EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
「HRDXの教科書」出版記念セミナー(第4回)では、V・ファーレン長崎 前代表取締役社長、公益社団法人 日本プロサッカーリーグ 理事 髙田 春奈 氏をゲストに迎え、ご自身の人事経験や教育思想、Jクラブでの唯一の女性経営者(在任時)として、デジタルとアナログのバランスやD&I、今後のキャリアマネジメントへのヒントをご紹介いただきました。
Section 1
髙田氏は2020年にV・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任してから、スポーツクラブの経営が一般企業とは異なり、非常に公共性が高い点に気付いたそうです。
V・ファーレン長崎 前代表取締役社長、公益社団法人 日本プロサッカーリーグ 理事 髙田 春奈 氏
「V・ファーレン長崎は株式会社なので、利益を出すこと、競技力の向上は当然のことですが、地域活性化というミッションを担うため、事業的・競技的・社会的な3つの使命からビジョンと中期計画を策定しました。また被爆地・長崎のクラブとして、『正々道々~ナガサキから、世界へ』というスローガンを掲げ、戦う姿勢にも平和の願いを込めています」(髙田氏)
同氏は、このJクラブの活動を通じて、スポーツから考えた「D&I」(ダイバーシティ&インクルージョン)と、キャリアマネジメントにつながるAI活用について触れました。AIに関しては、日立と京都大学(日立京大ラボ)の共同研究「AIを活用した、持続可能な日本の未来に向けた政策提言」(京都大学こころの未来研究センター 広井良典氏)を例に挙げて説明しました。
2050年の日本が持続可能な社会になる条件や、取るべき政策をAIでシミュレーションすると、人口・地域や健康・幸福・格差などの観点から、8~10年後の近未来に日本が「地域分散型」へ移行することが望ましいという結論に至るそうです。とはいえ、AIで政策を本当に提言できるのか、という疑問も残ります。
髙田氏は「AIは、人の認知のひずみやバイアスを是正したり、多くの要因や政策の複雑な関係性・影響を分析できる点がメリットです。また不確実性や曖昧さを取り込んだ柔らかい予測シミュレーションも可能です。ただし、結果を踏まえた意味の解釈や評価軸の選定、政策プライオリティは人間の役割であり、あくまでAIは補助的なツールなのです。さらに、これは人事の仕事においても同様のことが言えます」と指摘しました。
というのも、人事には決まった答えがなく、人間という最も難しい対象を扱うからです。そして「HRDXの教科書」を引用しながら、「AIは結論でなく、分析結果を出すツールです。示唆するのも、事実とのギャップを考慮するのも、人間の役割である点を念頭に置き、デジタル時代の人材マネジメントも、より柔軟性と寛容性を高めて、多様な人材や価値観に対応していくパーソナリゼーションが求められます」と強調しました。
もちろん企業では、テクノロジーの進化により、いくらでも生産性や効率化を追求できるでしょう。しかし、それだけでは「人間味」がなくなってしまいます。実は、スポーツで考えるD&Iとキャリアマネジメントには共通点があります。必ずしも同質的な人材が集まったチームが強いとは限りません。異なる価値観や経験を持つ人材がいることで、素晴らしい成果につながることも考えられるのです。
髙田氏は「やはり人間だからこそ可能な点を、仕事の中で探すことが重要です。まさにV・ファーレン長崎の当初はチーム人件費の支払いに苦労するほどの窮状でした。成績と人件費には正の相関がありますが、それでも選手のモチベーションや組織の化学反応から、子会社化した年にJ1昇格という奇跡を起こしました。大きな目標を達成しようとするとき、何が大切なことかを考える原点にスポーツが使えると気付きました。同じ人件費を使っても、異なるチームづくりができることが面白い点で、それが人間らしい世界ということになるのかもしれません」と振り返りました。
また同氏は、東京大学大学院 教育学研究科博士課程で教育思想も研究しており、「アマチュアリズム」というユニークな考え方も披露しました。アマチュアリズムの対義語は「プロフェッショナリズム」ですが、これはミスなく結果にコミットする仕事の姿勢のこと。一方でアマチュアリズムは、仕事のパフォーマンスの優劣よりも、個性や自分らしさを指す姿勢です。
「AIが人間を超える時代になっても、AIで肩代わりできないものは、このアマチュアリズムなのかもしれません。人間の固有性と偶然性に潜むアマチュアリズムは、AIでは代替できません。その実例の端緒は、例えば高度な技能を持つプロ野球選手より、時に高校野球や子供の試合に人は感動するといったことに表れています」(髙田氏)
