第1章
水素ビジネスのバリューチェーンに携わる各種プレーヤーの事業機会
「グリーン」⽔素は、もしそれが本当に「グリーン」であるならば、バリューチェーンの各段階において魅力的な投資対象となる可能性を秘めています。
水素は水素のままで、あるいはアンモニアに変換して、すでに産業利用されています。そのため、製造(主に炭化水素の水蒸気改質や酸化)、バーチャルパイプライン(トラック)、工場に近接した貯蔵所を中心としたバリューチェーンがすでに構築されています。
図1:水素のバリューチェーンの概要
その一方で、よりグリーンなエネルギーの生成が求められるほか、取引量の増加が予想されること、さらに用途が新たに生まれたり拡大したりすることで、セクターの現在の構造を改革する必要が生じるでしょう。この結果、以下のような投資機会がバリューチェーン全体にもたらされます。
- 新たな水素製造技術
- 配送と流通に伴う新たなビジネスモデルやソリューションの勃興
- グリーンエネルギー源としての新たな⽤途市場の開拓
もしも実現されるならば、グリーン⽔素は、さまざまなセクターの脱炭素化に貢献し、発電や輸送から、エネルギー、⼯業⽤原料に⾄るまで、バリューチェーン全体に数多くのビジネスチャンスを生み出します。
製造される⽔素は3つの「⾊」に⼤別され、「グリーン」に分類できるのは限られた製法で製造された水素のみ
無尽蔵な資源である水素は、世界にエネルギーを無限に供給できる可能性を秘めています。さまざまな資源を原料として場所を選ばずに製造することができ、現場でも流通先でも使用できるなど、水素には数多くのメリットがあります。また、燃焼セルで酸素と反応させると、温室効果ガスの排出量を抑えながら電気エネルギーを発生させることもできます。
しかし、最後の段階では排出量がゼロであるとはいえ、環境へのやさしさを⽰す⽔素の“グリーン度”は、水素製造の原料によって異なります。⽔素の脱炭素化が可能かどうかを⼤きく左右するのは、その製造⽅法と原料となる天然資源です。
- 化⽯燃料を原料とする⽔素は「グレー」に分類される
- 化石燃料を使⽤していても、製造プロセスでの⼆酸化炭素排出量を抑制するために⼆酸化炭素の回収・貯留(CCS)策を講じていれば「ブルー」に分類される
- 水と再⽣可能エネルギーを原料として電解槽に電⼒を供給することで⽣成され、製造プロセスが完全にグリーンで持続可能なものである場合は「グリーン」に分類される
図2︓⽔素製造︓グレー⽔素・ブルー⽔素・グリーン⽔素
現在製造されている⽔素は、ほぼ全てが「グレー」⽔素であり、主にアンモニアと肥料の製造のほか、⽯油の精製に使⽤されています。
3つのビジネスモデルと、それぞれ異なる「グリーン」⽔素サプライチェーンの選択肢
「グリーン」⽔素の製造⽅法はいくつかありますが、実⽤化という観点から考えると、⽤途が最も広いのは電気分解です。ただし、最⼤のチャンスは「グリーン」⽔素の製造と流通にあります。
「グリーン」⽔素はエンドユーザーのニーズや規模、現在あるいは将来利用可能な技術に応じて、3種類のサプライチェーンのモデルがあります。
製造方法 | 説明 | メリット | 課題 |
オンサイトプラントモデル:利用現場での製造 |
現地で生成した再生可能エネルギー(太陽光・風力など)を原料として、製造に必要な技術的なソリューション・設備をエンドユーザーが水素を利用する現場に設置することにより、「グリーン」水素を現場で製造します。 |
輸送コストがかからず、輸送インフラも不要 |
製造能力が低いため、製造能力と必要量のバランスを取る必要がある |
オフサイトでの製造と流通(現地以外での製造と流通) |
当モデルでは、電力・ガス会社が大規模なオフサイトプラントで「グリーン」水素を製造し、パイプライン、トラックなどさまざまなチャネルを通じて消費者に直接届けられます。 |
消費者への大量流通ができ、スケールメリットによる製造コストの削減が可能 |
インフラがプロジェクトの成功の鍵を握る |
分散型製造と域内流通 |
このハイブリッドモデルでは、自然エネルギーを動力源とする既存の電力網に、ユーザーの近くに設置された電解槽の拡散システムを接続します。地域の消費者にサービスを提供するために、ローカル・グリッドが開発されます。 |
スケールメリットによる製造コストの削減と水素グリッドの構築期間の短縮 |
