寄稿記事
掲載紙:2024年1月 Beaumont Capital Markets “International FINTECH Review 2024/25”
執筆者:EYストラテジー・アンド・コンサルティング パートナー 平林 知高
日本を取り巻くFinTech市場環境
世界的に甚大な影響を及ぼした新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、FinTech市場は一時的に停滞したものの、感染対策等の観点から、「非接触」、「非対面」のサービス提供が加速化し、今後さらに市場は拡大していくこととなります。その市場規模は、2030年には1兆5,000憶米ドルに達し、21年比の6倍超の成長が見込まれる巨大な市場となると予測されています¹。特に、日本が位置するアジア太平洋地域(APAC)が成長をけん引し、30年には北米市場を上回り、世界最大のFinTech市場となることが見込まれています(北米の5,200憶米ドルに対し、APACは6,000憶米ドル)。
日本におけるFinTech市場も、世界同様、COVID-19による影響を受けたものの、回復基調にあり、日本のエンタプライズIT総支出の成長率予測のうち、銀行/投資サービスが最も高く、2023年で6.8%(平均成長率4.7%)、2024年に6.6%(平均成長率4.9%)が予測されており、先行きの市場の拡大が見込まれています²。
日本におけるFinTechの歴史
FinTechが世界的に注目され始めたきっかけは、2008年の世界金融危機、いわゆるリーマンショックと言われており、米国、英国を中心とした金融機関経験者が、テクノロジーを駆使して、より利便性の高いサービスを機能別に提供する形(アンバンドル)で浸透し、一時は、既存の金融機関を破壊(ディスラプト)するとまで言われるほど、サービスの改善、進歩が進みました。
一方、日本ではFinTech前夜から海外とは異なり各種サービスの高度化が図られており、FinTechの誕生による衝撃は、やや微妙な受け止め方であったと言えます。例えば、銀行間送金は、すでにほぼすべての金融機関で当日に着金しており、また、NTTドコモが携帯電話で提供していた「おサイフケータイ」は、現在のApplePayやGooglePayといったモバイル決済の先駆けとして、日本で浸透しており、金融×テクノロジーサービスは一定程度実現していました。もちろん、クラウド会計サービスや個人資産管理(Personal Financial Management)や、資産運用、保険の領域では一定程度のサービス普及につながりました。
こうした歴史的な背景もあり、2015年ころから次第にFinTechが注目を集めた日本では、多くのスタートアップが誕生しましたが、金融市場における変化の衝撃は海外ほど大きくなかったと言えます。
FinTech企業と金融機関の協調
既存の金融機関を破壊(ディスラプト)すると言われていたFinTechでしたが、一部を除いて、ディスラプトは起きておらず、むしろ、金融機関とFinTech企業との協調路線が目立つようになっています。日本においては、特に金融機関の信頼度が高く、FinTechベンチャーが大きな市場獲得/顧客獲得することは困難であったものの、当時小回りの利く金融サービスをスピーディーに開発し、サービス提供にまで実現させることが困難であった金融機関と利害が一致し、金融機関の顧客に対し、より利便性の高いサービスを提供するという文脈で、金融機関とFinTech企業との連携が進んでいきました。
前述の日本の歴史的背景を踏まえ、FinTech誕生の意味を考えると、その衝撃は大きく2つに集約されると言えます。
① データ活用の重要度の増大
- 時代とともにデータ収集・解析技術は進化しておりデータドリブンなサービス設計、提供が可能
- 取得するデータが、アナログからすべてデジタルへシフトすることに伴い、データ利活用の基盤が整備
② 顧客リーチの拡大
- モバイル等を通じた新たな顧客体験の提供により、既存ビジネス領域における新規顧客開拓、コストがかかりリーチできていない顧客層へのアプローチが可能
- テクノロジーの進展に伴う事業コストの低下により、新規ビジネス領域における新たなサービスの提供が可能
この2つのポイントはFinTechサービス、さらにはデジタルトランスフォーメーション(DX)の本質として現在でも重要となっています。FinTechが注目され始めた2015年のころは、この2つのポイントを前提に、金融機関の提供するサービスラインアップの1つとして、FinTechサービスが提供されるケースが多かったと言えますが、長引く低金利とCOVID-19をきっかけとして金融機関の店舗戦略の見直し³もあり、顧客との接点がデジタルチャネルにシフトし始めた金融機関は、顧客接点をいかに確保するかが、大きな課題となりました。
