より良い社会の構築に向けて ~知識集約型社会への転換と「Society 5.0」のあるべき姿~
情報センサー2020年新年号 新年特別対談
東京大学
第30代総長 理学博士
五神 真(写真左)
EY新日本有限責任監査法人
理事長 公認会計士
片倉正美(写真右)
2020年の新年特別対談は、国立大学法人東京大学の第30代総長であり理学博士である五神真先生をゲストにお迎えし、より良い社会の構築へ向けて知識集約型社会への転換とSociety 5.0のあるべき姿、そこにおける大学および監査法人の役割と可能性について、当法人理事長の片倉正美と語り合っていただきました。
Ⅰ. デジタル技術の進化が牽(けん)引する
多様性包摂社会「Society 5.0」
片倉 激動する世界の中で、情報通信技術の急速な発達が、技術体系や価値創造のあり方、そして社会構造そのものも大きく変貌させようとしています。人類社会を良い方向に導くのか、あるいは悪い方向に向かわせるのか、今、社会は分水嶺に立っています。私たちには、より良い社会を実現するための正しいビジョンを社会の多くの主体が共有し、そのビジョンに則して積極的に取り組むことが求められています。
東京大学では、「人類社会全体のために変革を駆動する大学」として、持続可能でインクルーシブな社会「Society 5.0」の実現に向けて、産業界をはじめとする各セクターの関係者と協力し、産業・社会構造のパラダイムシフトの実現に主体的に貢献されていらっしゃいます。一方、EY新日本では、EYの共通のPurposeである「Building a better working world」に基づき、経済メカニズムの中でのあるべき監査法人の姿を追求しています。
さて、本日は、持続可能でインクルーシブな社会「Society 5.0」の実現に向けて、大学や監査法人の役割などについて、五神総長のお考えをお聞かせいただきたいと思います。まず、日本政府が目指すべき未来社会として提唱する知識集約型社会「Society 5.0」について、五神先生はどのようにお考えでしょうか。
五神 日本に限らず先進国は、良い製品を大量生産する中で、生産性を向上させるという資本集約型で経済を成長させてきました。しかしその一方で、地球上にはモノが溢れ、地球環境にも多くの問題が顕在化しています。私は、良い社会とは、人々が意欲をもって活動し、その結果として経済全体が持続性を保って成長する社会だと考えますが、これまでの活動や従来の経済モデルを踏襲しているだけでは、その実現は難しいと思います。そのような中で、ここ10年ほどのデジタル革新とも呼ばれる情報通信技術の飛躍的な進化は、注目すべき点です。インターネット上を行き交うデータ量は指数関数的に増えていて、その結果として、人々の生活のかたちも急激に変化しています。
片倉 デジタルトランスフォーメーションなどとも呼ばれていますが、社会が大きく変化するとともにその功罪が議論されています。この変化を私たちはどのように捉えればよいのでしょうか。
五神 急速なデジタル化によって不安や懸念が語られる一方、社会や生活は明らかに便利になっていると感じます。その結果、モノの価値を中心とした経済から、知識、情報、サービスといった無形のものがより重要な価値を持つ経済へと変化しつつあります。デジタル技術をうまく活用することで、例えば、個々の病状や体質に合わせたテーラーメードな医療や、小規模な農地を緻密に制御することで高い生産性を実現する農業が可能になります。つまり、従来の資本集約型とは違う多様性を尊重した包摂性を追求する経済成長の道筋が見えてくるのです。私は、そこに大きな可能性を見出しています。国連のSDGsが理念とする「No one will be left behind」、誰一人取り残さないという包摂性を追究する取り組みによって、経済も成長しうるという考え方です。
片倉 個々の知恵を活かした多様性を尊重する社会、それがSociety 5.0なのですね。Society 5.0を牽引するデジタル技術の進化で、懸念があるとすれば何でしょう。
五神 デジタル化が進んだ社会では、初期投資が少なくても大きなビジネスとなることがあり、独占化が進みやすいことが懸念です。データは先にデータを持っているところに集まりやすい性質があるので、そのまま流れに任せていると、決定的な断絶や格差が生まれ、Society 5.0とは真逆のデータ独占社会になりかねません。とはいえ、投資家の間でもESG投資の意識が高まってきたように、資本主義もプロフィット至上ではなくなりつつあります。今後は、社会全体が協力して強い意志を持って、より良い社会を選び取るアクションを起こさなければなりません。
Ⅱ. デジタル社会のルールづくりに大学の「知」を活かす
片倉 デジタル技術の進化による「モノからコトへ」の変化は、Society 4.0の情報社会のときから始まっていたように思います。ただ、Society 4.0では、PCを使って意識的にインターネットにアクセスして情報を得たのに対し、Society 5.0では、いつでもどこでも情報を入手でき、アクセスしているという意識すらなくなってくるのが大きな違いのように思います。これが、経済にどのような変化をもたらすのでしょうか。