現地の消費量を増やす場合には地元のステークホルダーとの合意を得る必要がある |
図3︓「グリーン」⽔素の製造 ― サプライチェーンのモデルは3つ
第2章
課題︓「グリーン」⽔素の素晴らしさは認めるが、コスト高
政府の奨励策がなければ、グリーン⽔素が経済的競争⼒を持つようなるには2030年までかかるかもしれません。
「グレー」⽔素を「グリーン」⽔素に替え、産業・業務⽤途や発電・燃料電池⽤途を拡⼤する上での最⼤の障壁は製造コストです。「グレー」⽔素や「ブルー」⽔素と⽐べ、グリーンエネルギーの製造には現在、⾮常に多額のコストがかかります。この⼤きな製造コストの差を縮めることに求められる要素は3つです。
要素 | 製造コスト差の縮⼩への貢献 |
電解槽に関する技術革新とコスト改革 | 電解槽にかかる設備投資を60~70%削減する必要があります。 このターゲットはメーカーが想定する将来コスト予測とも合致しており、実現性が見込めます。スケールメリット・製造拠点の大型化、ノウハウの蓄積によって確実なコスト削減が期待できます。 |
再生可能エネルギーに関する製造・供給コストの低下 | 水素の変換過程で消費されるエネルギーはランニングコストの主要素であり、半減させる必要があります。 風力や太陽光などの再生可能エネルギー技術を利用したLCOE(均等化発電原価)を考えると、これは達成可能なはずです。 |
CO2排出コストの上昇 | 排出量取引制度を導入している国では、CO2の排出コストが今後10年間で50%上昇することが予想されます。 これは「グレー」水素技術と天然ガスに関連したコストであり、このコスト上昇が「グリーン」水素のコスト競争力の向上させる一助となるでしょう。 |
⽔素の⽤途は広いが、その多くがコスト競争⼒を持つようになるには2030年までかかる可能性も
さまざまな業界において特に⽔素に期待される⽤途は5つあります。
- 発電(水電解法による水素製造と電力利用):水を生成する際と逆の変換(電気分解)によって、必要に応じて水素を製造し、電力としての利用が可能になります。この手法であれば、必要なときにエネルギーを供給することが可能となる上に、長期的な耐久性・信頼性を鑑みると、電力貯蔵に対するニーズを解決する新しいソリューションとなります。さらには、再生可能エネルギーが抱える不安定な発電量がもたらす発電と電力利用時間のズレを解決し、安定化させるための手段にもなります。
- (自動車など)輸送機械の燃料電池︓一般消費者に最も近い用途として、水素は自動車をはじめとした輸送車輛のエネルギー供給用途があります。
- 工業原料︓水素は、エネルギー源としての気体というだけでなく、その化学反応力を活かしてさまざまな工業用途で利用されている化学元素でもあります。すでに製造プロセスフローの中で水素を使用している代表的なセクターは、石油精製・鉄鋼生産です。
- 産業⽤エネルギー・水素発電(専焼・混焼)︓天然ガスの代替として水素を燃やしたり、天然ガスと水素を混ぜてタービンを燃焼させることによって熱や電気を作ることができます。重要なのは、水素と天然ガスで密度や発熱量などの特徴が異なることですが、設備の変更や投資を行うことで、置き換えが可能になります。温室効果ガス排出量を大幅削減できるため、環境への好影響は明らかです。
- 建物の空調管理の熱源:上述の産業用と同様、水素を住宅・施設(住宅、学校、病院など)の空調用途に用いることができます。
図4:水素(H2)の用途
しかし各国政府のインセンティブ政策がなければ、「グリーン」⽔素がその他の⽔素製造⽅法とコスト面でに競争力を持つようになるには(用途・使われ方に関する技術・業務面での成熟度によるものの)少なくとも2030年までかかるはずです。
一方、すでに⽔素をエネルギー製造の⼯程に投⼊する「原料」として使⽤する場合には、「グリーン」⽔素への移⾏に必要となる投資は少なく済み、コスト差も⼩さくなるため、より早くコスト競争⼒を獲得できるでしょう。
裏腹に、天然ガスから⽔素への移⾏については、水素がコスト競争⼒を獲得するまでの時間を最も要する領域かもしれません。移行は温室効果ガスの排出量に最も⼤きな影響を与え、対象市場も⼤きいものの、「グリーン」⽔素がコスト⾯で天然ガスに並ぶのはまだ先の話です。