非金融事業者による金融サービスの提供
FinTechの台頭により、金融サービス提供の障壁が急激に低くなったことを受け、AppleやGoogle、テンセント、アリババ等はこれまでの非金融のコア事業に加え、まずは決済(ペイメント)を中心に金融サービスの提供を開始し、そこから得られるデータを活用して、融資やその他サービスを展開し、文字通り、プラットフォーマーとして、非金融から金融サービスまで一気通貫で提供するサービスを展開してきました。
日本でも、多くの非金融事業者が決済を皮切りに、金融サービスを展開してきましたが、すでに多くのモバイル決済が誕生していた日本では、勝ち組になることは容易ではありませんでした。こうした中、決済サービスを独自に構築し、金融サービスを提供するのではなく、金融機関と連携し、金融サービスを提供する、いわゆる「エンベデッド・ファイナンス」の動きが、日本でも加速化しつつあります。
Banking as a Service(BaaS)として、積極的に非金融事業者を裏からサポートしているのが、住信SBIネット銀行です。同行は、すでにJALやヤマダホールディングス、カルチュア・コンビニエンス・クラブ等へのサービス提供を開始しており、今後、他の金融機関も含め、動きは加速化していくものと考えられます⁴。
非金融事業者との連携により、金融機関にとっては、非金融事業者が持つ顧客基盤へのリーチが可能となり、フロントは非金融事業者のブランドを冠してサービス提供をしていることから、「金融機関」のブランドは隠しつつ、顧客開拓につながる点は非常に魅力的です。つまり、これまで築いてきた金融機関のブランド力に限らず、「誰と組むか」により、フロントである非金融事業者のブランド力を十分に活用した戦略が展開できる点は、これまでのビジネスを覆す可能性を秘めていると言えます。
非金融事業者にとっても、自社の顧客に自社アプリやサービス利用促進(ポイント付与等)による顧客の囲い込み強化だけでなく、住宅ローンや資産運用等の金融サービスの提供により、より長期的な関係性の構築につなげ、自らのブランド価値の向上につなげることが可能となります。
エンベデッド・ファイナンスのニーズの高まり
これまで見てきたように、世界のトレンド同様、日本も非金融事業者のサービスに「組み込まれた」金融サービス(エンベデッド・ファイナンス)がFinTechの主流となっています。
米国をはじめ海外では、クレジットカードを持たない/避ける傾向にある層を中心に、「Buy Now Pay Later(BNPL)」と呼ばれる後払い決済サービスが注目を集めています。日本でも、家電量販店を中心に、過去に同様のサービスが提供されてきましたが、デジタルサービスになったことでより利便性が高まりました。若い世代を中心に、海外同様の市場の成長が見込まれると言われています⁵。
また、個人向けのサービスだけでなく、企業向けのサービスも注目を集めています。日本では、業務の効率化、デジタル化の流れを受け、請求書の発行や会計のクラウドサービス化が進みつつあります。こうしたサービス事業者は、請求書を売掛債権として疑似的に担保とし、資金提供するサービスやファクタリングサービス、融資サービスを提供している事例も見られます。特徴としては、金融機関が金融サービス機能を提供するというより、自らが企業買収も含め、サービス提供する方向となっている点です。
日本の多くの中小企業は、フレキシブルでタイムリーな資金調達を求めているため、こうした資金調達手法が提供されるサービスは、今後も伸びていく可能性が高いと言えます。
中小企業向けの支援策としては、前述したように、BaaS機能を非金融事業者に提供し、機能提供先の取引先を間接的に支援していく方向性も、今後一層の拡大が予測されます。例えば、オンラインでホテル等の予約を提供するオンライン・トラベル・エージェント(OTA)は、現在は、ホテル等の予約を仲介するプラットフォームの提供にとどまっていますが、ツーリズム産業の世界的な拡大を受け、今後も予約のトランザクションは増加していくものと考えられます。こうしたトランザクションデータをもとに、プラットフォームに登録されているホテル等を融資等、金融サービスを通じて支援していくこと等が考えられます。これまでの金融では、日々のトランザクションの把握が困難であることから、支援しづらかった中小企業に対しても、非金融事業者のサービスを介して実現することが可能になると考えられます。
土管化する金融機関と今後の方向性
2023年4月、給与の支払いを電子マネーやスマートフォンの決済アプリを利用して支払うことが可能となりました(デジタル給与)⁶。背景には、日本が「キャッシュレス・ビジョン」に掲げるキャッシュレス比率の目標達成(2025年に40%、将来的には80%)に向けたキャッシュレス決済の普及促進があります⁷。