では、働くことのアマチュアリズムとは何でしょうか? おいしい料理を提供するレストランは魅力的です。しかし店員との何気ない会話にホッとしたり、普段は出されないシェフの裏メニューが感動的においしかったり、アマチュアリズムから提供されるものに心を揺さぶられることがあります。これらには、個人に内在するアマチュアリズムとの巡り合いから生まれる感動があるのです。
髙田氏は、DXとは「色眼鏡をなくすための道具」として、人の判断の補助となるもので、その中でHRDXは「人間という最も理屈で語れない存在において、理屈と理屈でないものとを分けるものである」と定義しました。この理屈でないものとは、何かを間違えたり、作業が非効率でも人間らしく、人間が多様であることを肯定することです。
かつて同氏がグループ人事戦略を策定する立場になったとき、このように人の優劣ではなく、人の違いを活かすチームづくりを考えたと言います。D&Iという文脈では、DXの推進によってマジョリティの論理に取り込まれずに、マイノリティを可視化することが重要になります。
髙田氏は「人間同士の関係性の中では、声が大きい人が優遇されたり、特定の人に引っ張られずに、色眼鏡なく事実を把握することが大切です。またキャリアマネジメントについては、DXが独自キャリア形成を個々に可能にするものであり、自分に合う組織で働ければ、その力を遺憾なく発揮できるでしょう。経営の立場から組織開発を考える場合には、HRDXによって多様なチーム形態の可能性を信じることで、唯一無二のチームの在り方を考えられるようになるかもしれません」とまとめました。
Section 2
第二部では、恒例のトークセッションが催されました。
EY アジアパシフィック ピープル・アドバイザリー・サービス 日本地域代表 パートナー 鵜澤 慎一郎
まずモデレーターであるEYの鵜澤 慎一郎が「大量採用のバブル世代がシニア世代になって活躍の場が減る中で、どのようにキャリア自立を果たすべきでしょうか?」と質問を投げ掛けました。
髙田氏は「企業内で活躍できるキャリアのイメージだけでなく、その人が趣味でやるようなことも含めて、他企業で役立つことがあるかもしれません。目線を変えて従来の空間から抜け出せるなら、年齢にかかわらず、さまざまな可能性が世の中にあると思います」と自身の見解を述べました。
また「人生100年時代を迎え、ライフシフトに適応したキャリアマネジメントへの意識が求められています。いまよりキャリアが長くなったときに注意すべき点はありますか?」という同様の問いに対しては、「一般企業の社員は40代で管理職を経験し、50代で役員か、そのまま定年で終わるという節目を迎えます。しかし60代や70代になっても第一線で活躍できる可能性はあります。実際に定年を迎えたら、明日から自分が一気に変わるわけではありません。目の前の偶然の出会いやチャンスの中で、自分の軸をぶらさずに判断することが大切でしょう」とアドバイスしました。
実際に髙田氏のキャリアを振り返ると、人事を振り出しに、コンサルタント事業を立ち上げたり、メディアや球団経営にタッチするなど、それまで経験がないことにチャレンジしてきました。そういったキャリア選択の中でも、軸はぶれていませんでした。
「最初は、社会貢献ができるという理由でソニーに入社しました。人事に配属されるとは考えていませんでしたが、夢中で働いた経験がキャリア形成の武器になりました。それをベースに人事コンサルティングの企業を立ち上げ、次に社会に情報を発信する広告メディアの仕事を選び、さらにスポーツで地域振興に挑戦しました。まさかJリーグの球団を経営するとは思っていませんでしたが、新しい出会いの中で、社会に還元したいという軸があり、それに従ってキャリアを決定してきました」(髙田氏)
これを受けて鵜澤は「髙田さんのキャリア選択は、実は現代キャリア理論に近いものです。かつてエドガー・H・シャインが『キャリア・アンカー』という理論を提唱しましたが1、これは譲れない価値観や、やりがいの源泉を見つけて、ありたい将来の自分に向けてキャリアを積んでいくものでした。しかし変化の激しい現代では、それが難しくなっています」と語り、現実解として2つのキャリア形成の理論を示しました。
1つ目は「プランドハプンスタンス」(Planned Happenstance)です。計画された偶発性と意訳され、まさに髙田氏が歩んできた道でしょう。偶然の出会いを主体的に捉えてチャンスをつかめるかどうかで、自身のキャリアも変わってきます。多くの経営者からも「まさか自分がこれに関わるとは思っていなかった」という話を聞きますが、偶然をポジティブに捉え、自分の努力を力に変えることが大事です。
