレートスポーツホスピタリティ市場」が日本に誕生することとなるでしょう。
また、企業における健康経営志向の高まりや、従業員エンゲージメントへのスポーツの活用の観点から、福利厚生費のうちスポーツへの支出が大幅に増える可能性があります。
さらに、スポーツの持つ感動がもたらすマーケティング効果について注目する企業が増えており、とりわけグローバル化を目指す企業で、スポーツスポンサーシップなどを積極的に活用する動きがより高まってくることが予想されます。
ハード投資のうちスタジアム・アリーナについては、スポーツ観戦人口の増加への対応に加え、コーポレートスポーツホスピタリティプログラムの導入に見合った投資が必要となります。さらに、スポーツ観戦に伴う顧客経験価値を高めるための飲食、物販、宿泊など付帯施設の整備が必要です(ハード投資と感動消費の合計は年間1.7兆円になる見込み)。こうしたスポーツを核とした街づくりは、人口減少下での地域活性化につながるため、政府もインフラ投資促進のための対策を講じることが必要です。
このほか、フィットネスクラブなどのスポーツ施設についても、スポーツ実施人口の増加に伴い、投資が拡大するでしょう。
ソフト投資のうち、IT関連投資については、現在の全産業平均IT投資割合(約4%)に向けて上昇するほか、IoTなど投資のスポーツへの展開・導入により、25年にはスポーツ市場の8%程度まで上昇する可能性があります。
政府は、2015年3月に、訪日外国人旅行客の目標を2020年に4,000万人、2030年には6,000万人に引き上げました。今後、モノからコトへと観光の目的がシフトすることに伴い、スポーツ観戦やスキー、ゴルフなどのスポーツ実施を組み込んだスポーツツーリズムの比率は、訪日観光の1割以上に達するとみられます。また、日本のスポーツへの関心の高まりを活用し、海外からの放映権ビジネスへの参入や、インターネット配信の活用などもあって、外貨を稼ぐ時代はすぐそこに来ると思われます。
前記のような方向性で官民が一体となり、スポーツ関連市場の消費、投資、インバウンドなどにおける需要増加に積極的に取り組むことで、スポーツ市場規模の大幅な拡大が見込まれます。
スポーツ庁ではスポーツの成長産業化に向けて、①スタジアム・アリーナ改革②スポーツ経営人材育成③スポーツメディア市場創出に重点的に取り組むこととし、それぞれの分野について、官民連携による推進組織を組成することとしています(<図1>参照)。EY総合研究所(株)は新日本有限責任監査法人と連携し、スポーツ庁から受託した「スポーツ新事業開拓調査」の一環として、協議会の運営などを実施しています。
2020東京五輪では、スポーツ施設のコストと大会後の利用などについて注目が集まっているため、ここでは、すでにEY総合研究所(株)がたたき台を作成し、協議会およびスタジアム・アリーナ策定WGで策定した「スタジアム・アリーナ改革指針」についてご紹介します。
スポーツ庁では、経済産業省、国土交通省、観光庁の協力を得て、2016年7月、プロスポーツリーグ関係者、自治体関係者などによる「スタジアム・アリーナ推進官民連携協議会」を立ち上げ、その下で、「スタジアム・アリーナ改革ガイドブック(仮称)」を作成することとし、その第1段階として、有識者の協力を得て「スタジアム・アリーナ改革指針」を取りまとめています。
この指針が「改革指針」という名称になった背景には、スポーツの成長産業化を妨げている可能性がある、スポーツ施設に対する固定観念や前例主義などに関するマインドチェンジを促すとともに、地方公共団体やスポーツチームなどの責務、民間資金導入をはじめとする民間活用の在り方などを明確化し、スタジアム・アリーナを核とした官民による新しい公益の発現の在り方を提示すべきであるとの考えがあります。
「観るスポーツ」のためのスタジアム・アリーナは、定期的に数千人、数万人の人々を集める集客施設であり、飲食、宿泊、観光など周辺産業へ経済波及効果や雇用創出効果を生みだす地域活性化の起爆剤となる潜在力の高い基盤施設です。また、スポーツ機会の増加や地域の社会課題解決、地域のアイデンティティの醸成などを通じて地域の持続的成長につながる施設として期待されています。
そのような施設になるためには、中長期的な収支計画の検討などにより、スタジアム・アリーナそのものの収益性を向上させて公的負担を軽減し、サステナブルなスタジアム・アリーナへ変革すること(コストセンターからプロフィットセンターへの転換)や、民間活力を活用した多様な事業方式(PFI※2、コンセッション、公設民営など)・資金調達方式の活用により、施設の充実やサービスの向上を図ることが必要であり、これに向けて、地方公共団体、スポーツチームが連携を図っていくことが重要です。また、国は、地方公共団体の事業プロセスにおける検討事項や解決策などについて具体的に提示し、民間資金調達支援の仕組み整備、関係法令の情報、国内外の先進事例などの情報展開を行うことが必要です。
スタジアム・アリーナ改革のための重要な要件としては、以下の四つの項目、14の要件が挙げられています。
スタジアム・アリーナ経営を持続的に成長させていくためには、顧客経験価値の向上、多様な利用シーンの実現、収益モデルの確立とプロフィットセンターへの変革、地域の実情に合わせた複合化などが必要です。
スタジアム・アリーナ経営を効果的に進めていくためには、プロジェクトの初期段階において、ステークホルダーの確認と検討体制の整備、顧客の把握と情報提供、収益性などの検証、コンプライアンスとリスク管理などを考慮することが必要です。
効率的かつ効果的なスタジアム・アリーナの整備・管理を進めるためには、民間の資金や経営能力、技術的能力を活用していくことが重要であり、PPP/PFI手法などの中から、地域や施設の実情に応じた適切な手法を用いるべきだと考えられます。
事業推進・運営に当たっては、目標設定、IT・データ活用やスタジアム・アリーナ経営人材の活用などが重要です。
スタジアム・アリーナ改革指針は、ケーススタディーなどを進めながら、必要に応じ改訂がなされるとともに、チェックリスト、民間資金調達支援の仕組みの整備、関係法令の情報、国内外の先進事例などを整理し、指針と併せてガイドブックとして、本年度内に公表することが予定されています。
※1アメリカンフットボール、野球、バスケットボール、アイスホッケー
※2民間資金活用による社会資本整備