この制度が普及することになると、金融機関は給与支給口座をフックに、顧客への金融サービスを展開してきた従来型の戦略の見直しが求められることになります。給与支給口座としての口座利用が進まなければ、顧客接点を失い、より一層厳しいビジネス環境となることが予測されます。
FinTech事業者は、これまで顧客獲得・開拓に向け、金融機関と連携することで、事業を拡大してきました。しかしながら、さらなるデジタル化の進展に伴い、伝統的な金融機関は、顧客接点を失いつつあることから、顧客接点を常に持っている非金融事業者との連携が進んできています。エンベデッド・ファイナンスの普及です。
エンベデッド・ファイナンスが今後、FinTechのトレンドだと考えると、決済や保険等FinTech企業は、比較的、企業の顔が見える形でのサービス提供は維持できるものと考えられます。一方で、伝統的な金融機関は、自らのブランドを主張したサービス提供では、非金融事業者のブランドとそぐわない可能性も考えられます。リブランディングしたサービスとして提供するか、金融サービスのプラットフォーマーとして裏方に徹して、機能提供するか(金融機関の土管化)が方向性として考えられます。
米国のゴールドマン・サックスはテクノロジー企業への転換を掲げ、BaaS市場に進出してきました。日本でもネット銀行を中心に、BaaS機能の提供による金融サービスの拡大を目指す動きが高まっています。
金融とは、本来、信用が重要な要素だったため、顧客に金融機関のブランド認知を高め、利用してもらうことで成長してきました。しかし、今では、金融サービスがフロントではなく、非金融事業者が顧客との接点となりつつあります。当然、金融機関は信用の高いサービスを提供していく必要がありますが、「誰と」組んで、「どのようなサービス」を提供するかが重要なビジネス戦略となっていきます。
協調路線であった金融機関とFinTech企業の関係性は、非金融事業者を介して、競争にさらされ始めていると言えます。その際、金融機関は、従来型のブランドを維持して顧客サービスを提供するか、裏方として、信用度の高い、幅広いサービスラインアップを、利便性の高いサービスとして提供していくか、戦略の見直しが求められているのではないでしょうか。
※この記事はInternational Fintech Review 2023/24(Beaumont Capital Markets, 2024年1月)に寄稿した記事の日本語版です。International Fintech Review は、グローバルなフィンテック業界や各国市場の主要な課題や動向に焦点を当て、金融ビジネス機会への知見を提供します。
1 QED Investors “Global FinTech 2023 Reimagining the Future of Finance” Boston Consulting Group website, https://www.bcg.com/ja-jp/publications/2023/future-of-fintech-and-banking(2023年10月31日アクセス)
2 ガートナージャパン株式会社 「Gartner、日本における2023年のエンタプライズIT支出の成長率を4.7%と予測」www.gartner.co.jp/ja/newsroom/press-releases/pr-20230227 (2023年10月31日アクセス)
3 「世界の銀行店舗、10年で1割減 DX・低金利で削減加速」(日本経済新聞社、2021年8月4日)www.nikkei.com/article/DGXZQOGD19BJO0Z10C21A7000000/ (2023年10月31日アクセス)
4 「銀行の広告参入相次ぐ 住信SBI、CCCと組みポイントも」(日本経済新聞社、2022年12月20日)
5 「EC決済サービス市場に関する調査を実施(2023年)」株式会社矢野経済研究所、www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/3217(2023年10月31日アクセス)
6 デジタル給与の受け取りができるのは、厚生労働大臣の指定を受けた資金移動業者(キャッシュレス決済サービスを提供する事業者)の口座に限られており、2023年10月時点でデジタル給与が利用できる状況にはありません。
7 「キャッシュレス・ビジョン」(2018年4月)経済産業省、https://www.hkd.meti.go.jp/hokir/cashless/data/cl_vision.pdf(2023年10月31日アクセス)