五神 インターネットによってサイバー空間が登場し、さまざまな情報産業が構築されたのがSociety 4.0です。サイバー空間という環境が拡大し、また同時に、地球上ではモノが飽和して環境問題がより深刻化しています。これらは密接に絡まり合い、サイバー空間とフィジカル空間は不可分になってきています。このような状態になっている中で、どのような社会をつくるかが問われています。
片倉 サイバー空間とフィジカル空間がうまく融合する社会ということですね。
五神 そこで重要となるのが、グローバルコモンズという考え方です。サイバー空間におけるコモンズは情報という無形のものですが、これを共有地として、健全な形で意識的に守り育てていかなければなりません。そのために例えば、データ上の人権やプライバシーに関わる課題なども、グローバルスケールで共有する必要があります。こうしたサイバー空間でのグローバルコモンズを守り育てる意識が、フィジカル空間である地球そのものを守ることにつながります。
片倉 安倍首相が、昨年1月のダボス会議でデータを公共財として流通活用する国際ルール作りであるDFFT(データ・フリー・フロー・ウィズ・トラスト)を提唱しましたが、これはまさにサイバー空間でのグローバルコモンズを守るという意識から発しているものですね。
五神 DFFTは、データを自由に流通できることが基本です。しかし、単純に自由にしてしまうと、データ独占社会のリスクが高まるため、国境を越えたルールづくりが必要です。DFFTが多くの賛同を得たことで、6月のG20サミットでは「大阪トラック」の開始が宣言されました。各国がルールメイキングの主導権を争う中で、いかに包摂性のある地球規模の「トラスト」を醸成していくかが重要になってきます。
片倉 グローバルコモンズを守るルールを形成する中で日本がリーダーシップを発揮するためには、企業と国家をつなぐ大学のような存在が重要になってくるのではないでしょうか。
五神 そうですね。デジタル化された情報やサービスの国境を越えた流通には、モノを前提とした従来の発想とは異なるルールが必要です。そのためには、法学、経済学、情報工学なども含めた幅広い専門領域で新たな学理を作る必要があります。新たな知の創造は、まさに大学の領域です。政治や民族を超えた世界規模での共通概念を構築する国際協力の場としても、大学が大いに役立つと考えます。
Ⅲ. 持続可能な社会の実現に向けて
企業は長期的なビジョンを描く必要がある
五神 DFFTのようにグローバル化が進む中で、投資家や市場もグローバルな視点を持たなければいけない。そうでなければ、ガラパゴス化して衰退していく懸念があります。海外からの投資にしても、現在は規制強化の方向にありますが、長期的に見たとき日本にとって本当にプラスになるでしょうか。日本は自前で揃うものが少ないのですから、私は逆にリスク投資を呼び込み、国内の滞留資金に刺激を与えることが重要だと考えます。国内には、1,800兆円という巨額の滞留した個人金融資産があります。2025年には団塊世代が後期高齢者になってしまうので時間がありません。大学も魅力的な投資先となるよう、そして、そこから次の経営資源を生み出していけるよう、早急に仕組みづくりをする必要があると考えています。
片倉 企業の経営者の方と接していて常に感じるのは、成長に向けてのロードマップを描きにくくなっていることです。お金の動きをより活発にしていくためにも、企業は大学などと連携しつつ、ビジョンを描いていくことを考えていかなくてはならないのではないでしょうか。
五神 高度経済成長期のような資本集約型社会であれば、成長のロードマップも明確でした。しかし、今はそうではありません。全体像や未来のビジョンというものが、容易には描けなくなっています。だからこそ、企業として一番大事な「長期的なビジョンをどう描くか」というところから議論していかなければなりません。
片倉 確かに、持続可能な社会実現のためには、企業が長期的なビジョンをどう描くかということが、昨今非常に重要になっています。投資家などもビジョンやミッションといった企業としての存在意義、成し遂げたい目標、そして企業風土として大切にしているものなどを知ることで、その企業が社会全体に対して長期的な価値を生み出すことができる存在かどうか見極めるようになってきています。そして企業は、ビジョンを通じて自社のビジネスモデルを伝え、長期的にダイナミックに活動を展開する姿勢が投資家に理解されることで、短期的なリターンに拘泥しすぎることなく、安心して長期的な価値を生み出すものへの投資を行うことができるようになります。このような企業のロングタームバリューを生み出すサイクルを安定して回していくためにも、長期的な関係を築くことができる投資家に企業を理解してもらうことが必要だと考えています。
実際、私たち監査法人も、企業の経営者の方と接するときには、クライアントのビジョンや経営戦略を理解し共有した上で、より良い経営のために議論させていただくことを大切にしています。
Ⅳ. 大学と企業の連携の新しいかたち
ベンチャーをいかに育てていくか
片倉 今後、大学はさまざまな企業との連携を拡大していくのではないかと思いますが、産学連携のパートナーである企業の経営者に向けて、大学から、今だから伝えたいということはありますか。
五神 すでに経済は拡張主義的成長から包摂的成長へと舵(かじ)を切っています。今後は、日本の産業界がそこへいかに積極的にコミットできるかがポイントとなります。そのためのパートナーとして、知恵や情報を持つ大学を積極的に活用していただきたい。東大以外の大学も同様の機能を持ち得るので、ぜひ大学を使ってほしいと思います。