図5︓EYパルテノンが考える、用途別「グリーン」水素の導入・拡大タイミング
2030年まで費⽤対効果を⾒込めないにもかかわらず、「グリーン」⽔素の導⼊を「今」検討すべき理由
⾼いコストにもかかわらず、「グリーン」⽔素の需要は拡⼤しています。EYパルテノンの調査によると、「グリーン」⽔素製造の市場規模は2030年までに、設備容量にして140 ギガワット(GW)近くに達すると予想されます。2020年時点の設備容量が累積で1 GW未満であることを踏まえると、⼤幅に増⼤することを⽰唆しています1。
⽤途市場の側面から見るとでは、(P2G(power-to-grid)とP2P(power-to-power)を含む)エネルギー源としての重要性が最も増し、特に「グリーン」水素普及の第二段階においてその傾向が加速すると予想されます。産業用エネルギー(“On-Site”における備蓄設備拡大が中心と想定)や輸送機械向けの燃料電池の容量についても、費用対効果が加速度的に高まる可能性があります。
欧州から中国・アジア、北アフリカから⽶国に⾄るまで、「グリーン」⽔素の導⼊を加速させる意欲に、地域による差異はほとんどありません。
前提として、本資料での見解は極めて広い範囲のシナリオの平均的な見方に過ぎません。この市場を正確・確実に予測するのはまだ時期尚早です。各国・地域の目標は、各国政府のエネルギーアジェンダと強く結びついており、事態は逐次・断続的に変化していくものと思われます。
図6︓2030年時点における⽔素の⽤途別・地域別の設備容量(推計)
需要の増加をけん引する要因は何でしょうか? 各国政府や企業における脱炭素化への取り組みが重要な役割を果たしており、各国政府や企業が燃料電池自動車の導入を目標としていることも挙げられます。
2015年12月に194カ国がパリ協定2に署名し、今世紀の地球の気温上昇を2℃以下に抑え、1.5℃に抑えるための努力を追求することを約束しました。また、この協定では、すべての署名国が気候変動の影響に対処するために最善の努力をすることが求められています。
この野心的な目標を達成するためには、世界中の国々が温室効果ガスの排出量を削減するためのステップを一つ一つ駆け上がってゆかなければなりません。
- 2019年、欧州連合(EU)は、2030年までにEUの温室効果ガス排出量を1990年比で50%から55%に削減することを目指す法律(欧州グリーンディール)3を導入しました。
- 一方、中国は、「2020年までに鉄鋼生産において排出される4億8,000万トンの二酸化炭素容量を『超低排出』基準に適合させることを義務付ける」4という措置を取ることに迫られています。また、エネルギー製造における石炭への依存度を下げるため、電力網の整備も進めています。
- 米国では、カリフォルニア州が2006年に地球温暖化対策法5を制定し、州全体で温室効果ガスの排出量を制限するなど、先進的な取り組みを行っています。2016年にはより高い目標を掲げ、温室効果ガスの排出量削減目標を2030年までに1990年比で40%削減することになりました。
10年後ではなく今、「グリーン」水素を検討すべきもう一つの理由は、「グリーン」水素の分野で先駆者となることで、競争優位を確立できるチャンスがあるからです。テクノロジー企業は、より優れた・より効率的な・よりコスト効率の高い電解槽や燃料電池をいち早く市場に投入しようと行動を起こしています。また、多額の資金を持つプライベートエクイティもM&Aを通じて「グリーン」水素に賭けており、関心の高さが垣間見えます。
「グリーン」水素のコストは、まだ「グレー」水素や「ブルー」水素と同等にはなっていませんが、多くの企業にとって、今すぐ「グリーン」水素の切符を買って列車に乗ることへの理由には十分な状況となっています。
一部の企業では、すでに「グリーン」水素を戦略的課題に組み込んでいます。これから始めようとしている企業において、リーダーは下記の「問い」への答えを探しているはずです。
- 「グリーン」水素の世界で、自社が提供する価値は何か?
- 今からでも提供可能なソリューションはあるか? あるいは、新たに導入すべきソリューションはあるのか?
- 自社として(新たな)サポートやインフラを必要とする新たな市場やビジネスの機会はあるか? 新たに検討すべきビジネスそのものやビジネスモデルはあるのか?