2つ目は「ジョブクラフティング」(Job Crafting)です。自らの仕事を積極的にデザインすることで、生産性や仕事のやりがい、動機付けを高める理論です。同じレンガ積みの仕事でも、それを単なる作業と捉えるか、一生残る仕事と捉えるかによって、仕事の動機や意義、向き合い方、価値の高め方に違いが出ます。最初の質問のように、モノは考えようで、60歳だから終わりではなく、まだ自分には違う価値や環境があると考えれば、その後のキャリアを形成できるようになります。
次に鵜澤は、コロナ禍にJリーグの球団経営にタッチした髙田氏に対して、「DXはスポーツビジネスにどんな影響を与えましたか?」と問い掛けました。
髙田氏は「お客さまに『スタジアムに来て下さい』とは言えない状況で、DAZNやYouTubeなどのサービスに本当に助けられました。DXは、現地に足を運んで観戦するアナログ的なスポーツの可能性を広げる重要なツールになりました」と力説しました。
ただしDXが進む中でも、デジタルスキルだけにとらわれて、ビジネスの思考が置き去りにされることには問題があります。
「経営者にはPCを使えない方々もいます。しかし、デジタルスキルがなくても、ビジネス課題を解決する思考があれば、優れた人材を活用できます。ただし、ご自身はアナログでも、デジタルの世界を信じることが絶対に必要です。逆に現場レベルでスキルに追われ、目的と手段が入れ替わると本質から外れてしまうので、思考とスキルのバランスが求められます」(髙田氏)
この意見に鵜澤も同意しながら、スキルという点で最近注目を浴びている「リスキリング」と「アップスキリング」の違いについて触れました。
リスキリングは、未習得の新しい専門性を飛び地として獲得することで、アップスキリングは、従来の延長にあるスキルを習得することです。例えば、日本の会計基準を習得している財務・経理担当者が国際会計基準のIFRSを新たに学ぶのは専門性の拡張なのでアップスキリング。しかしプログラミング言語のPythonを学ぶことは飛び地であり、その技術で会計処理を効率化できるようになることはリスキリングになるわけです。
鵜澤は「これらを組み合わせて自身を磨くことも大切です。社員が何を学ぶべきか、そのアセスメントもやりやすくなりました。われわれもスキル診断をウェブ上で行っています。HRテクノロジーで、『このキャリアなら、このスキル』というように、AIが推奨する機能も具備されつつあります」と最近の動向について紹介しました。
ただしAIの推奨はあくまでも参考です。繰り返しになりますが、最終的な意思決定は人間が下さなければなりません。AIに支配されるのではなく、AIと人間が共存することが重要です。またキャリア自立おけるモチベーションの維持も大切です。特にデジタル分野は根が深く多岐にわたるため、学び続けることが困難です。学習のインセンティブとして、研修内容に応じて、シルバー/ゴールド/プラチナなどのデジタルバッジを付与する工夫を凝らす企業もあります。
「EYでもEY Badgesをグローバルに研修制度のインセンティブとして導入しています。これまでの企業は人事部主導で階層別に能力開発の研修を用意していましたが、これからは将来のキャリア志向性に合わせて、自分は何を学ぶのか、それぞれが選択していく時代になるでしょう。人事も人材開発の在り方を見直さなければなりません」と鵜澤は説明しました。
また、すべての人がプロになるだけでなく、その中にアマチュアリズムを内在させることで、人としての自由度が高まる点も見逃せないポイントです。あるときはプロであり、あるときはアマであることをうまく組み合わせたり、使い分けたりすることで、キャリアの彩りや深みが出るのです。ただし「アマチュアリズムを人事評価に入れられるのか?」という問いについて、髙田氏は「そもそもアマチュアリズムは優劣の指針でないため、人事評価には直接結びつきませんが、仕事以外の強みや、やりがいをコミュニケーション上で尊重することが大切です」とアドバイスしました。
参考:
1 エドガー・H. シャイン(金井 寿宏訳)『キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう』(白桃書房、2003年)
採用、人材育成、人事評価など多岐にわたる人事分野でAI有効活用が進んでいますが最終的な判断は人間に委ねるべきもの。マジョリティの論理に取り込まれずに、マイノリティを可視化するツールとしてのDX活用が今後求められます。また人間の固有性と偶然性に潜む「アマチュアリズム」というユニークな考え方も今後の組織・人事マネジメントのヒントになるでしょう。