デジタルトランスフォーメーションと経済社会の定義
情報センサー2017年2月号 マーケットインテリジェンス
マーケッツ本部 マーケッツ推進部 東大野恵美
通信事業者など企業の情報システム部門で、業務システムの企画開発に10年以上従事。2007年、当法人入所。現在マーケッツ本部にて、テレコム、テクノロジーを中心に経済・産業動向および企業の調査分析を担当。情報処理技術者ITストラテジスト、PMP(プロジェクトマネジメントプロフェッショナル)、CISA(公認情報システム監査人)。
Ⅰ はじめに
ICT(情報通信技術)の進展と新しいサービスの登場によって既存のビジネスが破壊されるデジタルトランスフォーメーション(デジトラ)が、引き続き注目されています。この1年ほどで見られたキーワードを整理すると、ビジネスに限らず、個人の暮らしや経済社会も変化すると考えられます(<図1>参照)。
では、デジトラ後の経済社会は、どのようにあるべきなのでしょうか。
新しいビジネスモデルやプロダクトの創出手法として、デザイン思考が注目されています。こうした手法は、デジトラ後の社会を探る上でも適用可能かもしれません。デザイン思考では、まず対象の観察と理解から始まります。本稿では、デジトラに向け、現代経済社会の重要構成要素である「貨幣」「資本主義」「民主主義」「国家」について、観察と理解を試みたいと思います。
Ⅱ 貨幣とは何か
2016年5月、仮想通貨を支払いや決済手段の一つとして認める法案が成立し、仮想通貨の取引所に対する外部監査なども義務付けられました。さらに17年春には、仮想通貨の非課税化が見込まれています※1。ただし、これらはあくまで送金・決済手段の一つとしての定義にとどまり、「貨幣」として認めるものではないようです。
経済学者・岩井克人氏によれば、貨幣とは社会の相互信頼によってのみ貨幣たり得ます。国の保証も、貨幣そのものの「モノ」としての価値(例:金貨や銀貨)も必須要件ではありません※2。従って、仮想通貨も人々の信任を得る限り通貨として流通し得ることになります。しかし、人々の信任は「逆回転」しやすいため、中央銀行のようなビッグブラザー(独裁的権力機関)による貨幣価値の制御が欠かせず、根本的にその機構を欠いたビットコインは、長期的には自滅する運命にあるとの見方を同氏は示しています※3。
Ⅲ 資本主義とは何か
岩井氏は、貨幣とは本質的に不安定であり、流通量を制御できなければ資本主義はハイパーインフレや大恐慌によって自壊すると言います。そのような資本主義とは何かと問えば、まずアダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズが出てくるところですが、岩井氏によれば資本主義とは「資本の無限の増殖を目的とし、利潤を永続的に追求していく経済活動」であり、価格の差異による利潤の獲得を原理としています。情報技術の進展が資本主義の変化を引き起こすように見えたとしてもそれは錯覚に過ぎず、資本主義の根本原理に変わりはありません※4。昨今のITバズワードの多さに見られるように、「新しい技術」や「新しい市場」がことさら強調されるのは、意識的に差異を生み出す必要があるためです。これまでは先進国と新興国、発展途上国との地域的な経済格差が差異の源泉となっていましたが、現在は同一国・地域内での格差という差異に変わりつつあります。このような格差が放置されると身分制度や封建主義となり、やがて社会不安から資本主義の自壊を招くとの指摘もあります※5。
Ⅳ 国家とは、民主主義とは
国家とは暴力装置であり、ストックを生じさせる仕掛けです。産業資本主義の下、労働力としての国民の厚生は国家にとって重要な仕事でした。しかし、大量生産・大量消費の時代が終わると、国民の厚生よりも金融投資を重視するようになり、さらに最新のテクノロジーの需要創出とそれによる新資本の形成が図られていくと言います※6。その時、AIやロボットで労働力が代替されるのであれば、新たに蓄積される資本はベーシック・インカム(BI)の形で再分配可能になるかもしれません。BIについては、アラスカやナミビアでの事例が注目されています。いずれにせよ、こうした国家の意思決定には、少なくとも民主主義では国民の意向が反映されるはずです。
ジャン=ジャック・ルソーによれば、民主主義とは人民主権であり社会の一般意思による意思決定です。他方、民主主義とは習慣であり実験であるとするプラグマティズム型民主主義という主張もあります※7。インターネットとソーシャルメディアの登場は個人と社会を深いレベルでつなぎ、一般意思の抽出を容易にした反面、エコーチェンバー効果と呼ばれる、関連する情報ばかりを目にするうちに無意識に思考の偏りが生じるといった問題も引き起こしています。16年の米大統領選では、広告収入目当ての偽記事の存在も指摘されました。
注目されるのは、アイスランド海賊党の躍進です。変わった政党名ですが、その起源はコンテンツの著作権問題であり、現在アイスランドの海賊党は、ネット選挙や、ICT技術を駆使したエビデンスベースの透明な政治を主張しています。ドイツ海賊党が最初に主張したという液体民主主義(Liquid Democracy)は、流動民主主義とも訳すべきもので、直接民主主義と間接民主主義を流動的に組み合わせるものです。ドイツではその立場は後退気味のようですが、民主主義の制度的課題の解決をテクノロジーで支援しようという試みは、将来の民主主義の在り方を展望する上で興味深いものがあります。
Ⅴ おわりに
デジトラ後の社会の姿をあらかじめ描こうとする試みをエンタープライズ・システムの開発になぞらえるならTo Be分析であり、現状の観察はAs Is分析です。実際には、少しずつ手戻りしながら要件を実装していくアジャイル型アプローチになるでしょう。岩井氏は、情報資本主義の下では「契約と信任という二つの異質な人間関係を軸とする、新たな市民社会像を構築する必要」があるとも述べており、ヒントになるものを感じます。
※1 各紙報道などの公開情報(2016年11月時点)
※2 岩井克人『貨幣論』(1993年)
※3 『WIRED(日本版)』(Vol.25 p51)ただし、岩井氏はブロックチェーンについては取引コストを低減させるものであり、生き残るだろうとしている。
※4 岩井克人『二十一世紀の資本主義論』(2006年)
※5 藻谷浩介『毎日新聞』(2016年10月23日)
※6 萱野稔人『国家とはなにか』(2005年)
※7 宇野重規『民主主義のつくり方』(2013年)