片倉 最近の産学連携のトレンドでいえば、どういった分野が目立ちますか。
五神 やはりベンチャーです。東京大学関連では、年間30~40社の勢いで増えています。最近ではAI系が多く、東大前の本郷通りにもAI系のベンチャーが目立つようになっています。先日、あるグローバル企業のCEOからも、「日本でベンチャーといえば東大だよね」と言われました。
片倉 EYでは、優れたアントレプレナーをたたえる「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」と呼ぶ活動を世界規模で行っています。2001年からはモナコに各国の代表が集まり、その年の世界一を決めるとともに、お互いに触発し合う成長の場にもなっています。ここ数年は日本代表の候補者もAI関連のアントレプレナーが目立っています。
五神 AI系は立ち上げやすいということも大きいでしょう。しかし、日本が本当に強い分野はそこではありません。日本が本当に強い分野に投資するベンチャーキャピタルが少ないため、ミスマッチが生じています。社会課題を解決できるような、世界で戦えるベンチャー企業を育てるためには、ベンチャーキャピタルのポートフォリオも育てていかなければなりません。
そこで東京大学では、2016年に、東京大学協創プラットフォーム開発株式会社を設立しました。この第1号ファンドとして、ベンチャーキャピタルに投資することでミスマッチを減らす、ファンド・オブ・ファンズという仕組みをつくっています。
片倉 素晴らしいですね。東京大学ならではの仕組みで、まさに大学と産業界との新しい連携の姿と言えるのではないでしょうか。
Ⅴ. 知識集約型社会における
監査法人の役割の重要性と課題
片倉 最後に、これからの監査法人の役割についてのお話をうかがいたいと思います。私どもEY新日本有限責任監査法人は、「Building a better working world」を標榜し、より良い社会を構築することをミッションとしています。その中で、監査法人として財務諸表の情報に保証を与えるのは当然ですが、最近では、それ以外にもさまざまな情報に広い意味での保証を与えつつあります。知識集約社会において非常に重要な価値を持つ「情報」に、私ども監査法人が何らかの保証を与える役割を果たしていけるのではないかと考えています。このあたり、五神先生はどのようにお考えでしょうか。
五神 経済を健全に成長させていくとき、何にどういう保証を与えるかは非常に重要です。特に、公共財を支える資金構成のポートフォリオが大きく変わろうとしている今、活動に保証がないと、混乱や無駄が生じてしまいます。そういった点で、監査法人は非常に重要な視点と役割をお持ちだと考えます。これまで、保証や信頼を与える仕組みとしては、日本ではハードロー的な考え方があまりにも強すぎたように思います。しかし、新しいものを取り込んで自らを変革しなければならないとき、ハードロー的な管理の仕組みだけでは、出遅れてしまいます。もう少し柔軟に、コンプライアンスのガイドラインを定め、新しいものを取り込みながら新しいルールをつくっていくというソフトローを重視した方法があるのではないかと思います。監査法人も同様で、10年前、20年前のルールを、その当時にはなかったお金の動きに厳格に適用しても、実態を反映させられないでしょう。
片倉 ソフトローへの保証に対する期待も、かなり高まってきています。日本ではどうしても責任論が先に議論されがちですが、そうではなく、あるべき姿という観点での議論がまず先にあるべきではないでしょうか。
五神 それは、ハードロー中心の仕組みが染みついて、そこから外れたくない、守りたい、という論理です。今までの枠を超えていくときには、責任や秩序についても枠を超えた議論をしていかないと先へ進めません。大学が経営体になるということも、枠を気にしていたら何もできなかったと思います。
片倉 そのとおりですね。一般的に変わることへのためらいや不安、消極的なマインドもあると思います。社会が変わっている今だからこそ、資本市場の健全な発展に貢献する使命を果たすべく、当法人もフロントランナーとして、変化に果敢に挑戦しています。
五神 私たちは自分たちの自由な意志で学問や研究を行っています。そこを守るために、自立した経営体になることが重要なら、それはやらなければいけない。大学の経営は、いわゆる「民営化」とは違い、利益の追求ではなく、公共的な部分を支え、社会により多くを還元していくことにあります。米国のNPOのイメージです。民間企業でもないし、ボランティアでもない。日本では、公共財を支えるための経済の仕組みが、まだ成熟していませんが、公共財としての大学の力が高まっていくのは、社会全体にとって間違いなくプラスです。
改革のやり方は一様ではないと思いますが、高いビジョンを掲げ、それを共有できていれば、健全な未来をつくる大きな力になります。それが、東大改革の原理です。この一番大事な部分が受け入れられたからこそ、東京大学は変わり始めているのだと思います。
片倉 それは、私たち監査法人、そして企業経営にも通じる理念だと感じます。本日、改めて私たちが置かれている現状を認識し、何をすべきなのかを考える機会となったと思います。本日は、ご多忙中にもかかわらずどうもありがとうございました。