第3章
「グリーン」水素の導入を加速させるために必要な5つの要素
コストの低下、インフラの充実、政府による規制と奨励策、全社的な取り組みは、いずれも導⼊の迅速化に貢献します。
「グリーン」水素の導入を加速させるために必要な5つの要素
グリーン水素の導入を検討する企業が、導入を加速させるために必要な要素は下記の5つです。
1. 水素製造技術やスケール拡大によるコストダウン加速
- 前述のとおり、「グレー」水素と同等のコストになるには、少なくとも10年はかかると予測されています。
- 水素製造技術やスケールメリットを深化させることでコストダウンを加速させることによって、同等化を早めることができるはずです。
2. インフラストラクチャー
- 「グリーン」水素の高コストを構成しているもう一つの要因は、大規模な生産拠点と分散された消費拠点を結びつけるロジスティクスの複雑さです。
- 天然ガスのパイプラインがある国では、メタンガスを組み入れたソリューションを加速して「グリーン」水素の消費量を増やし、需要と生産を加速させることができます。しかし、このソリューションを支える技術やロジスティクスは非常に複雑です。
- 短期的な代替案としては、H2特区を開発し、複数の消費拠点と1つ以上の生産拠点を結びつけることで、複雑さをコントロールすることができます。
3. 法制度の整備およびインセンティブ政策
- グリーンエネルギーの導入を加速させるためには、規制やインセンティブが有効な手段となることがよくあります。太陽光発電や風力発電では、インセンティブ制度が導入を促進し、需要と供給コストの低下をもたらし、再生可能エネルギーが20年以内に既存の系統からの電力コストと同等に到達する見込み(グリッドパリティ)が見えてきました。同様のアプローチは「グリーン」水素にも有効です。
- 2017年に日本は「水素基本戦略」を策定し、国家単位で水素セクターを前進・発展させる最初の国になりました。
- 2019年11⽉にはオーストラリアも「国家⽔素戦略」を発表。
- 2020年7⽉には、EUが「欧州グリーンディール」の一環として、3段階の水素戦略を発表しました。
- また、2020年7月には、米国エネルギー省の化石燃料局が、水素技術の研究・開発・利用に焦点を当てた水素戦略を発表しました。
- 水素の導入・活用を拡大するための戦略を成功させるには、各国は、戦略の導入・展開において各種のインセンティブや補助金を組み合わせ、実効性を高める政策を進めてゆくことになるでしょう。
4. 事業者のコミットメント
- エネルギーサプライチェーンに関わる事業者は、すでに「グリーン」水素に注目しています。
- 大手エネルギー事業者やインフラメーカーが「グリーン」水素の供給網と必要な設備を早期に導入することによって「グリーン」水素に関する発電・貯蔵・輸送の技術面・オペレーション面の能力を加速できる可能性は十分にあります。
5. 一般消費者を惹きつけるための強力なコミュニケーション・キャンペーン
- 世界経済フォーラムの記事で紹介されたソーシャルメディアでの匿名調査において、水素を「一般的に安全」と考える回答者は49.5%、「一般的に危険」と考える回答者は31.4%でした。
- ヒンデンブルク号やスペースシャトル・チャレンジャー号のようなセンセーショナルな災害のイメージにより、水素は「可燃性が高く、自動車の燃料電池などに使用した場合に衝突時に爆発する可能性がある」というイメージが世界中で植え付けられています。
- 水素の危険性に関する神話を払拭し、脱炭素・グリーン社会の実現に向けた「グリーン」水素のメリットを訴求するコミュニケーション・キャンペーンを行うことは、消費者の「グリーン」水素導入へのモチベーションを高め、早期導入を促すことに貢献するはずです。
グリーン水素の時代が到来
何十年もの間、あまり知られず、顧みられてこなかったグリーン水素も、技術の進歩と再生可能エネルギーのコスト低下により、間もなく脱炭素化の新たな切り札になるでしょう。2025年には、ほとんどの電気自動車が、化石燃料の自動車に対して競争力を持つようになると予測されています。
- 現在「グレー」⽔素を利⽤している企業は、特に先⾏者として「グリーン」⽔素への移⾏の流れに乗る絶好の⽴場にあります。
- 「グリーン」⽔素⾰命の恩恵を受けることができるのは、戦略を策定し、新たなビジネスモデルを試⾏している企業です。
- これまで「グリーン」⽔素の導⼊を検討したことがない企業でも、⼆酸化炭素排出量の削減を望むのであれば、今、検討を始めることができます。
⽔素の導⼊に注⼒する企業が増えれば増えるほど、コスト競争⼒の獲得と消費者の需要拡⼤が速まります。適切な時期に業界を作り上げ、先導する事業者となるためには、今日から基礎固めを進めてゆく必要があるはずです。
サマリー
脱炭素化の目標を達成するには再生可能エネルギーを飛躍的に増やす必要があるため、豊富に存在する水素は魅力的な選択肢となります。何十年もの間、再生可能エネルギーの中でも特に注目されてこなかったものの、技術の進歩の加速とコストの低下により、ようやくグリーン水素の時代になってきたかもしれません。